日本維新の会・創始者・橋下徹が自身の著書で維新は失敗だったと・・・
<日本維新の会>創始者・橋下氏が新著「維新、失敗だった」
9/13(木) 21:32配信
橋下徹・前大阪市長=2015年10月、山崎一輝撮影
国政政党「日本維新の会」の創始者、橋下徹・前大阪市長が執筆した「政権奪取論 強い野党の作り方」(朝日新書)が13日発売された。代表を務めた維新は強い野党になれず、失敗だったと振り返っており、波紋を広げそうだ。
橋下氏は著書の中で、大阪を大改革し、大阪市を特別区に再編する「大阪都構想」を進めるため、日本維新は自民党や中央省庁との折衝に「フルに機能した」と自己評価。その一方で、「維新とはベンチャー野党。創業とスタートアップには成功したけれど、国政政党としてさらに成長し、自民党と張り合える党になったかというと、失敗と言わざるを得ない」と記した。
理由には(1)国会議員の日常の活動量の少なさ(2)組織としての戦略性のなさ(3)まとめる力、まとまる力の欠如(4)命がけの権力欲、名誉欲の欠如--を挙げた。戦略性のなさでは自らの責任に言及。「大阪都構想で手いっぱいになってしまい、国政政党としてのマネジメントは『東京まかせ』になっていた」との後悔も載せた。
2015年12月に政界を引退し、現在は日本維新の役職を持たない橋下氏は「野党の存在感が高まることで、与党議員はより真剣に国民のことを考えた政治をするはずだ」と記述。「維新の失敗例を反面教師に強い野党を作ってもらいたい」と政界関係者への呼びかけも盛り込んだ。
一方、創始者から「学級代表の集まりのようなグループ」と本の中で例えられた日本維新。13日に地域政党「大阪維新の会」のパーティーが大阪市内であり、出席した日本維新の衆院議員は「手厳しいメッセージだが、政治に批判はつきもので、創始者が失敗といっても萎縮するつもりはない」と話した。【岡崎大輔、真野敏幸】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00000094-mai-pol
リーダー以上に組織は成長しないか。
しかし、もう一度そういう志を持った者が集まり維新に続く政党を作りこの日本を良き方向に向かわせてもらいたい!
維新の失敗は中央の国会議員の失敗が大きいでしょう
大阪を国として考えた場合は都構想は失敗をしたが
その他の削減策や政策は概ね成功だと思います
橋本さんの人気に乗っかって来た中央、地方議員の
選別や選択が出来なかった事も失敗でしょう
ただ多くの橋本さんを支持した有権者は
「橋本さんを支持した」のであって
他の議員や候補者を本心から支持したのではないと思う
「橋本の維新ならば」
「橋本が選んだのならば」って事で
名も無き怪しげで節操のない人物でも票を入れたのでは?
橋本さんは珍しいタイプで頭の回転も良い
さらに努力をして勉強をしているし
何よりも重要な政治家としての信念があると思う
ただ、残念ながら「人を見る目は平凡」だった事
でも、これは彼が悪いのではないと思う
大した人物でもない中からより良い人を選んでも
「大した人物」ではなかったって事か
大阪都構想の不成立を軸に総括しているが、少し本質から外れてる。
大阪の府知事から市長を経験し橋下が抱いた地方分権型国家構想そのものは、東京一極集中、衰退する地方の現状を打開する効果は期待できた。
大阪都構想はそれと連動して行われるべき政策であったと思うが。
その橋下の国家構想を共有する政治家が集まらないまま、大阪維新の会から日本維新の会まで突っ走ってしまった。
多くの方がコメしてるように、その点で拙速だったのは否めない。
関西州などの道州制創出と連動しなかったが故に、大阪都構想は、本当に大阪の問題だけを解決するものに矮小化されてしまった。
その点は、橋下の誤算だったのではないか?
橋下の地方分権型国家構想に魅力を感じただけに、それを実現するための戦略と賛同する政治集団の結成を深めてほしかった。
知事、市長兼任では難しかったんだろうが。
いくら代表に政治力、求心力があっても政党の構成員一人ひとりが評価の対象になるので選挙では橋下人気を背景に躍進できてもその先にはなかなか進めない。
急激な勢力拡大を狙って、来るもの拒まずの基本方針で人気にのみあやかりたくた政党を離脱して維新に合流しようとする政治家の選別にも失敗してますしね。
結局、日本では自民と同じくらいの政権運営能力があり、自民と二大政党としてやっていける政党が生まれる余地は悲しいかな極めて少ない。
まあ、都構想を実現するために全国規模である必要があったと言えばそうなんだろうが、その全国区で失敗してしまっては都構想どころか政党そのものの支持基盤が揺らいでしまう。
事実、そうなった。
もうひとつ、規模拡大を急いだ結果、素性のわからない候補を推薦してしまって、足を引っ張ってしまった。
公募区長もおかしなのが多かった。
日本維新は「粗悪品の巣窟」のようなイメージを持たれてしまった。
規模拡大よりも、個々の候補者の質を見極めることに注力しなければ、組織は絶対に強くならない。
それもこれも、優秀な女房役が居たら違ってたね。
秀吉と秀長、本田宗一郎と藤沢武夫のような。
松井氏は火に油を注ぐ割に、橋下氏に従順過ぎ。
その点で失格だね。
温和で調整型の腹心が居たら、いろんな面で不手際は少なかったろう。
つまり現実的に実績を残しつつ、永続的な行動をとり続けるプロセスは、勢いだけじゃ成立しない。政治状況に適応した政治的戦術もいるし、イメージ戦略も不可欠。。人材の問題が根本ではあるでしょうね。強い動機も。。橋下氏は、リアルな現状分析をしているのだろうと思います。どういう国にしたいか、での共感は、満場一致することはない難しさがあるし、政治的決断は、絶対正しいと評価できるものでもない。常に大多数の理解と信頼を得ることは現状の日本の民主制度、報道環境にあっては、不可能に近い。。理想どおりにはならないが、少しでも理想に近づこうとした姿勢は評価に値すると思います。
橋下氏は、首長時代から身内の失敗を他人事のように発言する機会が多かったですね。
それが、橋下氏の強さの根源ですね。
行政の失敗があった時、橋下氏以外は基本的に「平身低頭」して、地域の皆様に対して謝罪をする所から始まります。
けれど、橋下氏は基本的に問題を犯した組織を非難し、体制を批判します(そのトップが自分なのに、可笑しいですね)。
有権者からの負託と信頼の責任に対して全く反省や謝罪が感じられない。
橋下氏は、将に「明治維新」を起こそうとしていたのです。グダグダという内情の組織なのに、もし、国政を動かし得るだけの実効力を持つに至っていたならば、橋下氏は魁としてどの様な責任を負うつもりなのでしょうか?日本をどこに向かわせるつもりだったのでしょうか?
それを考えると、「失敗でした。反省してます。」の文字だけでは、あまりにもお粗末ではないのでしょうか?
日本維新は、日本的に言うと与党でも野党でもなくゆ党だった。是々非々でね。言葉を変えると、建設的野党だったように思う。海外のような野党を目指していた感じ。
ただ、ベースがあまりにも地域政党の大阪維新がありすぎて、関西では凄い人気だけど、他地域では警戒するわな。特に、関東では。普通の政党は、国会>地方なんだけど、地方>国だから、人材集めで難しい部分もあっただろうな。
現時点で自民党に対峙する二大政党の野党は、誰が創設しても無理だったと思うが、現在の野党弱小時代、最大野党ぐらいには、上手くやればなれただろうな。そもそもターニングポイントは、今はなきみんなの党との合併問題だっただろう。どっちかって言うと違うジャンルの自民党OB政党の立ち上がれと組んで分裂。あれで完全に国民の心(支持)は、離れたね。政治は数や資金力、結局は多数決やからな
都構想のために国政に出る必要があったのは分かるが、政権を取りにいく必要は無かったと思う。
政権を取るために規模を大きくする必要が出て、烏合の衆になってしまった。これでは失敗しても仕方ない。
地道に実績を作って、理念を共通できる信頼できる人を集めて、時間を掛けてやるべきだったと思う。
道州制への足がかりだったからこそ、その実現のために国政政党を作らざるをえなかった。
そして政治信念は違えど、道州制賛成派の江田と組んだのだろう。
しかし、そこの説明なくして、府民に分かりやすくするためか府と市を合併して無駄をなくそうという議論と、石原慎太郎と組んだり、江田と組んだりするような安全保障的にブレた国政のマネジメントが、変革を嫌う年配者や、保守派には理解を得なかったように思う。
府民には非常に分かりにくく、結果選挙に負けてしまった。
二大政党制を作るには、考え方の違う議員をまとめてマネジメントしなければならない。
しかし、政治信念、変革を貫くならメディアを使い、未来への日本仕組みの話をもっとするべきではなかったのではないかと思う。
現に自民党政権を倒し一時は、与党になった。
維新は、一地域大阪だけの政党で終わった。
橋下さんは、魅力的な面がありながら協調性にかけ度量も大きくなかった。時に我が儘な子供の様に感じる面があり、どちらかと言えば一匹狼的な政治家だったと実感。
ある面、石原慎太郎さんに少し似ている面があった。ただ石原さんは、自民党というバッグボーンがあったから少数派だったけれど、政治家、知事として存在感は示すことが出来た。豊洲市場、新生銀行で大失態だったけれど、排ガス規制では、名を残した。お互いに似ている面があったから合流もしたのだろうが、途中、橋下さんが飽きて離れて関係は終了。橋下さんは、結局何もせずに終わった。最近の記憶では、籠池さんの学校誘致問題も発端は橋下さんの安易な判断から広がった。橋下さんは過去の人。
政党というのは、党員が集まって作るものです。民主主義ですね。王様のような有名人とか国会議員が勝手に作るものではないのです。
一般の党員があまり組織されていない政党が、一瞬無党派層の投票を受けて国会議員が増えても、次の選挙で減ってしまったりするというのは、当然のことです。裸の王様です。
他の先進国に比べて、日本の政治は組織化されていないといわれています。日常的に国民が政治活動に参加しないということです。(ネットにコメントするのは政治参加ではない)
一握りの人気者によって政党が作られたり、離合集散が起きるのは、そういった環境では当然です。
党が解散しているなら、話しは別だが今も民意を得て活動している党に対しての妨害である。憲法にも抵触する。あなたを信じていたものからすれば、二階に上がってハシゴをはずされたようなもの。10年たらずで「失敗だった」と言われて「そうでしたか」とはいかない。若気の至りでは、済まされない。橋下の無責任さを自ら認めた。私物感覚からね発言だろうが、まさに単純である。この男信用ならない。
自社55年体制という事実上の大連立の影響で、有権者の政治的無関心が高まり、投票率の漸減傾向が続き、無党派層を形成するようになった。
その浮動票と化した無党派層への働きかけが、戦後30年を経て始まった。河野洋平氏の新自由クラブ、中山千夏氏の革新自由連合、細川護熙氏の日本新党、武村正義氏らの新党さきがけなどは、維新同様一時的にブームとなったが、長続きせず、いつの間にか消滅していった。
冷戦が終結し55年体制の役割を終えた後の、政治的混沌の徒花として、浮かんでは消える「新党」に対する評価は、後年の政治学者の分析を待つしかない。
それにしても、総裁選の最中に新著とは、安倍さんとの距離を置こうという意図?
如何せん住民投票の頃には橋本ブームも下火、改革ブームも下火、劇場政治も下火。時流を読み取るセンスが欠けていたから絶対負けてはならない人生をかけた大勝負に負けた。それが全て
維新を野党第一党・政権与党に持っていくためには橋本さん自身が国会議員になって、政策論争して他党との差別化を図るしかないが(知名度だけじゃ支持は得られない)、国会議員としては1回生からやる必要がある。つまり、党首であるけれども後輩な訳。結局、永田町の論理に巻き込まれて、牙を抜かれることになる。そこを突っ張って独自色を保ったとすると、スキャンダルをばらまかれ、特に朝日新聞なんかに不正を追求され、潰される。それもしのいで何度か当選を繰り返し、国民の支持を得られる政策をアピールできれば芽はあるけど・・・。
実際、本人も永田町の論理に巻き込まれるとヤバいと思ったから、国会議員にはならなかったんでしょ。
庶民のための政策を掲げて国会議員に立候補するなら、(政策次第だけど)支持するし、期待もするけどね。
維新のために人生を捧げた人もいるだろうし、維新の考えに共感して票を投じた国民もいるでしょう。
色々な考えがあるのはとても良い事。けれど、それが大衆に受け入れられなかったからって中途半端に投げ出しちゃいけないと思う。
例え陽の目を見なくても、泥臭く自分たちの哲学を貫く姿勢をせめて見せて欲しかった。
大阪都構想に注力するなら地域政党のままでいればよかったものを、国政政党に鞍替えして初の国政選挙で党の代表でありながら自らは大阪の首長であることに拘り国会議員へと立候補しなかった。
これが維新の党のケチの付け初めであり、それは明らかに橋下氏の判断ミス。
著書内でベンチャー野党と例えているけど、同じくベンチャーで例えるなら、創業者が経営権も株もすべて手放し引退して後任へ託したのに「あの会社は間違いだった」と残された企業に打撃を与えるようなことを公で発言するのは社会人失格でしょうよ。
現にこうやって毎日に親与党の立場を取る維新へのネガティブな印象を与えるための報道として利用されているわけだし。
この人の不可解な引退 と 分裂する勇気が無かった民主党保守派
結いの党は少なくとも政権のためなら辛抱して融和できる連中だった
結束が揺らぎだしたのは支柱が折れて絶望したからだ
あの時期は民主から保守が分裂するかもという雰囲気だったが
橋下徹のいない維新と組むメリットは少ないと考え実現せず
逆に維新が分裂して衰退が始まった
維新の党(強行+穏健)+民主保守(穏健)という最も自民党に迫れる
最初で最後だったかもしれない野党が生まれる機会はあの時に失われた
もちろん綻びだらけで危うかったろうが党勢が順調なかぎりは持続できるもの
それはどこの党でも当てはまる
現在まで野党全てが粉々になっただけでなく「各々が険悪になった」
政治のためじゃなく選挙のためにくっつくカスがいるだけだ
野党は完全に終わりで今後見る価値も無い
やはり、年数をかけて、秘書や党務を一生懸命行った人たちの中から、人格と政策に通じた人の中から、国政に送る人を作り、他党からも意を同じにする人たちを、選挙後に結集すべきだったのでは。選挙前には、当選したいだけの輩が集まってくるからね。それにしても、橋本さんの発信力と、リーダーシップは、小泉ジュニアの口だけ坊ちゃんの、マスコミが作り上げたアイドル政治家とは違う、本物を感じたんですけどね、残念ではあります。
その理由は、革新を掲げながら結局、古臭い既存の政治家政党と合流するのか、という失望感だったと思う。
しかし維新のムーブメントで、やはり少なくない国民が既存の政党政治に不満を持っていることが明らかになったのだから、まるっきりの無駄ではなかったと思う。
あの結党当時の勢いのまま、それこそクーデターでも起こしてやる位のパワーと勢いで人々を巻き込んでいくべきだった。勢いだけでやれていたのだから、絶対に勢いを殺してしまってはいけなかった。
しかし日本人はやはりそこまでやれない。
政治や戦争に向いていない民族なのだとつくづく思う。
全国的改革政党になるにはそれなりの存在意義と必要性が十分ではなかったな。
大阪を改革して良くしたいという思いが政治力につながったわけだから、同様に、日本を改革したい思いが強い人達が集まれば、政治によって変えることができる可能性を示した点は橋下さんの大きな功績だと思う。
ひとつの試みで終わってしまったことは残念だが、時代がそこまでしか求めなかったということだろう。
先の大戦、大戦に至った理由には様々な見解があるが、結果として失敗であったことは周知。
それは、国のトップが「失敗」であったことを認めなかったため、より多くの犠牲を強いた。
その犠牲の中、終戦となった。つまりようやく「失敗」を認めた。
当時も今も「何のために犠牲なったんだ」、「信じていたのに」とする意見も残る。
しかし、それを乗りこえ「失敗を認める」ことで次の世界が広がる。
時として、組織のトップ達がが戦犯と認める事が必要。
大阪の地域政党としてもっと地道に実績をつくるべきだったのもそうですが、下手に他党からの離党者を受け入れたことと、安易に新人を数多く擁立しすぎたことがすべてでしょう。
だいいち、最初の「大阪維新の会」の時点から、貴方は党の創始者というより松井と浅田によって神輿として担ぎ上げられたに過ぎない印象がありました。
松井や浅田らと組んだことはご自身では失敗と思っていなかったでしょうが、少なくとも彼らが自民党を離党して4年以上経過し自民との縁が完全に切れてから組むべきでしたよ。
他の有力な選択肢なしでの自民党支持または支持なしが多い。
鍵はその世相を取り込む政策を打ち出し、成果を出せる野党だと思う。
自民党とも是々非々でいいと思うが。
その世相は一般労働者よりの労働党のようなものではないか。
自民党ほど企業経営者などの富裕層よりでもなく、民進のようなど真ん中でポジション不明確でもなく、共産、立憲のようでもなく、一番に掲げる目標が、国民への成果でなく、現状批判と政権交代と言う権力奪取と言う現野党全般でもなく。
庶民には都が複数出来る戸惑いがあり、そうすべき理由に目的があったのかもしれない。
今の自民では、日本はとてももたない。国家が粉飾を利用し始めれば、国民の成長は絶対にない。故に国家の成長どころか、徐々に衰退するだろう。
橋下さんの名前があれば、政治資金は集まっただろうから。3流の名ばかり国会議員は入れなければよかったと思います。
小池さんも全く一緒。
焦って本丸を取りに行っても、悔しいけど、そこは、手を替え品を替えの国会議員は上手ですよ。
なぜか、不祥事起こしている割合は、地方議員の割合に対して、圧倒的に国会議員の方が多い。笑
抱えるリスクが大きすぎるし、いう事聞きなさいと言っても、プライドあるから簡単には聞かないでしょ⁈
橋下さん。1度失敗した事は、全部経験だからもう1度やれば良い。人生はまだまだこれから、負けた分だけの経験は財産。
正しく名の通りの維新をする本物だけを集めて!
新しいものには、まず疑いの目を向け過去と比較する。どんなに良いことをしようとしてもマイナスの意見が先行する。
だから変える為にはスピードが必要。
足を引っ張ろうとする方々がいる以上、ゆっくりしていてはダメ。
スピードを上げて変化していく途中までは良かったが、ここっていうところで運が無かった。
民主、維新、希望、、、
国民の支持する政党はことごとく潰れていく。
資本主義を学べば、今の仕組みが必然だと分かる。結局は集中。資本、権力のあるところに全てが集まる仕組み。国民には何も集まらない。
ほどパワーを持った方だった。じぶんも政治家、公務員としても好きなかんじであった。さいしょの悪DJ(イメージ人生史上最強に驚いたひとつ)がここまで変貌したのは弁護士時代含め奇跡かもしれない。都構想も自分は東京だが大賛成であった。普通に近い人であり稀有なやらしくないまっとうな政治家だったし都知事であった。まっとうなところと最後含め若干可哀そうな人であった。
改善をではなくて改革を行うのであれば、
トップが覚悟を決めて人材を登用しないと。
結局、選ばれた区長を見ると社会的スタースのある方ばかり。
改善はできても、今を全否定までしての改革はしないでしょうね。
足元がそれでは国の改革はほど遠いのではないでしょうか。
まあ、その通りで、自分が見られないから石原慎太郎氏に引っ張ってもらいつつ大阪だけでなく、東京都にも広げ維新の会議員を増やそうとや狙ってみるも失敗って、戦略ミスがありましたね。
地域政党でも、国政に打って出れる希望こそ見せたが、人材不足が悲しいとこ。
政治塾を作って知識を与えても、結局は使う人間次第だから人間性がなあ。
また橋下さんが戻って引っ張ってくれればまだまだ伸びる人材も居ると思うので期待したい。
あと個人的に思うのだが、維新の失敗の最大の原因は貴方の政界引退だと思うぞ。組織が創始者という強烈なカリスマの存在無しには維持できない時期、状態のときにその創始者が逃げ出したんだから。
言い方悪いが結局自分が始めた仕事に付いて来てくれた人間を切り捨てて仕事を投げ出した後、引き継いだ連中が失敗したのをみて「アレは失敗」と評してるようなもんだぞ。しかも逃げ出した後もOBみたいな感覚で好き勝手に口出しして変な影響力を行使し続けたうえで。
分析は正しいと思うが「お前が言うな」だと思う。
馬力があり、国民目線で既得権に縛られず政治を考え、実行できる政治家が望まれている。安倍や石原のような輩を相手にしたのが失敗の基。
下について来る者が自分と同じ考えで無く、下の者も自分の勝手欲だけの者が多かった。
国民の為の政治と言うなら、地方議員の給与の馬鹿高さ、活動が公務員批判を中心で
実際のところ議員とは名ばかりの個人商店的な裏ではどうだったのか?
権力欲より名誉欲の議員を目指して欲しかった。
当時の議員の改革には期待してただけに今の維新には残念な事が多い。
物事が上手くいくわけではなく、思うようにいかない、失敗するのはあると思います。
その反省した事を次へ活かしていけば、より良いものになっていくと思います。
むしろ、明らかに失敗だった事を反省せず、それが正しいと信じさせて、強引に進めているお上に問題があると思います。
大阪における、現在の官民を主導した各地に埋もれていた施設は、縛られた財産から見事に昇華したのではないでしょうか?
確かに国政進出は、間違いだったかもしれない。
しかし、大阪を劇的に変化させたのは、大阪維新なのは間違いない。
国政で大阪ローカルな話を展開しようとしても、大阪以外の土地では必然的に支持が広がらないのを計算に入れていなかったか、知っていたが一時の勢いで押し切ろうとしたのが、国政政党としての維新の失敗の原因のような気がする。
むしろ族議員や旧自民党のように支持者に直接的な利潤をもたらす政治は、うまく立ち回ればポピュリズムは親和性の高い政治となり得ます。
ただ有権者自身が「自己中心的である事」を悪とする風潮が国益や弱者救済に意欲的でないという、ある意味自業自得というべきか、天に唾する信条が結果として戦後最高の内部留保に繋がっているんじゃないかと思われてなりません。
党勢拡大の時に細心の注意を払わなかったのも失敗の要因だったし、勝ち目の薄い博打を打ったのは大失敗だった。
大阪を良くしてくれるだろうと期待していたけど、見ていて気持ちの良いものでは、なかった。
言ってることは、筋が通っていると思っていただけに残念。あとベンチャー野党だからしょうがないけど取り巻きも胡散臭そうなのが多かった。
他の野党を見ても明らかなように、俺が我がの集団は政権を取ってもすぐに空中分解してしまう。
適材適所に人を上手く使えなければすぐ駄目になる。自分が細部まで係らなければ気の済まない人は党首になる資格はない。
一気に手を広げた結果
看板だけ利用して自己利益に走る輩が多くなりすぎた。
そもそも橋下氏だけの力で成り立っていたのに
維新人気を自分の人気と勘違いした人間が多すぎたよね・・・
そして、現役議員を引き込んだのも間違い。
国政にまで手を出すには数が必要だったといえ
一枚も二枚も相手が上だったよね。
美味しいところだけを持っていかれた。
急に橋下氏の熱量がなくなったのが一目瞭然だったもんなぁ。
素人の集団なりに、悪い慣習に土足で踏み込んでくれる期待はあったものの。
結局、玄人に内部から喰われたって感じ。
橋下徹さんは②だと思うのですが、皆で頑張ろうを勘違いした①の人達が集まるからだと思います。
国会議員は社員じゃ困る。
国会議員はそれぞれが社長でなければ。
今の政治家は社員が多すぎる。
色々な意味でリストラ必要です。
ほんの一時と言えども、自民一強の国政に地方から立ち向かっていた姿には、新しい日本を期待させる動きはあった。
結果的には空中分解してしまったようなイメージだが、大阪で地力を付けて再び火を起こして欲しいと願う。
だから弟子の松井も吉村もその他チルドレンも意識高い系の口先の勢いだけ。地域政党といいながら活動が地域に根差していないタレント気取りが多い。遅きに失した感もあるが早晩瓦解するだろう。
府と市の職員はようやく自信を取り戻して仕事ができるようになるのかな。
公立に入れない自分が悪いだろ、自己責任だろって、女の子を泣かしてたよね。
あの頃は、息子達の世代だけど、高校入試の前期後期制度でみんな散々苦しめられてたよな。
息子の同級生なんか、公立の前期も後期も落ちて、挙句に自転車で一時間以上かかる私立に通ってたわ。
その子は、部活頑張ってて成績も普通だったみたいだけど、なんで入試で二回も落ちないといけなかったんや?
高校入試で二回も挫折を味わう必要あるん?
前期で落ちた子は、かなり高校のレベルを下げて後期を受けてたよ。
で?
自分は失敗だった、で完結するんやね。
失敗だった、と言えば済む話なんやな。自分は責任取らなくていいんやな。
えーなー。
政党を立ち上げた以上、創設者として責任を取るべき。
橋下氏の考えに共鳴して入党した人達も本音では無責任と言う意見が大半だろう。
橋下氏に物言えぬ体質が組織の弱体化に繋がっている事を本人も自覚すべき。
烏合の衆過ぎた。
風見鶏や当選しさえすれば党の理念と全然違う事する奴など、
自民に比べて個々の戦闘力があまりに違い過ぎる。
旧民進よりはかなりマシだけどそれでも自民に比べたら
色んな意味で政治家としての戦闘力の高い議員の数が違い過ぎる。
次は少数精鋭ならぬ多数精鋭を揃えてほしい。
特に公認与える際には上西みたいな奴に注意。
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