石原裕次郎と渡哲也の石原軍団エピソード!これぞ男気だね 没後31年合掌
「彼は闘えないと思った…」妻が語る“昭和の大スター”石原裕次郎の素顔
7/19(木) 22:00配信
(画像:FNN PRIME)
7月17日、亡くなってから31年目を迎えた芸能史に名を遺す昭和の大スター・石原裕次郎さん。
日活の“ドル箱コンビ“だった石原裕次郎さんとまき子さん
31年前の昭和62年7月17日、その華々しい生涯に幕を下ろした。
7月19日に放送された「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、妻だからこそ語ることができる石原裕次郎さんの素顔に迫った。
命日を前に、生前、裕次郎さんが過ごした邸宅を訪れたMCの坂上忍。
かつて石原プロ制作の連続ドラマにも出演するなど、彼らとの関わりは深い。
そんな坂上さんを迎えてくれたのは、裕次郎さんの妻、まき子さん。
かつて女優・北原三枝として裕次郎さんとともに日活の“ドル箱コンビ“として活躍していた。
稀代のスターである裕次郎さんのデビューは、兄である石原慎太郎さんの作品「太陽の季節」が芥川賞を受賞し、1956年に映画化された作品に裕次郎さんが端役で出演したことがきっかけ。
この出演がまき子さんとの出会いとなり、裕次郎さんの初主演映画『狂った果実』での共演を機に交際を始めた。
それから裕次郎さんが出演する映画や作品中の歌が次々と大ヒットし、日本で空前の“裕次郎ブーム“が巻き起こる。
一方、2人は結婚を視野に入れて密かに交際を継続していたが、当時の芸能界ではトップスター同士の恋愛はご法度だったため、駆け落ち同然でアメリカへ婚前旅行へ行ってしまう。
なぜ裕次郎さんは、クビを覚悟してアメリカ婚前旅行を決断したのか。
「周りのスタッフさんたちは認めてくれましたが、会社が認めなかったんです。私もその時は、会社が反対していることはいけないことというのは常識で分かっていましたから。でも、どちらを選ぶかとなったら裕次郎さんを選ぶ。会社に抵抗して実力行使です。そうしたら社長から『結婚を許す、帰ってらっしゃい』と。帰ったらまた飛行場が大騒ぎですよ」(石原まき子さん、以下同)
帰国した2人を約200名の報道陣が待ち構え、2人は謝罪会見を行った。これが日本で初めての謝罪会見だと言われている。
そして、2か月後には結婚を発表。
まき子さんは女優業を引退し、家庭に入って裕次郎さんを支えることを決断した。
普通の旦那さんとしていてくれたというが、結婚する時にある約束をしたという。
「ネオン街が嫌いな人じゃありませんから。キレイどころ大好きな人ですから。結婚する時に約束があるんですよ。『お酒は飲みます』『お友達は家へたくさん来ます』『ネオン街から足は洗いません』それに慣れないとダメなんです」
この約束をまき子さんは許し続けたが、慣れるまでには8年かかったという。
【FNN PRIME記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180719-00010011-fnnprimev-ent
かっちょええ。
渡さんは今、酸素吸入で病と戦ってます
渡さんの人柄も良く、体が良くなるのを祈ります
歌手と俳優で亡くなられた歳も違うけど昭和の大スターの中でも別格でしたよね・・
まさかあのような遺言を遺してたとは。
西部警察再放送してくれたらいいなになぁ️
たんまに観たくなるねんな~
「裕次郎は小さい頃から神経質で弱くて、育てるのに苦労しました。
皆さんは逆の印象を持たれていると思うけど、
慎太郎はすごく育てやすかったです」と言っていたから、
昔からあまりタフなタイプではなかったのだろう。
電飾看板はすっかり見なくなりましたね。
遺言は初耳でしたが、それ以外のエピソードはリアルに表現されてましたね(^^)
舘さんもそんな直立して挨拶をしてくれる大先輩・大スターは渡さんが初めてで、それに感銘を受けて渡さんに一生ついて行くと覚悟を決めて石原プロに入った経緯がある。
昭和どころか平成も終わろうとしている今。ワシもそろそろかな…
復活して頂きたいです。
祈っています。
いくらタフガイというキャラでも実生活であれだけ大病続いたらメンタルが持たないのも当然。
現代医療なら助かったか?たらればになるし寂しいけど仕方ない。
かっこいい!
>好きなアルコールもたばこも経ち
これだけは修正して欲しい。
経ち→絶ち
父と裕次郎さん、職業は違えど
全くもって似たような性格、生活を
送り、父は以前大病を患ったり
裕次郎さんと同じ大動脈瘤で6時間の
手術も経験し、この話を聞いた時、
裕次郎さんの奥さんも家の母と同じで
かなり苦労して来た方なんだなぁと
思ったら涙が出てきた。
昭和の大スターの波乱万丈な人生は凄かった。
まき子夫人の前では弱音を見せていたことも夫婦の絆が素晴らしいと思った。
渡哲也さんの男気もしびれた。惚れた男のために全財産差し出せるなんて、簡単には出来ない。しかも倒産寸前の会社に入ってまで助けようとも。
遺言に反して遺した石原プロの経営が厳しいのだろうか?
今の時代にはないね。
裕次郎借金作っても歌で返せたとも・・・
本当の映画スターだね。
大都会~西部警察の頃の、裕次郎さんや渡さんの二人の共演、独特のオーラ
人脈で勝新さんなどとも共演する、スタータレントならではですね。
それ故に、後継タレントが霞んでしまうくらい、強烈だったと思います。
石原プロの法要といえば、参加者にワインをプレゼントして長蛇の列になったことが記憶にあります。
石原プロは、主力俳優陣も年を取って来たし、裕次郎さんの遺志を継いで畳む日が近いのかもしれませんね。
裕次郎さん亡き後、ほんとうに尽力されたと思います。
『時間がないんだ』と言って、大門(渡哲也)を殴りつける小暮課長(石原裕次郎)です。
裕ちゃんと渡さん、男の友情すら超越した絆で結びついていたのでしょうね。
改めて感動です。
私は脇役の杉浦直樹さんのような方の方が好きでした。
裕次郎さんはきっと面倒見のいい魅力のある方だったのでしょう。
お兄さんの慎太郎さんとは全然違うのですね。
慎太郎さんは選挙の時随分石原プロに応援してもらったみたいですね。
石原プロの方も渡さんを始めきちんとしたいい方で恩義に厚いのでしょう。
子供の頃はそんなもんやろと思ってたけど、今考えたら若くして逝ったんやね。
やっぱり暴飲暴食な人は病気しやすいと思う。
裕次郎さんは暴飲の方だと思うけど。
嫁としては、好き放題させてあげたい気持ちもあるけど、早く死なれたくない。
でも、まき子さんの気持ち分かるわ…。言っても聞かない人だったんだと思う。
TVで「太陽にほえろ!」の放送が始まり石原裕次郎が出てきた瞬間、
母親が「え?!ゆうちゃん?!」と驚いたように言った。
その後、石原裕次郎が若い頃にどれだけ人気があったかを聞かされた。
「太陽にほえろ!」はショウケン(萩原健一)や松田優作という役者にも恵まれ石原裕次郎を知らない世代にとっても充分楽しめるドラマになり大ヒット。
それから何年も経って母親から聞いた石原裕次郎の若い頃が気になり彼の映画をレンタルして観ることにした。
「太陽の季節」「嵐を呼ぶ男」などを借りたと思う。
そこには「太陽にほえろ!」のボスのイメージはなくスラッとした長身でやたら足の長い若くて命みなぎった青年の姿があった。
映画の内容も台詞口調が早いことを除けば意外と面白かった。
「なるほど」母親が言ったことも頷けた。
石原裕次郎が亡くなってから31年か、、
ちょっと母親の墓参りにでも行こうかな。
ドラマの最後のシーンで二人でブランデー飲むシーンが印象的だった。
あのやり取り絶対アドリブだよな!
その1人でもいなかったら全く違う展開になったでしょう。
西部警察は石原プロそのものです。
願いが叶うなら、再び西部警察を作って欲しい!
私の母がいつも「昔はこんなんじゃなかった。もっときれいだった」と必ず言ったものですけどw
陽のあたる坂道、という映画を見て本当にそう思った。
まき子さんも美しくて、とってもお似合い。
あの映画が一番好きですねえ。物凄く聴いちゃいられないほどの、クサいセリフ回しが多いのですが。でも名作だと思う。
昔の新聞記事(たぶん外国人記者が書いたモノ)で、「この和製ジェームス・ディーンは(裕次郎さんの事です)ビールを浴びるように飲む」みたいに書かれてあったのを読んだ事があるけど。
本当に飲み方が凄かった。一度テレビで拝見したが。
速いんですよ。ゴーッと一気に飲む。撮影終わったら、一杯、
また一杯。アルコール漬けですよ。
酒で体を崩したのだろうなあと思う。
食事代わりだったらしいですね。
勢いよく生きて、華麗に散ってしまった方。
生き様たまんないよな男として
特段美男子でもなければ演技や歌が上手いわけでもないけれど、欧米連合国にコテンパンにやられた屈辱からまだ立ち直り切れていなかった昭和30年の日本で、長身ですらりと脚が長く「モダン」を体現したかのような小生意気で魅力的な青年像を演じる裕次郎がどれほど大きな存在だったか、その時代を全く知らない自分でも色々と想像してしまう。
裕次郎さんが存命なら、今の芸能界や映画界、役者達を見てどう思うだろう。裕次郎さんのお子さん、二世はいてほしかったな。
当時、小学生でしたが面白くて観てました。
よって、ボスが似合うのは、ボスと言えば裕次郎さんです。
若い時のVTRなんかでドラムのシーンとかの時代があるけど、あのへんなら人気があったのは頷けるんだけどな。
だいたい人気者というのはある程度若さを保ったまま年とっていくという感じなのだが、若い時の石原と西部警察のボスが同じ人物とは思えないから裕次郎裕次郎といつまでも騒がれる理由が分からん。
尾崎豊みたいに若くして死んだというのでもないのにな。
でもワシらの時代で言えば西部警察かな。
日テレ番宣で、当時の後楽園で野球大会をした
未だ渡哲也は元より
松田優作や沖雅也等がバリバリの時
ミーハーだから、姿を見たくて駆け付けたが
当時のパリーグより観客数が多かった
裕ちゃんも当時は未だ元気で
ファインプレー賞を貰っていた
在りし日の懐かしき思い出だが
みんな親爺と婆さんに成って仕舞った
流れ行く月日は走馬灯
裕次郎への支援と倒産寸前の会社へ入るところは知らなかった
カッコ良すぎるな
亡くなった母が大ファンでした。
こんなスターは今の芸能界にはいないと思います。
貧しい田舎に生まれ育ちましたが憧れのスターでした!
○好きなアルコールもたばこも断ち
奥さんは本当は、版権管理だけの会社にして、静かな暮らしをしたかったのに、節目の法要をビジネスにされた上に、国立競技場に坊主100人呼ばれて法要やったら、金を使い果たしてしまった。
専務のコマサと、西部警察放送してた某テレビ局の女性プロデューサーの責任は大きい。
昨年も、退職金を前払いで数千万円もらってるはずの元常務が、「まだ事務所は稼げるはず」と週刊新潮に退任させられたことへの腹いせインタビューが載った。
80歳過ぎた奥さんが今でも前面に出てきて猛暑の中お墓参りするのは大変。
もういい加減、石原プロは版権管理中心にして、軍団は別組織にすべき。
無理だもんな
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