まさに表現の不自由…「暴力で封殺するな」? → 現地でプロ市民の抗議を取り上げる 捏造偏向報道新聞~ワロタワwwww
まさに表現の不自由…「暴力で封殺するな」現地で抗議も
8/4(日) 19:42配信
愛知芸術文化センターの前で「表現の不自由展・その後」の展示中止に抗議する人たち=2019年8月4日午後2時17分、名古屋市東区、戸村登撮影
愛知県で開かれている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の実行委員会が企画展「表現の不自由展・その後」を中止したことを受け、企画展会場となっていた愛知芸術文化センター(名古屋市東区)前などでは4日、中止に反対する抗議活動が相次いだ。
企画展は1日に始まり、慰安婦を表現した少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品など各地の美術展で撤去されるなどした二十数点を展示していた。芸術祭の実行委会長を務める大村秀章愛知県知事は3日、テロ予告や脅迫も含め、抗議の電話やファクスが相次いだため、中止すると発表した。
企画展の展示室は可動壁で閉ざされた。4日午前10時の開館直後から壁を撮影する来場者がおり、「まさに表現の不自由だな」とつぶやく人もいた。午前11時すぎには、愛知県江南市の会社員の男性(38)が展示室近くで「#表現の不自由展の再開を求めます」などと書かれた紙を掲げた。
午後2時からは会場の玄関付近で抗議集会が始まった。ネットでの呼びかけもあり、全国各地から集まった約30人が「見たかったのに!! 暴力で『表現の自由』を封殺するな!!」との横断幕を掲げ、「表現の自由を守ろう」と声をあげた。
午後5時には、名古屋・栄に約200人が集まり、少女像などの展示中止を求めた河村たかし名古屋市長への抗議集会を開催。民主政治の実現を訴え、街頭活動を続けてきた市民団体「Antifa758(アンティファナゴヤ)」がツイッターで呼びかけた。
中心メンバーの林晃佑さん(34)=名古屋市=はマイクを握り、「最も批判されるべきは企画展に脅迫めいた抗議を続けた人々だ。河村市長ら政治家の行動が、抗議をあおる要因になった」と訴えた。河村市長はこの間、芸術祭の実行委事務局への抗議電話などについて「表現の自由であり、国民の皆さんは思ったことを堂々と言えばいい」などと持論を語ってきた。
朝日新聞社
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190804-00000028-asahi-soci
騒動の元になった慰安婦像や昭和天皇の写真を燃やして踏み潰す映像などには一切触れず。
愛知県と市の税金が使われていなければここまでの騒ぎにはならなかったでしょうし名古屋市長も中止を求めなかったでしょう。
こういう反日の展示をすれば騒ぎになりすぐに中止を決め暴力や権力に抑え込まれたと騒ぎたいだけだったのでしょう。
「プロパガンダ」はそれ以上でもそれ以下でもないと思うんだけど。
だとすれば、撤去されるのは仕方のない事。
主催した津田大介と片棒を担いだ大村愛知県知事を処する必要が有ります。
そもそも展示内容を市長が知らなかったとして、知ったら中止させるというのは確かに抗議活動で声を上げている人達の言い分が正しく聞こえてしまう。
ただ、今この状況下でこういう展示品を企画する事自体、相当挑発的でもありリスキーでもあると思うのだけど、そこをどの様に考えていたのだろうか。
そして、こういう行動は既に南では当たり前のように行われているのではないだろうか?
姉妹都市や各種企画の延期…。
他にもまだまだあると思うが、こう言った事は今回の展示会中止よりも以前から南で普通に行われていたのではないかと思う。
そもそも今回の対立も日本側は常に悪だという意味不明な南の思想から生まれた偏見が元で起こされたものであり、それをもまた日本のせいにする。
南の指導者と教育が変わらない限り、もう何を言っても無駄だと思う。
やはりこの展示は政治的プロパガンダだったということがよくわかる
そう思うのだが
その辺りも人によって考えは違うのだろうし
『自由』というのは責任と義務が伴うものだが
責任持てない自由というよりは、他の人の迷惑や不利益を省みず好き勝手に無責任を放っている状況
そもそも、見たい人だけで観れば良いのでは?
思想が伴うものなら
作品エリアを分けるなり公開日を分けるなり
思想の選択の自由をキッチリと分けるべきではないか?
思想を伴わないのなら、一緒にしても問題ないのだろうけれども
『不自由な表現』と謳って公開したのだから、
そもそも純粋な芸術の公開が目的ではないのだろ?
人から嫌われ嫌がられるなりの理由が有るのだから、それを理解した上でやっているのなら
選択する自由も拒む権利も容認するべきでは?
単なる押し付けがましいのは、不自由な表現と一緒で、不自由な選択の押し付けだろう?
別に、この30人が「表現の自由」を守りたくて、横断幕にも書いているように「見たかった」のであれば、自分達で金出して、ちゃんと趣旨に賛同してくれるスペースを見つけて展示すればいいだけです。それで見たい人は見に行くし、見たくない人は見に行かなければいい。
問題は、そこに公金が絡んでいるという事と、この記事から感じる「最初から、この結末も考えて企画されたもの」の様な胡散臭さが漂うところですね。反対があるのは分かりきっていた事。そこで「表現の自由を守ろう!」みたいな、論点を摩り替えた記事を発信することで、いかにもこういう動きに「反対するのが悪」とはいかないまでも、反対しづらい土壌を作りたいという、朝日新聞あたりの考えが透けて見えるような気がします。
それとも韓国人なのですか?
そもそも、今回の件は中止する側の誰かが暴力振るったのでしょうか?
権力とか言われるならまだしも。パワハラというつもりですか?
普通なら、施設を使う側が何を展示する等、施設やスポンサー(今回は税金を使いますね?)に開催前に余裕を持って報告すると思うのですが…きちんと伝わってなかったのなら、改めて報告するべきかと。
そこまで全容をはっきりさせてから記事にしてほしいですね。
どうしても展示したいというのなら
「表現の不自由」という企画ではなく
古今東西のプロパガンダ作品を集めて「プロパガンダ作品展」というような企画にして、その中の作品のひとつとすれば問題なかったと思います。
それであれば仮に展示を批判されてもプロパガンダ作品を集めた企画展なんです!で済んだかと。
日本で表現の自由云々言う前に自国の表現の自由が奪われていることに目を向けた方がいいんじゃないですか?
展示を見たくない自由もありますよね。
思いやりのある建設的な意見を申し上げます。
公金を入れる以上、お互いの合意の無い成立はあり得ません。
また、「日中友好」・「日韓友好」って何ですか?
国内で名古屋でのイベントですよね。
全く関係ないですよね。
表現の押し売りが我が儘だってわからないですか?
嫌と思う人には配慮無しですか?
無いとは思いますが、ネガティブ活動資金が入っているのですか?
あ、でも関係ないけど
ライダハン被害者の像があればいいな。
日本とベトナムの友好も是非加えてほしいです。
表現は自由であるべきとなんですよね。
一つの考えしか許さない狭い世界のみが彼らの言う国なのでしょうか。
一つの考えで他者の思想排除。争いの元を作ってますね。飯の種なのでしょうが、平和がいいのでウンザリです。
そもそも開催前の事前のリスク管理の甘さにより、問題が大きくなったものであると思います。その議論と3年後の開催では、未然防止対策をしっかりとやって欲しい。
今回の展示を企画した人間も、中止に抗議する人間も何か同じ匂いがしますね。やりたければ、自分の金で、自分でこさえた会場でやれば良い。表現の自由とは、野放しの自由とは違います。勘違いをなさらぬように。
税金は国民のお金であり、国に納めて、国を運用するために使うものです。
一個人の表現の自由のために使われるべきではない。
これを開こうと思った監督はその辺どう考えているのか謎です。
正直「表現の自由」を盾に出来るような展示じゃないとは思うからやるなら合法的な範囲で抗議するべきだったのは間違いない
ただ普段暴力行為で自分と違う意見を封殺してるような層がキレてるのは違うんじゃないかな
そして津田や大村知事は中止の大義名分を得て不敬や尊厳を傷つけたしているとの批判や支出や展示が不適切などの批判から一転して被害者を装える。
あまりにも都合良く出来過ぎてますね。
犯人が見つからなかったりしたら
「県庁からFAX発信されてたりしてたりの自作自演なんじゃないの?」
って想像しちゃいます。
自由を履き違えた人達が人を傷付ける暴力に使うと規制される様になったり窮屈になるのはどんな物でも同じ事。
今回の展示が美術の名を借りた事実を湾曲させて人に嘘を刷り込む為のプロパガンダであったり、日本の象徴としての尊厳を傷付ける目的物だったりするのは明白だった。
それを美術と言い張りたいなら津田や大村知事の顔を燃やしたりなど悪意の感じられる侮辱する表現があっても許容するのか是非コメントしてほしい。
そう言い張っていたのは朝日や神奈川新聞ですよね?
「表現の・・・」以前に、大きな危険が伴う可能性が大きいならば、中止は当然だと思う。
展示の内容はともかく、怒りがあるならその矛先は、脅しをかけてきた奴等に向けられるべきなのでは。
ちゃんとした日本人ならば、そんなことは一々説明されなくても解ると思うのだが。
子供たちには芸術を指し示す時には質の良いものを見せてあげて。良いものを見る目を養う事が出来ますよ。ギャラリーなどが絶対的に本物を展示しているとは限りません。昔ある所でモネの駄作を見た事があります。今回はこれで一件落着という事です。駄作をわざわざ見に来る方に気の毒すぎますからね。
しかしながら、昭和天皇の肖像画を燃やす画像は、暴力や憎しみしか想起できず、平和に繋がるという解釈はとてもできない。あくまで個人の趣味として展示すべき内容であり、公的援助に頼るべきではないと思う。
生産的な議論を喚起したいなら他に方法はあると思う。最近、芸術やお笑いを政治的プロパガンダに絡める向きが見られるが、結局仕掛ける本人たちに異なる意見を持つ人たちと真摯に議論する姿勢は見られず、目立ちたいだけ目立った後は単なる批判合戦に終始し、国民を分断させるだけとなっている。
津田氏が果たして真剣に議論を喚起することを考えたのか。それとも単なる政治的プロパガンダとして今回の件を意図したのか。氏の今後の行動を見ればはっきりする。
ただでさえ日韓関係が悪化している状態で、国民の税金を投入して反日の像を展示したら、初めから結果は分かっていたはず。
津田監督、関係者はこの事態をしっかり受け止めて、謝罪すべきだし猛省して責任をとるべき。
さらに、表現の自由とは「史実を捻じ曲げそれをあたかも事実であったかのごとく見せる」ことではない。
想定外とか言う問題ではない
はじめから悪意があるとしか考えられない
民間施設を借りて再トライをしてみては?
しかしあくまでも自己責任でお願いします。
その他時代的にだめだったものとか、
いろんな視点での表現の不自由な展示物を出していれば
特定方面だけで炎上することなかったんじゃないかな
それとも炎上して展示が中止されるまでがこの企画展の意図です
って感じ?
これが私企業や私費、あるいは展示内容に同意した人たちの寄付金でなされているなら大いに反対し抗議活動をすればよい。
ただ、今回の展示は先に書いた通り市の公金が入っています。であれば市民に反対されれば撤去も当然、その代表の市長が外せというのはつまりそういうことです。
表現の自由は何事にも優先するものではないです。自分の場所で自分の金で自分の看板掲げてやるなら何を表現しようが自由です。
でも今回はそうではない、他人の、市民の金を使って行った展示です。何者にも縛られたくないなら何者にも頼らずやらなければならない。この展示にはその信念がなかったというだけの話です。
信念も通さずに表現の自由を標榜するなど烏滸がましいこと甚だしく、この件は自分に都合の良い流れに持って行きたいだけのマッチポンプ事案です。
自分で自分を不自由にして喚くやつがあるか。
しかし、今回、問題にされたのは、従軍慰安婦像である。その政治性はあまりに明示的で、プロパガンダそのものと言っても過言ではない。これを税金で運営される公立美術館がやるべきことではないというのは、全くありうべき議論である。これに言論弾圧というレッテルを貼るのは、あまりに為にする議論と言わざるを得ない。
作品が非明示的に帯びる政治性だったり、反社会性をいちいちあげつらうなら問題だが、本件は違う。
言論弾圧という話にしたい勢力が、最初から分かった上で仕掛けた、ある種の政治運動と見たほうが公平な見方だと思う。
だれが暴力で封殺したの?
それこそ表現の自由があるから好きな弾幕掲げてれば良いんだろうけどさ、暑かったし熱中症に気をつけてねみなさん
そんなに見たいなら場所提供してくれるギャラリーさんと団体さんで実費で好きにしたら良いよ
同じ名古屋人として言わせてもらうと自由はあっても住み分けは大事だよ
でもそれが行き過ぎてしまうと芸術という名を借りただけの政治活動になってしまう。
この線引きというのは難しいかも知れませんが、だからこそ「組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、いかにして排除されたのか展示不許可になった理由とともに展示すること」を芸術展として開催することは危うく、公的支援をするか否かは現物を確認した上で多くの意見を聞き、慎重を期すべきだったと思います。
公金を使用しない個人的な展覧会であれば、日本は思想と言論が保証されているので、批判はあれど開催自体に問題はないと思います。
一番は行政の落ち度だけど、開催を既得権益の様に考えて言論の弾圧よのうに抗議している人達は少しズレていますね。
慰安婦像が「正しい意図」で展示される事には一切問題ないと思う。それなら例えばそのカウンターパートで葬られた物も展示するとかして、「これはどちらも表現の不自由の産物です」とでも言う方が、納得して見られると思う。
経済不調の原因や、若者失業率の高い事も、常に自分でなんとかしようとせずに何か理由をつけて責任をなすりつけられないかと考えるクセがある。
今回も全部そう言う自身らの無策によって国内社会が不安定なのを日本のせいにしてくるでしょう。
ヒステリックな不買運動もそうですがいたずらに世論を煽って行くやり方に、変にやり返したと取られない事が必要です。
一見甘いかもしれないですが、それを続けることで、彼の国の言動全体に対する信用度が必ず落ちます。
今までの主張全部の根拠がしっかり瓦解していく様を見届けてあげる「冷静さ」が必要だと思います。
例えば、中国で共産主義批判の展示はできないだろうし、韓国で旭日旗を掲揚することもできない。
反日的な物語に埋め込まれている少女像は日本においてどの程度許容されるだろうかがまさに問われた。なので表現の不自由展。
それは日本社会の自由度、成熟度、あるいはこういう言い方がお好みなら「民度」を測るチャレンジでもあったのだろう。結果として途中で中止になったとはいえ、数日間反日的な展示が可能だった。
日本において表現の自由は現在でもある程度保証されていることは誇ってよいと思う。賛否両論あるだろうが、私たちの国は全体主義国家ではなく、賛否両論が許された民主主義国家なのだから。
ただ昔と比べて窮屈になってきているのも事実。そのことも含めて現在の日本のおかれている現実を露にすることが狙いだったのではないか。
最近お隣りの国は日本以上だが正体隠しのための団体なるものが雨後の筍のごとくある。ひどい場合は構成員全員より団体数の方が多い。法律上の団体でもないから別にいくら作ろうが自由。勿論代表者を兼ねてなくても中心人物は同じ。
良く朝日なんかの記事で20の市民団体がというような場合、実質は2から3ということもあり得るので注意して読もう。
主催者もデモ参加者も公費で実行してこそ意味があるとか勘違いしてませんでしたか?
その作品展示することで心を痛める,怒りを覚える人がいるなら,不特定多数の人が来場する場から撤去の要請が出ても当然だと思います.
なぜなら,過去に撤去された状況を繰り返しただけなのだから.
クレーム対応の人数を増やしたとかはただの対症療法です.破綻しても不思議はない.
純粋に趣旨を貫徹するつもりなら,公費などに頼らずとも見たくない人への配慮なり対応なりをきちんとすることが求められると思います.見る側も作品を守るための費用を負担することが求められる.それだけでクレームは大幅に減ると思いますよ.
音楽,文学作品にも発禁となったものはいくらでもあります.これらがこの世から抹殺されたことを思えば,少女像はまだ幸運な方だとおもいますけどね.
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