電車での独り言、障害のある人が望む対応とは?
【誰だってマイノリティー】注意で「攻撃対象」に……電車での独り言、障害のある人が望む対応とは?
4/5(金) 14:00配信
電車で出会う、「独り言」を話す人たち。一体、どんな理由でつぶやいているのでしょうか?「ちょっと怖い」と思ったことのある人、一緒に考えてみませんか?=(c)Takami Kizu
【誰だってマイノリティー】
電車に乗ると、時折ひとりで話している人を見かけます。「ブツブツと何かつぶやいていて、驚いた」という経験談は少なくありません。実は障害が原因で、やむにやまれず口にしている場合があるんです。ただ、声のかけ方によっては、衝突してしまう可能性も……。障害のある人に聞いた「独り言」を口にする理由とは? 先入観なく向き合うため、どんなことができるのか、調べてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
【漫画】「ブス!」馬鹿にするのは誰だ…って幻聴!? 統合失調症の女性、「独り言」体験を赤裸々に漫画化
実は筆者も電車で移動中、誰もいない場所で話す人に出会ったことがありました。わずかな恐怖心を抱きつつ、距離を取ってしまったことも、少なくありません。
でも当事者の皆さんにとっては、きっと何か意義が存在するはず。そう考え、今回の記事を書きたいと思い立ちました。
この記事では、独り言との関わりが深いとされている、二つの障害にフォーカス。背景事情を深掘りしました。
まずは最初のケースです。分かりやすくするため、架空の物語から始めましょう。
ある朝の通勤時、いつものように電車に揺られているあなた。ターミナル駅でたくさん人が降り、目の前の席が空きました。
「どれ、座って一息つこうか……」。腰をかけ、スマートフォンでお気に入りの漫画を読み始めようとした時のことです。
「スミマセン……スミマセン……わたしだって……」。隣り合った女性が、何やら謝り始めました。話し掛けている方向を確認してみても、誰もいません。
状況が飲み込めないあなた。その場をやり過ごそうと、再びスマホ画面に目を落とし、時が過ぎるのを待つことにしたのでした……。
これ、もしかしたら「似たような体験をした」という人もいるのではないでしょうか?
乗客の女性は、どうして謝っていたのでしょう。実は、「統合失調症」という障害の当事者であると考えられます。
専門家に、少しかみ砕いてもらいしょう。精神科医の阿部大樹先生に聞きました。
◆統合失調症とは?
統合失調症とは、考えや行動がうまくまとまらなくなる状態のことです。およそ二十歳前後に現れることが多く、およそ100人に1人が当事者です。
特徴の一つが、幻聴などの「陽性症状」と呼ばれる症状です。症状が強い場合は、「他人に悪口を言われている」などの妄想に発展する場合もあります。
幻聴が聞こえてくるのに返事をしてしまうことで、周りからは「誰かと話しているような独り言」というように見えることもあります。
お薬を規則的に飲むことで、数か月で症状が落ち着くことが多いですね。
特徴の二つ目は、元気がなくなったり、考えるのがゆっくりになったりする「陰性症状」と呼ばれる症状です。
周りの人にまで気が回らなくなって、「疲れたー」などの独り言が出てくることもあるかもしれません。
陰性症状の結果として情報を整理するのが難しくなり、会話が難しくなる時もありますが、カウンセリングなどを通して生活リズムを整えることで問題なく日常生活を過ごせるようになります。
原因はよく分かっていませんが、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることが原因ではないか、とも言われています。
思春期の対人関係の変化や、進学や引っ越しなどの生活環境の変化をきっかけにして起きることが一般的です。
オーサー報告
私が育った家庭には自閉症スペクトラムの方がいました。いつも何か話をしていますが、私に対しては「工藤啓の啓は、竹下景子さんの景?」というのが挨拶のようなものでした。
同じ生活空間にいれば、それは挨拶のようなもので、子どもでも慣れていきます。「違うよ、拝啓おふくろさまの啓だよ」と答えると落ち着いてまた自分の世界に入っていきます。
それは10年経っても、20年経ったいまも変わりません。特定の時間に特定の車両、特定の場所に座ろうとする男性が最寄り駅にいます。怪訝な顔をされる方もいますが、いつも同じ車両に乗る方々は、彼のために席を空けています。
彼がパニックになることを避けるためという目的もあるかもしれませんが、相手を観察し、理解をしてもっとも安心できる環境を相互に作ることが大切で、それは私たちが日常的にやっていることだと思います。
特別な配慮以上に、相互理解と行動尊重が大切です。
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000002-withnews-soci
何ヶ月か前「お、あの辺空いてる」と思って行ったスペースに「なりきり車掌」タイプの人がいました。
優先席付近だったので「優先席付近では携帯電話の使用はしないでください」ってアナウンス風にしつこく繰り返してる。
でもその当人はスマホいじってるんですが、よく見るとスマホをいじってる手だけ優先席エリアの外に突き出して使ってるんですよね。
たぶんそれは、彼ルールの中では違反にならないんだと思う。
その他も電車が揺れると周りの人に「大丈夫ですか?電車がひどく揺れました、大丈夫ですか」と言っていたり。
悪気はないんだろうなぁとは感じました。
彼には彼の秩序があるんだろうとは思う。
でもその「彼の秩序」を乱した時に、どういう行動に出るかわからないので、やっぱり警戒はしてしまいますね。
一般的な感覚として、ブツブツ言っている人を見たら気味が悪いと感じてしまうと思います。
そういう病気の人がいる、という知識があるだけで、印象は変わります。
まずは、知ることが大事だと思います。
もちろん人によると思うけど、差別してはいけないと言われてもどうしたらいいのかわからないから、当事者や家族からこのように具体的な対応を教えて貰えたらとても助かる。本人だって迷惑はかけたくないはずだから、平穏を保てる環境づくりを周りとともに作れたらいいね。
チック症になった人の漫画を見たが、自分の意志とは無関係に奇声や表情が歪んだりすることで自己肯定感を失いとても辛そうだった。いつ自分や家族がなるとも限らないのだから他人事でなく、知識と理解を高めていきたい。
ブツブツ言っている人が突然大声で暴言を言い始め、少しずつ離れていると怒鳴りながら追いかけてきた時は流石に命の危険を感じた。
満員電車の中で座っていた時は
隣でブツブツと暴言を言い出したと思ったら携帯を出して電話をかけ、下車するまで大声で怒鳴りちらしていた。動きもあり殴られるかと。
それ以降独り言を言う人は怖くてたまらない。
独り言を言ってるだけの人なら全然気になりません、それは統合失調症じゃない人でも多少はあり得ますから。
しかし、突然大声出したり、他者に害を与えてる方に出くわすと、流石に身の危険を感じます。
おそらく街中でも屋外であれば、多くの人が病気の方なんだなと気にしないで普通にすれ違うでしょう。
しかし、電車やエレベーターなどの一定の密室空間で一緒になった時、やはりその場に居合わせた人は、ただ独り言で済む人なのか実害をもたらす人なのか判断出来るまで神経を尖らせて警戒します。
でも、それはそういう人達を受け入れるから自由に振舞っても良いけど、危険と判断されたら忌避される事だと教えてあげても欲しいです。
それでも、仕事で憂鬱だったり酷く疲れていると、満員の中ようやく座れたのに席を移動するのもイヤだし、無視するのも精神力を使うので、つい苛立ってしまう気持ちも理解して欲しい
別に怒鳴ったり喧嘩腰で注意するわけではなく、結局は頑張って無視するんだが
大音量で音楽を聴いて音漏れさせまくってる人がいたとして、「実は難聴で音が聴こえづらいから音量が大きいんです」と説明されても、うるさいものはうるさいのと同じ
「障害だから」と広い心で受け入れられるほど、常に余裕があるわけじゃない
職場で、障害者の方を支援として働いてるのを見ていたので
基本バスや電車のなかでそういう方を見かけたら(あぁ、障害者の方なんだろうなあ)と思うようにしているのですが
とある時
バスの中でカバンからガムを取り出し食べ始めたら
独り言を言っていた女性(たぶん、何度も繰り返すのを言って安心する方)が私を見て
「そのガム頂戴!?」といってきたのです。
もちろん無視できたのですが、あまりにもストレートに言われたので思わず渡してしまったら「こんなのいらない!!」とガムを投げ捨てられてしまいました。
何か私が気に触ることをしたのか、バスの中にいた人はきっとわかってくれたとは思うのですが
いたたまれない気持ちになりました。
決して、嫌とかではないのですが
そうなったときの対処法までは私にはわからず
あのときガムを上げなければ
とだけ今も思います。
やはりそっと距離をとるのが一番だろうか?
ただとても危険な人と、障害でと言う人の境がわからない時有ります。
とても、攻撃的な発言を大声で叫んで居る人も居ますし、笑ってしまう感じの人も居ます。
ただスマホなどは、とても興味があるようで
覗き込んで来たりして恐怖を与える時も有ります。今は医者に見せるようになってきているけど
昔の方が、治療法も確立されて無かったから怖い人居たかも。
それと老人のキレてる人とかは現代病だと思う。人生50年なんて言ってた時代には本当に精神を病んでいる人だけだったので、今の方が格段に増えている。
あるクリスマスシーズンに、オシャレなカフェで障害のある娘さんと父親とおぼしき二人連れが隣の席に座った。お嬢さんはよほど嬉しかったのか、大きな声を出したり、とめどなく何かをしゃべっていた。お父さんは、娘が周りに迷惑をかけていると思ったら、すかさず穏やかに注意をして、あとは娘さんの話をただぼんやりと聞いていた。娘さんの興味がこちらに向いたら、お父さんがなさっているようにできるだけ優しいリアクションをすればよいのだとわかり、安心できた。
独り言というより、怒鳴るような感じで、結構うるさかった。
その女性は子供を連れていた。
子供は幼稚園くらいの年齢で、独り言を話す母親を、不思議な人を見るようにじっと見つめていた。
家の中でもずっとこのような感じなのだろうか、そんな母親の様子には慣れているようだった。
その光景を見ただけではなんとも言えないのだが、その時は正直、なんだか狂気じみたものを感じて、子供を保護してあげたほうが良いのではないか?と思った。
ちょっと怖い経験だった。
往きは電車の車掌さん気分でずっと実況?している人。
帰りは必ずどんなに混んでいても必ず同じ席に座ろうとする人。
二人ともスーツを着ていてそこそこ若い男性。
通勤だからメンバーがある程度固定されているのか、皆
なんとなく暗黙の了解ができています。特に座席。
そこだけ空いていたりする。もう予約席状態 苦笑
ただ、自分に気分の余裕がない時は時々イラっとしますが・・・
さすがに危害を加えられたり、体をベタベタ触られたりすれば対応しますが。
ただ、周りが明らかに聞いてて不快になるような内容を繰り返すや、下の話を大声で連呼している人も見かけるため、そういった人はお互いのためできる限り介助がついた方が良いと思います。
それを差別と言われたら、そうなのかもしれないですね。
電車の中だと次の駅までドアは開かない密室です。相手がどういう人物か分からないんだから少なからず恐怖心を持ってしまうのも仕方ないと思いますが…それで距離を取ってしまう気持ちも分かります。
誰かに危害を加えるつもりはない方々からしたら、距離を置かれたら悲しい気持ちになるのも分かります。
うーん、、難しいですね。でも、電車やバス、他人がたくさんいる公共の場で嫌な気分になったとしても、家族や友達、身近の人々がいることを意識できれば良いのかな、とは思います。これはこの話に限ったことではなく、辛い時や悲しい時に味方になってくれる人を思い出すということは誰でもそうだと思います。自分を理解してくれる人がひとりでも居れば救いになります。
そういう人もいるのを知っているから自分を落ちつかせる為に独り言を言っているだけだからと言われても正直怖くて避けてしまいます。
我慢して見ない様にしていたらずっとこちらの目の前を行ったり来たりする人もいますし距離を開けたら怒って追いかけてきた人もいますし、
人にそこまで迷惑をかけていなくても電車の窓を開けないと気かすまない様子で駅員さんや他の人に注意されても駅員さんの目を盗んで窓を開けて顔を出す人もいました。
田舎ならともかく電車も多く線路と線路が近いのですれ違う他の電車との距離が近いのでいつか頭が吹き飛ぶのではないかと思うと気分が悪くて別の車両に乗るようになりました。
他人が配慮してと言う前に治るまで一人で出歩かせるべきではないのではないかと思います。
ラーメン屋に並んでいたら、女性が入ってきて始めは意味不明な単語をブツブツ言い始めていたが、急に列に並んでいた男性客に問いかけをした。男性客は意味不明な問いかけだったので「はぁ」みたいな回答をしたら急に女性が怒りだし大声で叫びだした。
このときは男性店員が「他の客に迷惑ですから」と強制的に退店させたから何もなかったものの、全く会話が成り立たないのでもし人を傷つけるものを持っていたと思うと怖い(これを偏見と言われれば反論しようがないが・・・)。
名前が報道されない殺傷事件はたまに起きるが、実際ブツブツ言う人が人を傷つけるようなケースがあるのかも知りたい。
無知だからこそ知りたいのだが精神障害(或いは知的障害も)が絡む犯罪は全然報道されないし、報道されないことが余計に偏見や警戒を生んでいると思う。
一定の恐怖を持つのは当然です。
それを差別かのように記事にするのはどうかと思います。
確かに世の中には色々な障害を持った方がいるということは理解できますが、障害なのか、薬物か何かで頭がおかしくなっているのか、ということは見た目からは判断できません。
冷たいのかも知れませんが、障害とはいえ明らかに周囲に恐怖を与えるような独り言を発する人を野放しにするのはどうかなと感じてしまいます。
最近はよく突然叫ぶ障害者がいて正直怖い。
わけのわからないことを言う人間がいると不安になってくるのは当たり前です。
私個人が思うのは、よく「障害者にきびしい」といいますが、だからといって「病気だからしょうがない、大目に見てあげよう」という考え方は間違っていると思うんです。
障害があっても、良い事と悪い事の区別を、理解させてあげたほうがいいのです。もちろん、それをする側の認識に委ねられますが。
とうしてほしいか、ゼッケンにでも大きく書いてつけていてくれないかな…。揶揄ではなく真剣に。歩み寄るにはまず知らなくては。症状が人それぞれだというならなおさら。
力の制御が効かないみたいですごく痛かった。
あわてて逃げたんだけど、一緒に乗っていた付き添いの人たち(支援学校の遠足ぽかった)は止めるどころか見て見ぬ振り。
それまで障害者に偏見はなかったけど、それ以来怖くて仕方がない。
障がい者支援の仕事をした時も、記事にあるように、文字、または絵などで次の予定などを伝えていた。独り言を始めた時などは静かに落ち着くまで見守っていた。
今はスマホですぐに情報が調べられる。身近にどうしたらいいかわからない症状の人がいたら調べてみて、対処方法を知る事もお互いのためになるのかなと思う。
そしたらやっぱり距離をとって無視しつつも身構えるしかないのが、一応健常者だと思っている自分に出来る唯一の対処かなと思った。
以前スーパーで明らかに挙動不審な車椅子の方に付け回されて、尋常じゃない様子が怖くて夫に電話して駆けつけてもらったんですが、私が夫と並んだ途端に興味を失ったようで店から出て行きました。
なんだったのか分からないけれど本当に怖かった。悪気が無いとかは知りようが無いし、やはり悪い時の方の対応を考えて動かないといざという時身を守れない。
反応したら負けだなと勿論無視しますが、若い子狙って隣に座ったり、障害だから許されると思うなよ?といつも憤慨しています。
乗る人が自分しかいないときはガス抜きに話しますが、他人が入る時はやはり周囲を確認します。
また、電車の中などで独り言を喋るのを我慢する間はメールで文章にしています。当事者の中には視覚化すると状況が分かる人もいるので、人に送ったりしなければこの方法もアリだと思います。
でも一人だけ怖かったのは、経文を取り出して般若心経を唱え始めた人。
前日までは啓発本を読んでいたから、よほど追い詰められていたんだろうな・・・。
100人にひとりとは、多いですね。
きちんと治療法が確立されて欲しい。
私の中でできている感じです。
第三者である私から見ても
自分の世界で話しているのがわかりやすいから、
お互いの距離感がとりやすく思う。
ただ、幻聴が聞こえて答える形の人は、
正直、警戒してしまいます。
実際、体験を話してくれた人も家族に手をあがているわけで・・。
病院で薬を飲めば落ち着くものならば、
公共の場で怒鳴ったり、何かと戦っていたら、
やっぱり危険と思われてもしょうがないと思います。
その状態と言う事は、
病院で治療を受けていない人と言う事になるのでは?
その様な状態の人が、急に暴れだして危害を加えたとしても、
無罪になってしまうわけでしょ?
難しい問題だと思います。
精神的に追い込まれた時に、心の声(「疲れたー」とか「帰ろっと」とかの日常の事)を、あえて少し口から出してみたらとても楽になったことがありました。それから今に至るまで気が付くとちょっと喋っている事があるけど、溜めない事で安定するならいいかなと思っています。
私も、割とルーティンは安心出来て好きな方なので、この障害の傾向がありそうです。とても勉強になりました。
幼稚園時代も、小中高校にも、クラスや学年に知的障害を持った子が
たまたまいて、毎日一緒に遊んでいたりもしたので、とても身近に感じています。怖がらず、よーく観察していると何をしたいのか、どんなことを考え主張しているのか、そして想像より大人で深い方々だと気づくと思います。分かり合えなくても分かる事はたくさんあります。
薬服用していたのでしょう。いたって普通の人と何ら変わりませんし、とても真面目に仕事なさってました。
記事にあるように、発症したのが高校生の頃だと。
多感な年頃になりますから、発症した時は随分辛かっただろうと思うのですが、前向きながんばり屋さんなので、特段奇異とも思わず普通に接してました。
人によって症状の変化は違うのかも知れないが、元同僚は4年サイクルで体調が変化してくるようでそれもあって退職しました。
統合失調症の人はとても真面目ながんばり屋さんというか、几帳面なタイプなんだと思います。
話変わりますが、此方もたま~に歩きながらとか、バス停で、政治問題か何かで積もる思いを呟いて自問自答することがあります。
だとすれば、此方も周囲から変に思われたりしてたかも…。
見る人が見たら、怖いのかも。
電車の中で、支離滅裂なことを言っている人を見かけた事があるけど、実際こちらにはあまり危害を加えられた事がないので、最初はびっくりするけど、そのままにする。
昔の上司は、電車内で隣の人が疲れたーって言っただけで、異常者扱いしてた。
でも周りが距離を置いてくれた方が、居心地が良かったりするんだよね。
「仕事で疲れているときにいると困る」という意見を見て、これは社会に許容するだけの余裕がなくなってしまったからなのかなと感じます。
「暴力を振るわれた」というコメントに共感が殺到し、「障がい者だから許されるのか」「隔離すべきだ」と言われていることには辟易します。暴力を振るうのはその人の資質であって、病気のせいだとはいいきれないでしょう。
相手の辛さを理解する余裕、自分がそのように非難される側になるかもしれないという想像力、両方が欠けてしまっていないでしょうか。
最初は奇異に感じて遠巻きに見ているだけでしたが、何度か出くわした後は警戒心も薄れてそれほど気にならなくはなりました。
しかし、今度は彼が読んでいる漫画の内容が嫌でも耳に入ってしまい、彼の趣味嗜好を覗き見しているような気がして、気にしないでおこうと思っても何となく気が引けました。
独り言への対応といっても、やはりその内容によりけりですね。
常識ある行動をしていない人はもっとおかしな行動をするかもしれない。
それが暴力かもしれないという恐怖があります。
内向きに障害がある人か外に攻撃的になる人かわからない限り
残念ながら無視して離れる以外方法はないかと思います。
そういう病気があるという事をは広め認知する必要があると思います。
我が家の近所にずっと昔から知っているブツブツ君がいるけど、彼は大体楽しげに友人と話してるし何か議論してる。私には見えないけど、きっとその友人とすごく仲がいいんだろうなあって思うし、ご近所さんだからすれ違う時には挨拶もする。
だからそういう人がいるのは知ってるし、何か実害を加えてくるわけじゃないことも知ってるから電車で遭遇しても特に何があるわけでもない。
その他大勢と同じく私から見れば電車の中の風景と一緒。
けど、全く知らない人が何かあったのかと思わず振り返るレベルで怒鳴るタイプの人に遭遇したら怖いし、近づきたくないし、正直家族がいるなら家族の人がちゃんと見てて欲しいと感じる。
悪気はないのも知ってるし、病気か障害があるんだろうなと理解していても怖いものは怖い。
何でもかんでも平等を謳う人と何でもかんでも批判する人お互いの意見ばかりを優先しないでもらいたいです。
結構、世間の人常識あるし節度ある行動してますよ。
ただ、知的障害のある姉が幼い弟を殺めたという事件があったばかりなので、統合失調症や自閉症の方々についての危険の有無についても踏み込んで欲しかったところ。そこまで記事になっていれば、積極的な無視のレベルでよいのか、それとも積極的な回避(排除ではないですよ)がいいのかの目安に出来たかもしれない。
何年も前に統合失調症の人に子供が歩道橋から投げ落とされたり、殺された事件もありましたよね。悪気がないから、病気だからと無罪では遺族はやりきれなかったと思います。
正直関わりたくないし、子供達がいる場所には居て欲しくないと思ってしまいます。
距離をとるのは当たり前
前に時間ある時にその人を見てたら、番号押さずに直ぐに電話当てて話してるから電話なんかしてないって分かった。
その他にも女児用のマイクを持って歌ってる人とかいつも周りを見ながらニヤニヤしてる人とかもよく見かける。自分が住んでる街は変わった人多いから自分は何も感じないな。
別に危害加えて来る訳じゃないし、日常の当たり前の光景として考えれば良いと思う。
街中でそういう人を見たって恐らく何も感じないと思う。電車って密室だから何か起きたら逃げられないとかそういう事から普段より倍恐怖だったり不快感を感じるのだと思う。
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