ぐずる我が子にスマホを与えたら電車内で非難が~?!
ぐずる子にスマホ、電車で非難 「どうすれば」親の叫び
12/16(日) 19:08配信
「赤ちゃんが泣かない!?ヒコーキ」のチャーターフライトの様子。ウェアラブル端末を使って子どもの機嫌を調べた(2017年10月、全日空提供)
公共の場で、子どもの泣き声やぐずる姿は歓迎されない。仕方なくスマホを見せてあやそうとすれば、今度は「スマホなんか使って……」。スマホ育児の背後には社会の不寛容も見え隠れする。
【イラスト】子どもにスマホを見せるタイミングは?
子育て世代には、社会からのプレッシャーもある。
東京都の30代の女性は9月、都心から郊外へ向かう電車で焦った。1歳半の息子がぐずって「あーっ」と大きな声をあげ、乗客の視線が集まった。「静かにね」と言ったが、聞いてくれない。いたたまれず、スマホを出して動画を見せると、やっと静かになった。そのときだった。
「子どもにスマホばかり見せて。やっぱり若いお母さんよね」。近くにいた年配の女性たちが自分を非難する声を聞いた。
「じゃあどうすればいいの? 降りればいいの?」
ほぼ毎日一人で息子の世話をする。息子と一日中向き合っていると、さすがに息が詰まり、外に出る用事を作った。それなのに――。
子どもの声に対する世間の受け止めは必ずしも温かくない。2012年には、女性漫画家が飛行機の中で泣いていた赤ちゃんとその母親に激怒したことを雑誌に投稿し、話題になった。保育園での子どもたちの声が「騒音」と受け止められ、建設が進まない問題も持ち上がっている。
妊娠・出産・育児情報サイト「ベビカム」が2017年に0~6歳の保護者約400人を対象に行った調査では、子どもにスマホを使わせる場面として「子どもが泣いていたり、騒いだりしているとき」が43・6%あった。
全日空は同年、ベビー用品大手のコンビなどと「赤ちゃんが泣かない!?ヒコーキ」プロジェクトを始めた。泣き声で周りの人に迷惑がかかることが気がかりで、飛行機を避ける親もいるため、そのような人たちが安心して利用できるように乳児の「快適さ」を探るのが狙いという。私鉄73社でつくる日本民営鉄道協会が1999年度から続ける車内の「迷惑と感じる行為」の調査では09年度以降、「騒々しい会話・はしゃぎまわり等」が9年続けてトップだ。「はしゃぎまわり」には子どもの行動が含まれるとみられる。
子育て支援に取り組むNPO法人フローレンスの代表理事駒崎弘樹さん(39)は「少子化で子どもに触れる機会が減り、聞き慣れていない子どもの声を不快と感じるようになった」とみる。「幼い子が泣いたり騒いだりするのは当たり前なのに、『静かにさせろ』という圧力で親が肩身の狭い思いをし、スマホを使うとそれも非難される」と話す。自身も子育て中で、一緒に動画を見ることもよくある。「『スマホに子守をさせるな』などというのは、親たちを追い詰める『呪いの言葉』。自分たちは少しも子育てに関与せず、高いところから見下ろして指導してやろうというおごりを感じる」と憤る。「例えば、電車の中でも子どもの泣き声に舌打ちをしたり、にらみつけたりするのではなく、ほほえんでくれる人が増えれば、スマホを使わざるをえない状況はだいぶ解消されるのではないか」
ネットを使う子育て中の親に上の世代や周囲の社会は優しくなれるだろうか。(栗田優美、西村綾華)
【朝日新聞デジタル記事】
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181216-00000033-asahi-soci
問題は子供が泣いていたり、公園や屋内施設で子供が少し離れた場所にいるのにスマホに熱中している母親じゃないかと思う
もちろん、慌てて解決策を探ったり、この後の目的地の情報や道順といった必要な情報を探っているのならこの限りじゃないとは思うけど
子供の行動と一緒に親の態度も見られているということを忘れては習いと思う
昔はスマホもないから泣いたら泣きっぱなしだったかもしれないけど、SNSなどで電車で泣いてる子供がうるさい!などとつぶやかれることもないでしょ?
今はSNSで何しても揚げ足とってこういうふうになる。まぁ、あやし方はスマホだけじゃないのは確かだけど、手段としてスマホがあるんだから別にいいじゃん!って思う。
おとなしい子はいいけど、活発な子ほど、好奇心が強いし、落ち着いて諭すように注意してもダメ、ちょっと怒った感じで諭して言ってもダメ、何度言っても聞かない。年齢が低いと特に。
最終的にはキツく怒るしかないんだよね。
子供は大人しくなるけど、今度は周りから白い目で見られる。
ほんと嫌になる。
携帯をその場しのぎで見せても良いやん。
ずっと見せてるわけではないんやし。
何故その状況に至ったかを考えず、文句言うてくる人は少なからずいてるし。
今の子供が大きくなったとき、
もっと子育てしづらい環境になってそう。
少子化も今よりもさらに進むと思う。
スマホも子供放置でソシャゲ、SNSが問題になってるのであって、ぐずった子供にアンパンマンやおかあさんといっしょなんかを見せてご機嫌取りは、全く問題ないでしょう。スマホを小さいTVと考えれば、別になんてことはない。
新幹線で騒ぐ我が子を放置、電車内で泣きわめく子供を無視してYouTubeに夢中、そんな無責任な親が問題なわけで、子供が泣いて非難、スマホ見せたら非難、降りたら降りたでまた降りた先で泣き止ませろと非難が待っているだろうし。
そんな言うなら、昔は布オムツしかなかったのに今は紙オムツが定着したろう。それを手抜きと言う奴おるのか?臨機応変にあやしの一つとしてあっていいだろうに。
気にしないのが一番。
うちは折り紙と水で落ちるクレヨンを持たせていた。
それで乗り切れたからラッキーだった。
知り合いのママさんで、それだけでは乗り切れなくて、おもちゃやお気に入りの絵本を持たせてみたり、色々試行錯誤していて、最終的にスマホに落ち着いていた。
「スマホを持たせる事そのものに罪悪感はあるけど、今は知育系だったり、いいアプリが沢山あるから、少しだけ罪悪感が軽減される。やっぱり公共の場で騒ぐのは良くないし、いつかスマホから一度卒業させたいけど、言葉で通じるようになってからでもいいかなって思うようにしている」と言っていた。
それでいいと思う。
母親イジメする人多過ぎ。
何かあるとすぐケチつけて、最終的には虐待扱い。
いつの時代も、お父さんお母さんは強くならなければいけない。
外野は特に、他人に優しく自分に厳しくあって欲しい。
確かに電車の中で泣いていても
周りは笑顔であやしてる人少ない
あやしたとしても、今の時代怖い
時もあるから、母親があまりいい顔
はしない、降りるのに時間かかる
場合は致し方ないのかなと思う
最近はスマホばかり見て我が子を
見ない母親を多い
それで泣いていてもスマホを離さない
一部の人かも知れないが
乳母車を押しながらスマホ見て
子どもは一生懸命母親に何かを
訴えていても目線はスマホ
それもどうかなと思ってしまう
本当に難しい問題だと思う。
寝るときも、トイレも、ごはん食べるときも、スマホかタブレット見てるんだよね。
外食行くときも、車に乗るときも、もちろん持って出てるわけ
確かに静かになるし、回り(大人)にはいいよね。
だけどスマホやタブレットが無い時にあやせない。親の力では静かにさせられないのを見ると困ったもんだなと思う。(っていうと批判させられるんだろが)
1才ぐらいなら可愛いもんだけど、スマホやタブレットは持ってでれるから見せてあげられない状況が少なくなるよね。今度は見せないようにするのが大変にならないのかなって他人ごとながら身内の子を見てて思うよ(実際なってるからね)。YouTubeなんて見だしたら終わりもないしね
最低限見れるパターンは子供に白黒つけて分からせないといけないと思うよ。静かになるからいいじゃんで終わらせたらダメだと思いますね
結局大変になるのは親だよ
病院で数時間待ちなんてこともしょっちゅうですが一緒にいろんなことをしてなんとか過ごしてきました。折り紙やシール貼り、お絵かき、クイズ・・大変ですがその分いろんな発見もあったし、最初は数十秒しかもたなかった絵本で5分10分と集中して過ごせるようになったときは感動しました。
スマホを渡したら楽かな、と思うことは何度もありましたが、私はダメ親なので管理する自信がありません。スマホ!スマホ!と要求するようになったとき、なだめられる自信もないし、つい渡してしまってどんどん沼にはまりそうな予感がしたので、それなら最初からやめようと。メリハリつけられるお母さんならアリだと思います。
普段から時計をしていないので、時間を確認する為にスマホを出した途端に、近くの席の年配の方に「これだから若い母親は…」と、くどくど直接お説教されたことがあります。
びっくりしてなにも言い返せませんでした。
こんな年配の方ばかりではないと思いますが、
スマホを出しただけで、子供に見せたわけでもなく…わたし自身もスマホに夢中で子供を無視していたわけでもなく…それでもお説教する方も世の中には居ます。主人が帰宅するまでずっと赤ちゃんと2人きり、自分なりに初めての育児で奮闘している中で、勘違いから怒られて悲しくなりました。
外食時などは、もちろん子供と話しますが横の席を見ると、子供に動画を見せてずーっと親同士で話してる人達もいます。
ようは、子供のために親たちがどう考えるかです。
親も周りも。
私自身は特に辛い思いをしたことはないけどやむを得ずスマホを子供に見せてる人って他に見ててくれる人もいずに1人で「迷惑かからないように」という思いでやってるんだから責めるのは心の中でだけにしてほしいです。
そういうことを口に出して非難する人は公共機関や施設で騒いでる自分の子供を無視してる親御さんを堂々と非難してみてください。そちらの方がよほど意義のあることだと思います。
ですが、これくらいの子たちは、小学校に入る頃にはタブレットやPCがある程度使えるようになってるのが当たり前の世の中になりつつあると実感しています。
プログラミングの授業も始まるような事も言われてますし、タブレットやスマホを持たせるのも、時代の流れかと思います。
まぁ、持たせて放置するような使い方は良くないとは思いますが、親子で楽しめるような使い方をして、子供が周りに迷惑をかけないようにするのなら構わないと思いますけどね。
公共の場で泣く子は気にならないけれど、泣く子をなだめるやり方がうまく子どもに伝わっていない大人が多いのが気になります。たただ「静かに」だけでは、子どもはどうしていいかわからない。「お母さん、こうするといいよっ!」ってアドバイスしたい欲求に駆られます。。とにかく公共の場でだけ言うことを聞かせようとしても無理があります。(乳児さんはまだですが)子どもの自主性を尊重するのもいいけれど、親が主導権を握らないとね。
又、時々この動画を見せれば絶対泣き止むと言った取り上げ方も見られ、何か中毒性があるという印象を持たせることになり、子供に悪影響ではないのかと言う考え方に繋がっていると思います。
当事者でない外野の人間は傍から見た印象で判断してしまうのが世の常で、こういった批判はどうしても避けられないものなのではないかと思います。
確かに、スマホに子守りをさせるのは非常によくない行為。何故って理由は気になる方は調べてみてください。
ただ、私が思うのは「常にスマホで子守り」はダメ
場所や状況によっては、テレビだってスマホだって利用していいと思う。
要はメディアを上手に使えば問題ないって事。
うまく使えば親子はもちろん周りの大人だって気持ちいいはず。
ぐずられてイライラする気持ちを少しでも楽に出来るのが親にとって一番大事なんじゃないかと思うけど、スマホを使う時間をちゃんと考えて与えれば問題はない。
一番止めてほしいのは「どんな場所でも常にひたすらゲーム」
電車、お店、病院…あげくの果てには歩いたままDS。ここ数年すごく多い。あれが一番迷惑だし不愉快。どの面下げて「親です」って名乗ってるんだと思う。
スマホを見せても良いと思います。
しかし、接客業をしていて気になる点を一つ挙げれば、
そのスマホが、気を紛らわすための音量にしては大きすぎること。
ゆったりと商品を見ている周りの大人たちが、知育アプリの賑やかな音声に、一瞬で空間を台無しにされているような状況です。
親御さん、ここはあなたの家じゃないんです。
「場にあった音量」というのはせめて、子どもに言って聞かせませんか。
せっかく外でスマホを見せるのなら、学習の機会にしませんか。
スマホを見せてもいいけれど、あくまで「静かにしようね」です。
子どもは騒ぐのをやめたけれど、スマホの騒音が鳴り響いてる状況は、
結局子どもが騒いでることと同じなんです、周りからすれば。
一部の親のそういったちぐはぐさ、センスの無さが、結局子連れの親全体の印象を悪くしているのではないでしょうか。
「時代だねえ」なら別にいいのに、ネガティブなニュアンスで聞こえる声で言うのはなあ。
男女問わずこういう人いるけど、年配の女性にはこういう人多目な気はします。なんでやろ。根本的な話で言えばスマホ育児は理想ではないけど、理想通りにすべてやれる育児なんて絵に描いた餅。
ワンオペ強いられてる女性にも、育休取れず残業も断れない男性にも、もちろんワンオペ強いられてる男性や残業続きで育児に携われない女性にも、もっと優しい世の中になれ。
ドイツ人に聞いたのですが公共の場所で子供をむずがらせると子供には全く責任がなく親の責任と認識されるそうです。子供は乳飲み子でも親を見て反応するのである程度は親の反応で子供も適応するらしいです。ただ痛いかゆいは仕方ありませんが 安直な手段でなく、親が何とかしようとする努力は大事なコミュニュケーションで周りの人も理解してくれる人が多いと思います。泣きそうになりながら必死になだめる姿は お母さんがんばって、と思ってます。
ぐずっている2歳くらいの子供にタブレットで動画を観させたら、一心不乱に観て落ち着く…関心したけど、タブレットをしっかり持って観ていることに驚いた。ちょっと微笑ましかった。
一方で、母親はスマホに夢中。
確かにお母さんにも自分の時間が必要だろうと思う。
街でベビーカーを押しながら、スマホに夢中になっているお母さんにも同様の違和感を感じる。
「今の人たちは…」的なことをいう人たちは、自分が頑張ったことをアピールしたい人だと思うので、無視すればいい。
むしろ「今はこういう便利なものがあるんですよ」と言ってあげればいいんじゃないかな。
ただ、子供第一主義でやってきた人たちのメンタル部分は尊重すべきだと思う。
こうだから良い・ダメとかではなくて、純粋に子供のためにどうしたらいいかという姿勢で物事を見つめることが必要じゃないのかな?
相手に聞こえないと思っていたとしたら、それこそが一番の問題である。
子育ては悩みながらするものだ。
悩むことを忘れて子育てすることが一番良くないと思う。
筆者がデリカシーの無い年配者に遭遇したことは気の毒に思うが、
スマホを子供に与えるならば、スマホであやすことを悩み続けて欲しいし、スマホ以外の方法についても色々と試し続けて欲しい。
子供がスマホに依存し過ぎない微妙なバランスは本当に難しい。
スマホを一切与えないことが一番良いのだけど、
デジタルネイティブが大半の時代では、よほど裕福で無い限り子供が不利になってしまう可能性がある。
親は悩みながらも、与えたスマホの有害性を子供に諭し続けなければいけないと思う。
時代で変わったのは大人であって、赤ちゃんはその大人から与えられてスマホや動画等を知るんですよね。
子供が不安がったり、機嫌が悪くなった時、初めからそういったものを見せるのではなくて、まずは試行錯誤してあやす方法を親子で探してみてほしい。もしかしたら、暑くて不快なだけかもしれないし、空調が直にあたってうっとおしいのかもしれないし、ただ撫でてほしいだけかもしれない。
そのメッセージをキャッチしてあげようとしない親をよく見かけます。
だから、ぐずり始めると自分の子なのにあやす方法がわからない…一番身近な親が分からないことは、他人様はもっと理解ができないのです。
家では子供にスマホは使わせないけど、どうしても外出先で静かにして欲しい時にはアニメを見せてます。
それより今は祖父母に見てもらう機会が減ってるのも原因だと思うけどね。
待機児童が多いのが社会問題になってるけど、保育所が必要な児童が昔より多くなってるんじゃないかな???
問題なのは見せる内容そのものではなく、(勿論内容も大事ではありますが)
家の外(公共の場、レストラン等)でぐずって欲しくないから、またはぐずり始めたから見せるにしてしまうと、端末なしには静かになれないような癖をつけてしまうこと。端末に頼らないと落ちつけれない子になるということ。自分の力で静かにしようとしたりする力を育てる機会を奪っていることだと思います。
ぐずる子に端末をあげてしまえば、その場しのぎにすぎないと思います。子供がぐずるのは当たり前、、、それを見守る寛容な社会が必要。子供をあやしてくれる親切な人がいた時、とても有り難いと思う。そして自分が子育てを終えた時、困っているお母さん達をそうやって助けてあげたいと思う。
スマホ欲しさに癇癪起こす子、スマホを取り合いケンカしている兄弟、だらしなく座ってスマホ触る子、母親同士でしゃべりたいために子どもにスマホ触らせている母親。スマホを見せるから落ち着きがないのか、落ち着きがないからスマホを見せるのか(たぶんその両方)、機会使用であれ、スマホを使っている子どもはそうでない子に比べて落ち着きのない子が多いと感じる。そういう子たちを見ると、スマホを与えることはいいこととは思えない。子どもには悪影響だと思う。落ち着きがない子だからと言ってスマホに頼るのは、その性格を助長しているように思う。
スマホは一度見せると、ついついが増えてしまう。最初からあまり触れさせない方がいいものではあると思う。
成長に与える影響が問題点だと思っている。
子ども自身が手に持って見るケースも多いだろう。そのときの眼球との距離は?
当然子どもの腕の長さは大人よりも短い。30cm離れて見れば長い方で、20cmとかそれ以下のケースもあるだろう。
近くを注視する時間が長くなれば、それに合わせて眼球が成長して奥に向いて長くなってしまう。球が本来の姿なのに卵形になると言えば想像しやすいだろうか。成長時期だから骨格も長い眼球が収める形に変形し、ぜったに治らない近視になってしまう。
子どもに近視になって欲しいと願う親はいないだろう。
スマートホンに限らず、近くを注視するのを長時間続けるというのは、そういうリスクがあることをちゃんと知った上で子育てをするべきだと思う。
自分たちの時代は、これが小さな絵本だったり、小さいおもちゃだったりした。これがスマホになったわけじゃないと。だが小さくてより万能なこの魔法の機械、ぬいぐるみで黙らせるのとはわけが違う。
時代が違う、わかってくれと言われても、
大人でも依存生のあるものを、伝家の宝刀の様に出すのは褒められたものではない。
まずは、公共の場では何もがなくても静かにしなくてはいけないということをしっかり教えて欲しいと思う。まずは、だ。
スマホが存在する時代に、使わないでおくのは逆にしんどいだろう。でも、楽をせず、戦ってみて欲しいと思う。必ず後で効いてくるはずだから。
結論からいうと、ぐずるこどもにスマホで紛らわせるのは、こどもの感情を育むのに相当な害があるということです。
それを時代だからとか仕方ないからという一辺倒で片づけてしまうのは大人の怠慢です。
ぐずるという行動は、親へ愛を求める行動として認知されています。
それをスマホでそらす行為は、親からの愛を受け取ることができず無感情なこどもになる大きな要因であると結論づけられています。
十分な愛を知らず大人になることは、自分以外の人間に愛情を与えることもできないことにつながります。
本当の意味でこどもの視点に立った大人の目線が必要になってきます。
泣く子どもをうまくあやせない親が悪いのではなく、それを見て暗い感情を抱き、その感情を言葉あるいは文章にして無遠慮に発信してしまうような方にこそ大本の原因があるのではと思ってしまいます。
もちろん人だけでなく、環境にも問題があることも多々ありますが。
確かに子どもは遠慮なく声を張り上げて泣くのでうるさいです。
でもそれは仕方ないことでもあるんです。
それが子どもの仕事ですから。
仕事をするなとは言えませんよね。
たとえ時代が変わっても、変わらないものや変えられないものもあるんです。
時代変化で子どもが泣かなくなるなんてことはありません。
スマホだろうがなんだろうが使えるものは何でも使え。
子育てをされてる方々の本音を言えばそうなのではないでしょうか。
スマホが無かった所であやすのに使うのが絵本や人形やおもちゃになるだけだからそんな大差もない気はする。
ネット社会だからすぐに愚痴を晒されるというのはあるかもしれないがそんなのを気にしてたらきりがないし、目の前で文句言ってくる人ってそこまで多いのか疑問。
あやそうともしないで話やスマホに夢中な母親や、子供が泣いたら対話もせずにスマホ見せるだけの母親はひそひそ陰口叩かれてるかも知れないけど…。
昭和はおおらかだったかも知れないが、スマホ出てくる前、1990年代とかは既にマナー等もそれなりに厳しかったと思うけどね。
子育てで周囲の非寛容を責める前に、子供と向き合って愚図る前に言葉が話せればちゃんと聞いてやるとか、話せないならそれなりのあやし方もあるんじゃ?
優先席側でスマホあやしをすれば、非難されても仕方ない。あそこは、基本的にスマホや携帯操作を歓迎しない人もいる。
子育ては今は大変だと思うが、世間が非寛容になった要因は近所など社会への繋がりが希薄になってきたのもある。
今回のような事例であれば、子供のぐずりに対して自分の不甲斐なさを「他に当たる」ような考えがそもそもの誤りだろう。実際は普段から子供に頻繁にスマホ動画を見せて宥めたりしてるからか、自分達親が使用してるのを見せているからか。
ある程度の人は寛容だよ?母親と一緒に宥めるのを協力する人もいる。
妻は積極的に子供と電車移動するのですが、極力スマホには頼りたくないという信念から、自分にはできませんが、スマホなしで1時間連続で電車に乗る方法を編み出してました。コンパクトな絵本なりおもちゃなのですが、泣きそうなレベルに合わせて何段階か準備があって、鞄のどこになにがあるかが分かっているようです。移動時に興味がでるように日常から移動時を想定したおもちゃ遊びをしているようです。最後の一手で新規のおもちゃを用意してるみたいです。この結果、大変ですが周りから何か言われるよりも一緒になってあやしてくれる人が結構多いみたいです。結局スマホだと周りがあやす事を手伝えないのだと思います。
まずこのニュース自体に疑問です。
こういう事をテーマにするから非難を助長させる気がします。
非難する人は、自分が気に入らないことならどんな事でも非難しますからね。
そして、そもそも物事に否定的な人達はたいがい無責任です。
なので、そんな人達の話に耳を傾ける必要はないと思います。
一日中ずっとスマホを持たせている親なんてそうそういないですよ。
上手にスマホも使って、適材適所で子育てをすれば良いと思います。
観せる動画によっては言葉を覚える速度も上がるし、色々なことを考え、学ぶ力も格段に上がっていきますから。
偏った見方で批判するのは無責任でありナンセンスです。
スマホはあくまでも道具ですから、要は使い方だと思います。
しかし、四六時中スマホを与えて、小さい画面に食い入るように幼児が視ていると言うのはさすがにいかがなものか?と思います。
電車の中や車の中で外の景色やつり広告など周囲の情報を取り込むように促すのも幼児教育の一つだと思います。
子供がぐずったりはしゃぎまわるのは表現が未熟だったりルールを知らなかったりするからです。
嫌な顔をするのではなく、周りの大人が注意したり、あやしたりする余裕が欲しいです。また、親も自分の目が行き届かないことは自覚しているでしょうから、周囲の大人から子供が注意されることに反発しない気持ちを持つことが地域で子供を育てるということになると思います。
ただ、いまの時代の背景にあるのは、たまたまスマホだけれども、スマホをあたえても、騒ぎたてる子って、元からの性格がありますし、それなりの寂しがりやなんじゃないかと思います。仮に、どうしてもスマホをあたえても騒ぎ立てて止めないお子さんであれば、一度子どもを受け入れてもらえるメンタルクリニックに見てもらったらいかがですか?社会の皆さんも、是非子供に寄りそってあげ、ある程度親御さん側にお声がけをしていき
また、親御さん側は、きちんと子どもを管理し、責任をはたしていく!間違がっても子どもを野放しにしない!それが、大人としての社会責任だと思いますし、是非世間の皆さんも、そういう子どもがいたら、積極的に親子にお声がけをしていき温かく見守っているのが日常になり、楽しくて穏便な社会づくりになっていったらいいなぁと私は考えます。
ぐずる子どもを懸命にあやしても、舌打ちしてくる人はいます。残念ですけど。皆が思い通りの育児は無理です。でもこうやって子育てが厳しいものとなり、子どもを生み育てようとする人が減っていくのだと思います。
人は成長するにつれて、言葉を覚える。
その最初の言葉が「泣く」と言う行動だと言う事を理解する必要がある。
逆に泣かない子だと、これはかなり問題があると思ってもいいわけで、泣くことは、自分の欲求を伝えているにすぎない。
その事がなんで有るか、母であるならある程度理解出来るわけで、その欲求に応えてあげれば、直ぐに泣くやむはずだ。
もし、ご自分の子供が何を訴えてるか分からないという方は、子供の泣き声に耳を傾けて欲しい。そうすれば、自ずとその言葉は、分かってくるはず。
個人の主観だが、電車などで直ぐそばで泣く子が居たら「凄く元気な子が居て日本の未来も安心だ」と安堵することも多々ある。
子育てにスマートフォンを使用するのは悪い事ではない。
しかし、子供が操作を覚えた時に、子供は親に
貸して欲しい、使わせて欲しいとねだる。
今の時代、便利なツールではあるが、そこでほいほい与え、依存させるのは違うと思う。
まずは子供が起きているうちは、親も必要時以外はスマートフォンを使わず子供を構ってあげ、スマートフォン無しで育てていけるような
世の中になって欲しい。
余談ではあるが、親は以前は外食先等で、人が話をしている時に、ゲームをして話を聞かない奴は最低だと子供の頃に注意された事がある。
しかし、親がスマートフォンを持ったとたん、
外食先等では話も聞かず、ゲームしかしていない…。そういった親は、増えて欲しくはないものだ。
1つは子供にスマホを頻回見せても本当に大丈夫なのかとうことと、もう1つは、公共の場での子供のぐずりに不寛容な社会は大丈夫かということと。
泣くことで幼児は親とコミュニケートしようとしているので、見せっぱなし放任は親子関係が途切れて良くないと思う。あくまで一緒に見たり絵本と同様コミュニケーションツールとした方がいい。
とは言え、うちもぐずり時に使った派。効果覿面でついつい頼りがちになる気持ちもわかる。デジタルに強くなった面は確かだけど、切ると不機嫌になる依存傾向も。見せるなら切る練習も必要と今は反省。
もう1つの社会の不寛容の問題は少子化日本の独特の問題なのか、そもそも子供に冷たい国民性なのか根が深そう。子育て中は全く他人の子でも気にならないから、やはり少子化少数派に起因するのか。
いずれにせよ乳幼児は泣くのが仕事。子供が堂々と泣けない国は将来が危ない。
ガマンを覚えさせるチャンスでもあるのに。
自分や妻の場合は出かける時に子供の目を見て諭すように話しをしてから出かけてた。また、時には叱り、時には褒めるも繰り返してきた。
レストランで食事をしていた時に、食べ終わってない場合でも機嫌が悪くなっちゃう時は最悪途中退席もしてきた。
そんなやりとりを繰り返して来て結果3歳にはしっかりと我慢が出来るようになった。
スマホなしでは静かにならない子供は、本人がこれからの人生苦労していくと思うなあ。
子供本人の為にもスマホを使うのは良くないよ。
けど、「ぐずる→スマホ」が定着してしまうと、子どもはスマホ見せてくれるまでぐずることが出てくるかもと思う。
「昔はテレビが〜」だったけど、録画ができなかったから、リアルで観られない時は我慢?してたし、録画見てたとしても家でしか観られない。
スマホが普及して何時でもどこでも「退屈しない」状況が可能になっているので、気をつけないと、「聞き分けのない子」に、親がしてしまうかもしれないと感じてます。
保育園の新設にしても、年寄りどもが、子どもの声が迷惑などと言う訳の分からない理由から反対しているとニュースで見た。
お宅らにも小さい頃があって、お宅らにも子どもが居て育てて同じことやってた事をどう振り返るの?!と思う。
年寄りは、本当に自分のことばかりしか考えていない。
将来に残される人たちの事なんて考えてるのはごく僅かなんでしょう、きっと。
そんな反対ばかりしてたら、じゃあどこに作れば良いの?!
自分の孫が同じ状況でも同じ事言えんのか!?
と怒鳴りたい。
私は結婚もしてなければ子どもも居ませんけども。
ただ、逆に言うと、スマホを使わないとあやせないというのも親の問題だと思う。
状況とかにもよるかもしれないが、動画以外にもあやす方法を多く持っておく必要はあると思います。
・大人でも歩きスマホをすると周りが見えなくなり、他人に平気でぶつかってくるのと同じく、スマホを子供に持たせるとスマホ以外の物・人に関心を持たなくなる可能性があること。例えスマホの画面に映っているものが絵本やテレビと同じものでも、絵本なら本棚の整理整頓の仕方やテレビならテレビの周りを動く人の動きを気にしたり、逆に他人がその人(子)の関心が何かをぱっと見で把握することができる。
・スマホなどの機械が発達すると人間の技が減るのでは?という概念がある。つまり携帯やカーナビなどの通信機器が普及してから電話番号や道順を覚えなくなったり、漢字が書けなくなったなど。
このご時世、スマホも大いに活用すれば良いし、過度な非難は聞き流せば良いのだが、学生時代から携帯ばっかり使ってきて、スマホ教育の代案も思いつかず、結局スマホに頼る親が結局、更なる他人の非難を受けるのでは?
スマホ育児の問題点(かなぁと、個人的に思っていること)は、伝家の宝刀ではなく、ぐずればスマホで遊んでもらえる、といった状態、謂わば、親のみならず幼い子どもまで、スマホ依存の状態にさせてしまうことにあるように思います。
ツールとして存在するものを使うことを非難されるのは違和感もあるものの、これだけ依存性の高いスマホが、子どもたちにどのように作用するのか、不安を持つことも理由はあるように思うのです。
でも、地下鉄でベビーカーを開く側のドア際に置いたまま夫婦で座ってスマホ見てるのに遭遇した時はドン引きした。着く駅着く駅で乗客が乗り降りしてるのに、ベビーカーには目もくれず…。こういう親がいるんだな…って悲しくなった。もしかしたら事故的なことで赤ちゃんが怪我するかもしれないのに。夫婦仲睦まじいのはいいことだけど、子供を授かったなら大人なりの配慮…気配りは必要最低限の義務ではないだろうか。
理由としては、やはりブルーライトが目にとって良くないということ、また、スマホを覚えてしまうと後々何度も見たくなって、これもまた悪循環になるであろう等々。
昔とは時代が違うからこその、気遣いなのでしょう。
便利な世の中になった分、気をつけなければならないことは山ほどありますものね。
今の時代に、子を守り育てるお母さん方、言うのは簡単ですが、本当に大変だと思います。
時代の流れに負けないということは、昔のことも疎かにしないという事のような気もいたします。
無関係の方々とは言え、常識のある親はご迷惑をかけてはいけないと公共機関、施設ではかなり気を使う人も多いはずです。
でもそんなに気を遣ってもその無関係の人からかけられる声にすごく傷つくことがある。
もちろんその逆で、ものすごく慰められたりありがたいこともたくさん経験してきました。
子育て中の親、おばあちゃん世代、その中間の方、若い人、どんな世代でも一括りではなく、良い方も悪い方もいます。
自分は世代や見た目では見ずに人と関われるように努めたいです。
自分が体験してこなかったこと、知らないことに対して、外から非難するばかりの人はとても恥ずかしい人にしか見えないからです。
しかし、今は本当に大変な時代だ。もはや、親子でスマホは体の一部と化し、切り離すのは難しいのではないかと思う。本もスマホで読む時代。
でも、スマホを介さず、子供と触れ合う時間が大切であることは確か。
今、子育てをしていたら意志の力でスマホに頼る時間をコントロールできたか?と怖く感じる時がある。
スマホであやしたせいで何かお宅に迷惑かけたかな。
いろんな事情があるしそれを他人は知らないし。同じ事情状況でもそれぞれ能力や性格が違うからもっと良いやり方で頑張れる人もできない人もいるし、べつにいいやっていう人もいる。
人のことを平気で攻め立てる人のほうが許されざるべき。
小学校中学校高校のまだ学生のうちに自分がすぐに理解できないこともあるよ、すぐ人を非難しちゃいけないとか教え込まないと社会は悪くなる。
こういう事情があったりするんだよ。でも子供の目に悪いからできるときはほかの方法取れたら取ってみようねとか。
何を見せてるかとかは問題じゃなくて。
せめてイヤホンでも使って。
スマホとかタブレットで大人も暇つぶしたるんだから、使うことには全然問題ないと個人的には思っています。
時代のツールなのだから。
ただ、音垂れ流しは迷惑になってるのは事実です。
子供は公共のマナーとか理解できないから大体音が出ないとかならグズる子もいるけど、ちゃんと理解出来る子もいます。
要は親の教育次第。
すごく迷惑なので音だけは出さないようにしてお願いしたいですね。
もし、それできないなら与えないでほしいとは思う。
いつまでも泣き止まなくても文句を言われ、とりあえずスマホで動画などを見せて泣き止まそうとしても文句を言われる。
どちらにしても結局難癖付ける奴はいる。
個人的にはスマホでなだめるのはアリだと思うし、助かる場面はかなり有ると思う。
ただ、小さい頃から過度に動画などを見せて、スマホ依存みたいな感じになるのは良くないとは思うので、難しい部分があるのは確かだとは思う。
当事者は非難の目だと錯覚してしまいがちです。
スマホも出来る事なら使わない方がいいとは思います。
ですが要は愛情、接し方の問題だと、
ぐする子供にスマホを見せているだけの方も多々見受けられます。
動画を一緒に見て話しかける余裕、子育ての仕方は必要だと思います。
ところが大人しくしている子供を隣に座らせ自分はスマホに夢中になっている親たちが増えています。
これはいけません。
子供といる時は子供の目線になって一緒の景色を共有しましょう。
そのぐらいの余裕と覚悟がないと行けません。
選択肢の1つではある。
操作に慣れておくのは毛穴から取り込むのに近い。
将来について悪いことばかりでも無いと思う。
つまりは
使いようではないだろうか。
「与えっぱなし」では「手抜き」と誹る人も出てくるでしょうね。
今の日本ならばよってたかってリンチ的粛正行為となることもあるかと。
時代性を否定し我正しいと新しい可能性を否定するのは愚かで。
「技術立国」を目指すなら進歩を否定するのは愚かで。
むしろ取り入れるにはどうすべきかを考えるほうが価値的。
与えればどうなるか?を注視し「ツール」を上手く使うのも親の度量の1つ。
なんの「目的」もなくただ「ラクをしたい」と見えてしまうことが非難の的の結末に思えます。「これがこうなるのこういう仕組みだから」というとこまで将来に興味が湧くなら悪いことばかりと考えるべきではなく
「興味」を湧かせ「想像力」の切っ掛けにもなる可能性もある。
親はどうすることもできなかった。
スマホを肯定する人はそう考えるのでしょう。
なぜなら、他に方法がないのですから。
スマホで子どものご機嫌を取る。
それ以外考えつかないからだと思います。
そうだったのでしょうか?
違うとすれば、他の方法があったということになります。
それは何だったと思いますか?
わかるか、わからないか、それは想像力の有無が分かれ道です。
子どものご機嫌を取るのが正しい、あるいは手っ取り早い。
子どもは、ぐずれば欲しいものが手に入る、大人は言うことを聞いてくれる。
そう学習するでしょう。
それが今の子どもです。
気に入らないことがあれば、暴れればいい、キレればいい。
子どもの起こす問題のほとんどは大人が作っています。
かなり違うと思う。
普段から躾もせず、また一緒に遊ぶこともせず、
ずっと見せっぱなしはまずいとおもう。
でも、それこそ公共の場で
周りに気を使ったからこその、
あやして見せるのはいいと思う。
それよりも
子供から目を離してスマホを見てる親の方が
よっぽど避難されるべきだと思う。
子どもにスマホを見てほしくないので、スマホ利用者ですが、子どもといるときは出来る限りスマホを触らないようにしています。
親がスマホを見てると、子どもは「この機械は楽しいものだ」と認識します。そしてそのスマホからは多くの楽しい情報が次々湧いてくる。
でもスマホをしているときの脳は殆ど活性化していないらしく、成長期の脳なのに‥と思い。。
ぐずった時、うちは絵本を読んだり環境を変えてやったり、飽きてそうだったら(大人都合ではもう少しいたいなーと思っても)すぱっと諦め帰ります。
普段から家でスマホ見ているのに、外でスマホがないとつまんなくてぐずるというのはあるかもしれません。またぐずる理由がスマホで解決しないところにあるのかもしれません。
スマホは楽しい、でもその前に、スマホは気軽じゃない、危険、というネットリテラシーも年齢に応じて教えないといけない。スマホ問題、難しい。
団塊の世代だって、子どもを放置して井戸端会議をしていたではないか。
ただ、あの頃はまだ地域社会があって、それが面倒や世話をしてくれていただけである。
人それぞれに事情があり、他者を許容する心があれば何の問題にもならないことが大きく取り上げられてしまうのは、少し悲しくもある。
大人でさえ、スマホ手放せない人だらけなのに子供に都合よく見せてクセにならないはずがないですよ。
周囲に迷惑がかかる時などは有りかも知れませんが、できるだけ違う方法とったほうがいい気がしました。
あと、子育て大変なのはわかるが、息詰まるとか本当に子供の事愛しているのかな?と感じました。一日中みていて大変ですが、子供は毎日成長してます。楽しく子育てしてます。
大変なのは当たり前。だと思っています。
ただ、バス停の設置物に子供がよじ登り、バランスを崩して、倒れたら、そこは交通量の多い道路、なのに、お母さんはスマホに熱中。また、子供が公共の場で、走り回っても注意しないお母さん、これには、何とかして欲しいと思う時も正直ありますが、
子供の泣き声がうるさいとか、保育園に苦情とか、日本も変わってしまいましたね。もっと、暖かく見守ることは出来ないのかなーと思います。
かつては、自分も赤ちゃんで、子供だった時もあるのに。
小さい子だと、持ち物多いから絵本だとがさばるしスマホ1つで絵本も動画も見れるなら使える時は使うべきだよ!
昔と違って、子供が騒いでいてもにこやかに見守ってくれる大人が少なくなっているんだから、バスや電車で大人しくしてくれるなら使う!
うちは田舎なので常に車だからたまに乗る電車やバスには感動して凄い静かだったんだけど、病院や役所では落ち着き無かったので、見せてたよ!
スマホになったきっかけは、一度役所で絵本持って小声で読み聞かせながら待ってたら、じぃさんにうるせー子供なんか連れてくんなって、怒鳴られた事あったんだよね!
その時は、まわりの人もじぃさんに反論してくれて事無きをえたけど、無音で動画で大人しく楽しんでくれるなら良いかと思うんだよね!
変なのに絡まれてもコッチが危ないし…
臨機応変だよ!
子育ての道具でそのときの最先端のものを使えば必ず文句を言う人がいますよね。テレビ、ビデオ、ゲーム、そしてスマホ。でも今は使わないほうが無理な感じがします。正直見ていると違和感を感じる自分もいるのですが、仕方ないでしょうという感じ。
公共の場で、お母さんお父さんは本当に大変そう。子供がギャン泣きしてもみんなスマホをしながらしらーとしている環境がさらに孤独感を増してしまうと思います。どなたかが書いてましたが、そういう場に遭遇したら本当にただ微笑んで「そこにいていいんだよ」、「大変だよね子育て」っていうサインがちょっとでも送れればいいんだと思います。
スマホを預けて育児放棄をするのはいけないが、
公共の場所で騒いで、言う事を聞いてくれない時には、やはり周りに迷惑をかけてしまうので見せてしまいます。
それをいけないかのように言う理由がわからないですね。
自分が子育てをしていた頃は、絵本を読んであげたり、あやとりをしたり、それと同じ事だと思うのですが…。
時代の流れや、若い人の立場や…。
人のことを批判ばかりする世の中で嫌だと思います。
それをダメだと言うなら、泣いたりしてても文句言っちゃいけないと思う。
小さい子どもは、大人の思う通りにここは静かに、ここは騒いでもいいなんてわからないと思うし。
ただ、それを親が当たり前だという態度をとるのも違うかような気がする?
みんながお互いの気持ちを気遣い合えるのが一番いいですよね。
スマホに頼る事に罪悪感を感じるなら使わなければいいと思う。
でもそれ以前に、そんなに周囲に気兼ねする必要はないのに。
子育てママはもっと開き直っていい。
一度スマホを使ってしまうと、幼児もその面白さがクセになり、今度はスマホを使わせてもらえないことが愚図りの原因になりかねないので、私は使わせずに開き直って愚図らせていました。
電車内で泣くようなら、空いているシートに立たせてみたり、社内を徘徊させてみたり。体を動かして気を紛らわせてみたりした。
混んでいる車内では身動きが取れないので、ひどい泣きぐずりの時には一度下車したこともありましたけど…。
他人への迷惑を気にするあまり、我が子をスマホ沼に踏み入れさせるなんて自殺行為ですよ。
愚図る子の迷惑は一時的なことだから、そこまで肩身の狭い気持ちを持つ必要はないと開き直ることが大切だと思います。
上の子どもはスマホはなく、騒ぐとオモチャや店の外などでていったものです。今はスマホで便利になり、騒ぐと見せます。
外に出ていってみんなといられないよりも、スマホを見せて笑いながら、うさぎだねーと横から声をかけてみんなと食事ができるようになりました。
スマホを渡し、何もしないのはどうかと思いますが一緒に見ることや、声かけなどしていれば問題ないのではないのでしょうか…。人それぞれ考えは違いますが、過剰な与えかたではない限り周りにも気を使える、自分も楽しめる、子どもにも退屈させないものになってます。
うちの子供は5歳ですがまだ小さい頃からスマホ使ってますがなんの問題もありません。むしろ良いコンテンツからは色々と学んでます。もちろん使用時間やコンテンツは親がきちんとコントロールしてあげる必要はあると思います。
子育て頑張ってる皆さんは素晴らしいのです。無責任に非難する声は気にせず、もっと皆んなで自信をもちましょう!
使い方は議論があっても、技術は生活を豊かにする為の物だから、有効に使いたい。別に使う選択をされない方を否定する訳では無いですが、子供の学習能力に日々触れていると、驚くスピードで学習する。管理は必要と思うが、なるべくふだん大人が、触れている物で子供に触れさすことに抵抗があるものでも、有効なら使用する機会を与えるべきと私は思う。
そんな経験の積み重ねた子供に将来の技術革新も期待したい。
スマホ動画使用論から少しズレてしまったかな?
私の時は〜とかオバさんが何気なく言ってるのを聞くけど、あなたの時代は皆働いて無かったでしょう?
家は一軒家が多くて家族も多い、近所付き合いもあって親戚も近くに住んでる、
外に出れば子供だけでいくらでも遊べた。
これだけ環境が変わったのに同じ事を求めないで上げてください。
電車や飛行機で必要なのは子供を泣かせない工夫で無くて、周りの人が『大丈夫だよ』『大変ですね』と声をかけてあげられる空気、それを信じられる雰囲気だと思う。
よくある批判の子供を放置する親はほんの一部でそれが目立つだけ、それすらも周りの大人が叱れる雰囲気があれば解決すると思う。
日本で生きて行くなら一番大事なのは子供を増やす事、そんな当たり前の事解ってない人が本当に多いと感じる…
誰もがどこででも自分の意見を主張できる時代になって来て、「自分の責任の及ぶ範囲で発言する」と言う前提を勘違いしている人が増えているように思います。
今回の事例では、その子供を育てる責任を負うのはその子の親であって、周囲の第三者ではありません。第三者が口を出せるのは、その迷惑行為が自分に及んだ時、かつ、その程度に応じてに限られます。
各親の育て方も違えば、子供の個性も皆違います。私から見れば、子供をおもちゃや他の物で釣るのも、スマホで釣るのも何ら変わりないと思えます。子供は動きのある物に興味を示すものですから。
難しい問題だね。
1歳半に静かにね。の本当の意味が理解できると思ってる時点で違和感。子どもは飽きたり、暇だからで泣いたりはしない。泣く=不安、緊張、居心地の悪さ等何かしらのヘルプサイン
親は大丈夫。怖くないよ。私がいるから安全だよ。一緒にこの時間を楽しもうね。でコミュニケーションを取る。
スマホは子どもの気をそらすことは出来るけど、不安を取り除いてくれる訳ではない。
泣く子どもの気持ちを受け取る事で安心させ、信頼感を築く機会なのになと20と23の時に出産した現32歳の母親の独り言。やれば出来る。自分の子どもより周りを気にしてやらないだけでしょ。
昔スマホの開発者は自分の子供たちが小さい時には絶対に使わせないとの記事を読んだ気がする。
親も外出先で泣いてるときだけね…から結局次第にスマホに頼る回数が増えて、子供は1歳そこらでスマホを使えるようになって、見たいみたいと求めて泣き叫んでくるから。
本屋で親は立ち読みしながら、売り物の本の上にスマホ置いてベビーカーの赤ちゃんに動画見せてる人を見たときは本当に残念に感じた。
繰り返しになるけど腹がたつのは子連れだから騒いでも泣いても暴れても当然の権利と開き直って何もしない親に対してだけです。親が頑張ってもどうにもならない時があるのは理解してる人の方が多いよ。
うちは5人いるけれどやっぱり上の子が下の子の面倒を見てくれるし、子供同士で遊んでくれて出掛ける時のルールとかも下の子に教えてくれるし、何かしたらすぐに注意してくれる。それだけでかなり負担が少ない。
昔なら尚更子供も労働力というのが当たり前で、上の子が子守りをするのは当たり前で親の負担軽減に役立っていたんじゃないかな。
基本です
この記事でいえば周りの声を無視して良い
そういうところにこそ「うちはうち、よそはよそ」と割り切りましょう
「うちの育児はこうなんです」で開き直るくらいで良い
育児は戦争
体面を取り繕うよりも実を取るのが大切です
スマホを使うことでうまくいく状況や育児がうまくいくなら使いましょう
「周りが使わないから使わない」はおかしいと思います
そして「周りが使っているから使う」も必要ありません
「うちはうち、よそはよそ」です
自分が必要だと判断したものを使いましょう
千差万別、十人十色、人それぞれ、人の数だけ形がある
バラバラなものにひとつの正解で固めることは危険だと思います
たしかにスマホが合わない家庭もあるでしょう。そういう家庭は使わなければ良いのです
育児は多数決では幸せにならない、正に戦争ですね
国の数だけ戦い方があるように家庭の数だけ育児も異なります
育てている子どもも違うし、同じ時代であっても家庭の環境も違うし、自分の場合と比べて批判することなんて出来ない。
色んな子育てをしてる人がいるけど、その子の幸せを一番願っているのはその親であるというけとは忘れちゃいけないと思う。
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