赤ちゃん「泣いてもいいよ」ステッカー広がる? → 自治体もおかしいぞ!調子こいてスマホいじってる親の問題だろ!(怒)
赤ちゃん「泣いてもいいよ」ステッカー広がる 親のマナーに苦言も
8/13(火) 9:00配信
東京都世田谷区が配布を始めた「赤ちゃん泣いてもいいよ」と書かれたステッカー。スマートフォンなどに貼ることのできるサイズになっている(エキサイト提供)
公共の場所での乳児の「泣き声」に寛容になろうと、「泣いてもいいよ」と書かれたステッカーを配布する取り組みが広がりを見せている。少子化の中、保護者の心理的負担を軽減して子育てしやすい環境づくりにつなげようという狙い。賛同する自治体も続々と名乗りを上げているが、「泣くのはいいが、親は放置せずに子供をちゃんとあやして」と苦言を呈する意見も。子供を育む社会のあり方に一石を投じている。(斎藤有美)
東京23区で最大の人口約90万人を抱え、子育て世代も多く住む東京都世田谷区では6月から、「泣いてもいいよ」と記された乳児のイラスト付きステッカーの配布を区役所や区民センターなどで開始した。
スマートフォンなどに貼り付けて「気にしなくて大丈夫」という意思を表明し、街中などで子供が泣き出したときに保護者の心理的な負担を和らげようというもの。区内の子育て支援関連施設の職員向けにも勤務中に身につける「泣いてもいいよ」の缶バッジやキーホルダーを配っている。いずれも、23区内では初めての試みだ。
事業は「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」を展開しているインターネットポータルサイト運営会社「エキサイト」と協定を締結し実施。保坂展人区長は「子供を産み育てやすいまちづくりのため、子育て世代が外出時に店などに入りやすい環境を生むきっかけになれば」と期待を寄せる。
同様の取り組みは14県ですでに導入されており、各地域の方言を使った「泣いてもいいよ」ステッカーが作成されている。最初に賛同した三重県では、「泣いてもええんやに!」という方言ステッカーのほか、知事自身が育休を取得するなど子育て支援を積極的に推進。県子ども・福祉部の担当者は「ステッカーはすぐに無くなり、今は在庫切れの状態」と手応えを話す。
こうした動きについて、ツイッター上では「素晴らしい取り組み」「趣旨には同意」と、子育て世代を中心に歓迎する声が上がっている。
ただ、「泣くのはいいけど、(親は)放置しないでちゃんとあやしてね」「泣くのは(乳児が)不快だからなのに、『泣いてもいいよ』という文言は何か違う」「どこまで寛容を求めるの? いい加減にしてほしい」などと、違和感を表明する書き込みもみられる。
世田谷区の担当者も、「『(ステッカーについて)自分たちが子育てしている時代はなかった。そこまでしなくてもいいのでは』と、年配の女性から電話があった」と明かす。
公共の場での乳児の泣き声をめぐる「寛容さ」について、法政大学社会学部メディア社会学科の津田正太郎教授(46)は、「子供は自立しておらず、『人に迷惑をかけてはいけない』というルールにそもそも抵触しやすい。ただ少子化により存在が目立つようになり、トラブルが起きやすくなっているのでは」と指摘。
その上で、「他人の子供であっても、広い意味でいえば日本の子供。みんなで応援するべきだが、なかなか当事者である子育て世代は声をあげられない。自治体がイニシアチブを取る動きは評価すべきだ」と話している。
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190813-00000504-san-life
先日キャンプに行った時、キャンプサイトで両隣りに赤ちゃんのいる家族がいた。うちにも5ヶ月の赤子がいるのだが。赤ちゃん家族をまとめられた。笑それは全然理解出来るんだけど、ウチと右隣の家族は赤ちゃんが泣くとすぐにあやしてなるべくワーワーならないように心がけていたのだが、左隣が泣いている赤子を放っておく方針なのか。。。全然あやさない。夜中3時でも同じだった。30分放置。それでつられて少し泣きそうになるウチの赤子、泣きだす右隣の赤子。。。最初に泣いていた赤ちゃんは疲れて一人で寝てた。可哀想に。
赤ちゃんは泣くのが仕事だけど、だからといって人に迷惑をかけるような親はちょっと。。。お互い思いやりを持たないとね。
そう言うのが居るから、見る目が厳しくなるのではないかと思う。
赤ちゃんにはステッカーの意味は理解出来ない、出来るのは親のみ。
また、子供が泣く事は仕方ないと思うが、それに対し泣き止ませようと努力しない親には少しイライラする。
それをせずに“赤ちゃんだから仕方ない”というオーラを発するから批判があるのだと思います。
寛容云々以前に、店の人間側は、うるさくて必要なやり取りが聞こえなくてもなかなか注意できない。レジに金額出ていても、カメラが回っていても、もし耳が不自由な方が来ても、口に出して確認しながら会計するのが普通。さすがに迷惑だったなー、と。
私が赤ん坊の時代、母は子供が電車内で泣きやまなかったら、一度「降りる」の一択だったと聞いている。周囲が迷惑、うるさいと思うのは、昔からあまり変わってないはず。不寛容ではなく、親がどうするかに皆腹を立てているような気がする。
他の場所ならいいですけど。
赤ちゃんに限らず、図書館で子供をほったらかしにして大声を出させているのは勘弁してほしい。
グリーン車やビジネス、ファーストクラス、高級レストランやコンサートなど静かな環境を楽しみに行くところではやっぱり嫌だ。
行政が泣いてもいいステッカーを作るなら赤ちゃんお断りのステッカーも作らないと不公平。すみ分けをちゃんとしたらいい。
赤ちゃんの泣き声より、公共の場で奇声をあげるお子様とその親にはイラっとします。
>「泣くのはいいけど、(親は)放置しないでちゃんとあやしてね」
ってのも、ステッカーは免罪符ではないといいたいだけでしょう、親が泣き止ませろということではないと思います。
ただ、親が親としての仕事をせずに放置するのは如何なものかと。
親があやしていて、なかなか成果が出ない時は仕方がないと割り切れますが、親が放置していると隔離された環境へ移動して欲しいと切望してしまいます。
あと子供に限りますが、叱ってる風に話していても実効が出てないのなら、公衆の面前だろうがキチンとした態度で子供に接して欲しい。
別に子供が泣いてても問題視する人なんかごく少数でしょう。
それよりも子供が泣いたり騒いだりしてるのに、親が一切関知せず子供をほったらかしにしてる事に不快を覚える人の方が圧倒的に多い。
「泣いてもいい」ってのは子供に言うのであって、親に言うべき言葉じゃない。
言ってる意味はわかるけど、仕事ではない。
泣くのは仕方ないとは思う。
でも場所を選んで泣き止ませる努力はしてほしいかな
親が泣きやませようと子供と向き合っていて、周りにも配慮していれば、そんなに嫌な気持ちにはならない
泣いてる子供放置以外にも、子供が靴のまま椅子のシートに上がってるのを気づいてないのか放置してスマホ見てる親とかわりといるから、そういう姿みちゃうと、イラっとするし赤ちゃん子供連れを人に寛容な心もてなくなるなぁ
自身が働いていた飲食店で、子供が靴のまま椅子に、立ったりしてても気にしてない親がいて、一応声をかけたら、嫌な顔されたことがある。
子供の行動ではなく、親の行動を周りはみている。
こんなステッカーなんかなくてもいいでしょ
ご機嫌をとるのではなく、大人と子どもの退屈感覚が違うと思うので大荷物になりましたが、折り紙や絵本や紙と鉛筆などなど静かに遊べる道具は常に持っていましたし、赤ちゃん煎餅や、ラムネなども常時して迷惑をかけないように配慮していました。それでもグズる時は周りに一言すみませんと言い、一旦は退席しました。
最近見かかるのは、親や祖父母が子どもだから仕方ないでしょ!という態度でいることが多く、子連れにしては荷物が少なすぎ!と思うほど、対処グッズを用意していない人たちです。
そんな人に限って、文句言われたとか睨まれたとか声をあげているのでは?子どもが泣くのは仕方がないし、多くの人はそれで怒りません。それに態度も対処も講じない親に怒っているんだと思います。産院等で、そんな講習を必修して貰うのもいいのでは?と思っています。
なかなか泣き止まない赤ちゃんを一生懸命あやしている親をみたら大変だなあと思うし、赤ちゃんもご機嫌ななめなんだねと可愛げも出てくる。
同じ状況でも、赤ちゃんは泣くのが当然だからと何もしないとか、周囲に配慮する気もない親がいたらいい気分しないよね。
最近、ショッピングモールで子供と手を繋ぎもせず、自分が子供の前を歩く親を多数みかける。赤ちゃんに限らず、もっと子供を見てげて欲しいな。
泣いてる赤ちゃんをよそにスマホをいじっている保護者がいるのを見ると、「赤ちゃんは泣くのが仕事ですもんね。」とか言いながら愛想笑いの一つも浮かべるが、内心では、「さっさと泣き止ませろ。」とか思ってたりする。
不愉快になるのは、赤ちゃんが泣くからではなくて保護者の態度が不愉快だからだと思う。
その時の自分のふるまいをよく考えてみてほしいと思う。
公の場とはそういう所。
善人面するつもりもないし、正直に行って電車や店なんかで泣かれると不快。
ちょっと外に出て落ち着かせたりすればいいのにといつも思う。
親の都合優先してるようにしか見えないし虐待やネグレクトを疑う。
そういう親が子供を店の中で鬼ごっこさせたり公園とかで年下の弱い子虐める子供に育てる。
意図としては理解できます。
でもここまで色々とあると理解を求めるためのものというよりも、単なる遊び半分の市販で売られているギャグステッカーのようなものと同じように思われてしまうような気がします。
問題は親の方。赤ちゃんが泣きわめいていても知らん顔でスマホをいじってるとか、泣いてる子供に注意や叱るではなく罵声を浴びせていたり。
子供より親にイラっとする事も多々ある。
あと場所だよね。公共の交通機関なら多少子供が泣こうが問題ないと思うけど、
台詞のやり取りを楽しみたい作品の映画とかに連れてきてる親はもう少し状況考えろよと思う。
アンパンマンとかクレヨンしんちゃんみたいな子供向けの映画なら良いけどさ。
ただ、そう思えるかどうかは、親の態度が大きく関係すると思う。
仕方がいなと思うのは周囲であって、親ではないハズだ。
そこを勘違いしている親、あるいは最初から意識の薄い親が、少なくないことも大きいと思う。
あと、電車に関しては、乳幼児優先車両とか作ってほしい。
乳幼児連れや、好きな人、気にならない人はそこに乗って、苦手な人は別の車両に乗る。
自分は、耳が弱くて泣き声で頭痛がするから、嫌な顔をしたり文句を言ったりはもちろんしないけど、泣かれたら速やかに車両を移動するか電車を降りる。新幹線は耳栓常備。
苦手なこちら側も自分で自衛するから、お子様連れの方も気を使ってほしい。静かにすべきところでは静かにしないといけない。
配慮と理解は必要だけど、過度なやさしさは必要ないと思う。
まぁ中には「うるさい」「迷惑」と思う人も別に今だけでなく昔からいるので仕方ないのかと思うけど、そういう促しが必要というのも何か寂しい気がする。
ただ、逆に親も赤ちゃんには連れて行かれる場所やその場の雰囲気にストレスが掛からないか?の判断は必要だと思うし、泣き方にも色々あって、体調が悪くて泣いてる場合もあるので、連れてる側も基本的に公共の場は所謂、大人の場所であって赤ちゃんには合わないという事もちゃんと考えて連れて行くべき。
しかし、泣いているのに、怒って更にヒートアップさせたり、全く興味を持たずスマホを触っていたりとそれは違うでしょと思うことを多々見かけます。その親に向けて、赤ちゃんは泣いていいんだよと言うのは、世間は納得しないのではないでしょうか。
そもそもこのようなシールや缶バッジを持たなくても寛容になれる人権教育を早い段階で取り入れることが必要に感じます。
でもそれを押し付けて「許さない奴は狭量」「煩いと言う奴は悪」の様にしてしまえば結局いままでのような衝突になってしまう。
赤ん坊が泣いてしまうのは仕方がないかもしれないが、無関係な他人が泣き声を煩いと感じてしまうのもまた仕方がない事だ。
赤ん坊を連れていれば公共の場所には一切行けないと言うのは寂しすぎるが、どれだけギャン泣きを放置していようと容認されるべきと言うのも身勝手だ。少しずつ妥協点を探っていくしかない。
このステッカーがそれに貢献できるのかどうか。どちらにせよ、あくまで「応援」や「励まし」のような個人の意思表示に過ぎないと言う事は認識しておくべきだろう。
みんなで応援するのは良いが、みんなで叱るのはダメなの?
ここが最近の問題でしょ。寛容になって欲しい、認めて欲しいけど口出しはするな、これじゃぁ支援できないね。
赤ちゃんが泣くのは仕方が無いこと。
これは大半の人が理解していると思う。
問題はその子に対しての親の関わり方を見た時。
泣いている赤ちゃんを無視したままスマホをいじっていたり夫婦2人だけで会話していたり…無言でベビーカーを揺らすだけの親も見たことがある。
私は子どもが欲しいけどまだできない身として、せっかく授かった赤ちゃんとの関わり方を見て腹を立ててるのだと思う。子育て中、本当に疲弊してしまうこともあるのかもしれないけど、大切な赤ちゃんとの時間をそんな風に過ごす親に、優しい感情は持てない。白い目を向けてるのは赤ちゃんではなく親に対して。
降りようかとも思ったのですが、どうしても時間に間に合わせなければいけない事情があって、抱っこしたり、飲み物を飲ませてみたり、試行錯誤したのですが泣き止まず、、。
周りから特に何も言われなかったのですが、本当に針の筵状態でした。
その時に、隣に座っていたご婦人が息子に優しく
ずっと電車に乗ってるのは疲れちゃうよね、大丈夫よ。と言って下さったのです。
涙が出るほど有り難かったです。
ただ、子供だから泣いて当たり前という感覚は違うと感じます。
確かに赤ちゃんに泣き声は、疲れている時に聞かされたら苦痛でしょう。
親も出来るだけ努力をするべきかな。
でも、テンションが上がった幼児の金切り声はビックとするし、体調不良時は本当にしんどいし、更に具合が悪くなる(個人的な感想)。
困るのは、テンションが上がった幼児を放置する親。その親にとっては日常なのかもしれないけど、公共のマナーとして注意するのも躾だと思うだけどな。
元気な子供は全然OKだけど、躾のなってない子供は苦手。一番嫌なのは、子供に対して躾をしない責任感のない親。
泣いてる子を放置するのはもっての他だが、安易にスマホを与えてあやした気になってるのも良くはない。
子供は、小さければ小さいほど、ホントに親が思うようにはいかない。子育てをした人ではないと分からない部分も大きいと思う。
普通の親であれば、出来るだけいろんなところに子供を連れていってあげたいと思う反面、公共空間で泣かれるコトを心配するもの。
そんな時に、子供が泣くコトに関しては、寛容な社会であってほしいし、そのためのステッカーであるなら、大いに賛成できる。
あとは勘違いな親が、ステッカー付近で泣いてる子を放置しないコトを祈るばかり。
よく”時代”を言い訳にする方がいらっしゃいますが、物事をより良くする過程で紆余曲折はあって当然で、時代は関係ないはず。
どの”時代”でも、赤ちゃんというのは人間誰しもが最初に通る道であり、一秒も泣かずに迷惑を掛けなかった人間などまずいないはずなのに、大人が赤ちゃんやその親に対して”うるさいからあっち行け”という考えを持っているとしたら、とても寂しい話。
確かに赤ちゃんの泣き声は、嫌な気分にさせてしまう時もありますし、私もそうなることがあり、見守るはずの親が明らかに無関心だなと感じる場面もあります。
それでも、親はしっかり子どもを見つめてあげ、周りは温かく見守る未来を、このステッカーを通じて作ればいいだけの話だと思います。
ステッカーを生かすも殺すも、我々次第ですし、
制度だけに頼ることなく、もっと学んでいきたいと思える記事でした。
ただ、あやさずにスマホ見てたり、放置してる人がいるのも事実。
以前家の子が、スーパーで急に走り出して走らないよう注意しながら後を追ったら周りに親がいなくて赤ちゃん用のカートで泣いてる赤ちゃん見つけてあやしてた。しばらくして親が戻ってきて、「家の子が何かしました?泣かせたんですか?」って言われた事がある。
そういう親もいるから世間の目が厳しくなってしまうし、周りも下手に声をかけにくくなってきてるのかな。
なので、身近に小さな子がいない方からしたら泣き声を不愉快に感じて然りだと考えています。
子どもがいるからってそれを免罪符にして、人様になんでもかんでも譲り合いや寛容さを求めるのは奢りだと思う。
混み合っている時間帯は避けて公共交通機関を使うとか、泣かれてしまったら一旦降りて落ち着くのを待ってからまた動くとか
時間が許す限りそうする様に努めています。
ベビーカーもそう。混んでる時間帯でも当たり前の様に突入してくる方もいて、こちらが居た堪れなくなることがよくある。
みんないっぱいいっぱいのご時世なので、お互いの立場や環境を気遣いながら生活できればいいけどなかなか難しいですよね。
ただ仕方がないという日本語には、許すという意味も含まれていると感じます。
周りの方は、赤ちゃんは泣いた方がいいよ!じゃんじゃん泣くべきだよ!って思っているわけではなく、あくまでも仕方ない、と。
どうにもならない時があるから、と。
ただ、皆さんもおっしゃるように
なるべく赤ちゃんが泣かなくても良い心地よさを作る努力を保護者の方にはして欲しいとは感じます。
その親達に向かってと言うことがわからないようだ。
本質がずれてます。
公共の場所で泣くことは制御できない。赤ちゃんだから。
そこで親が今は公共の場にいることを自覚して行動をしてほしいと言うことに苦言を呈しているわけです。
あやしたり不快に思っていることを親は改善してあげる必要があると思います。それをしないで、赤ちゃんは泣くことが仕事なんて開き直られたら、子育て放棄にも繋がりかねない。
それができないくらい子育てに追い詰められているなら、その原因を改善しなきゃ。
世間はかなり寛容なほうです。
それに甘えないで親としての役目を果たしてからそれでもなんともならない時にこれを使ってください。
スマホばかり見てる場合じゃないですよ。子育て優先ですよ。
現に公共の乗り物内で、赤ちゃんが大泣きしているにも関わらず、携帯をいじり続けている保護者は本当に多い。まず赤ちゃん連れは、混んでいる時間帯を避けるべきとは思うが、様々な事情があるだろうから、その点はしょうがない。
このような当たり前のステッカーよりも、大混雑の車内で、ベビーカーを畳まずに荷物置きにしていたり、大泣きしても放ったらかしで、全くあやすこともない保護者に対するステッカーが必要じゃないか。
公共の場で酷いやんちゃしてたり、土足のまま電車やバスのシートに上がってる子の場合も同じく。「やめなさい」ととりあえず言って視線は直ぐにスマホ。中には注意すらしない親も増えてる。「子供のすることなんだから、別にいいでしょ」って開き直りの場面にも遭遇したことがあります。目が点になりました。
親の顔を見てみたいって言葉があるけど、少なくとも公共の場でマナーが守れてない子の親は、大概「あぁ・・・なるほど」って納得することが多いです。
社会に子育ての寛容さを求めるなら、最低限のルールやマナーを心得てからにして欲しい。
狭いゲージにたくさんの犬を入れられている状態。
この空間ストレスが他人への不寛容さにつながっている。
アメリカでなぜみんな寛容なのか比較してみたが人間は同じ、ただ広さが違う。家の廊下すら狭い日本、店も道もどこも狭い。どこにいてもすれ違うだけでも常に神経を使う。日本にいるとだんだん他人の動きを予測しながら自分も動いていることに気づく、その予測に合わない動きをされるとイラっとし始める。
赤ちゃんのみならず、道でのあおり運転だって、レジでキレる高齢者だって、みんなそうだ。自分の予測と違う行為にイライラしてしまう。その原因は空間が常に狭いことだ。
この環境を変えないと、行為だけを変えようとしても無理がある。
申し訳なさそうしていれば、大抵の人は仕方ないと思う。
最近、泣いているのにスマホに夢中のお母さんが多くて、泣いて
いても無視している人が多い。
ひどかったのは、カフェで隣のテーブルで、ベビーカーの中でギャン泣き
していて、一緒にいた友達らしき人が抱っこしたら?と言ったら、
赤ちゃんは泣かせるのがいいのよと言ったこと。
赤ちゃんの顔も見ずに。
赤ちゃんが泣くのにはちゃんと理由があるわけで、それも確かめよう
ともしない。
オモチャとかも持っていない人も多いし。
それを泣かせていいよというだけでは?
環境が変わり時代も変わり、出来なくなった遊びは増えた。今の子達は大人の環境の中にいる事が多く、我慢を強いられる場面が多い。脳の発達的に我慢や集中力が続かないのに、人の目があるから親は叱るし、その回数も増える。
今の子どもは昔の私達より相当頑張ってると思うよ。親が声かけしなきゃいけない時も勿論あるし、年齢によっては放置しっぱなしもダメだけど、赤ちゃんや乳児にまで大人のマナーを押し付けるのは酷だと思う。親でさえ、泣き止ませられない時は多いのに。泣き声や騒ぎ声にイライラする気持ちも分かるけど、昔の自分達も似たようなもんだったと思えばちょっとは気が楽になると思う。子どもは弱く、脳も未熟だという事を覚えておこう。
良い取り組みだと思う。
ただ親が責任をきちんと果たすのが前提だと思うけどね。
今仕事でアメリカに出向していて幼児が2人いるけど、アメリカだと子供と外出するだけで現地の方が笑顔で話しかけてくるし、子供が泣いててもむしろあやしに来る方もいるし、子供に寛容な環境だと実感してる。
海外は海外だから別だと言われてしまえばそれまでだけど、日本も良い方向に社会が変わってくれたらよいなと思う。
スマホに夢中の親御さんも見受けます。
子育てから距離を置きたい気持ちはわかりますが、やはり赤ちゃん中心にに子育て期間は短いですから考えていただきたいですよね。
アタッチメントの大事な時期でもあるそうですからそれぞれの時期を外さない子育てをした方が後が楽なようですよす。
子どもを持った以上、大変でしょうが頑張ってくださいね。
子供が生まれたのは子供の責任ではないですよね。
こういう運動が起きた背景は、赤ちゃんが泣くのが迷惑だという意見が目立つようになってきたからですよね?
本来はこういう意見が少数派と言うか、別に泣いてもいいんですよ!と言う意見の人の陰に隠れて舌打ちするようにつぶやく程度だったと思うんです。
ところがSNSの普及で、本来負の意見で陰に隠れて個別につぶやいていた意見が集約されて、こういう意見も世の中の一つの流れです!的に自治権をもつようになってしまった。
と言うことだと思います。
赤子責めるな来た道だ、年寄笑うな行く道だ
と言う言葉のように、優しく気遣いできていたはずの日本人の社会性、ご近所同士で声をかける心の解放感と言うのができなくなってしまった。
件のわざわざ~と言うのは、形ではなく、もっと気さくな気遣いできるはずでしょ?ということだと思います。
親子供は泣いて当然という態度に腹が立ってる。
勘違いしないで欲しいが、自分だって子供の頃は公共の場でギャン泣きしてたのはわかってる。
親は一生懸命あやしてくれ、何とかして機嫌良くしようと頑張ってくれる。それを赤子が感じて安心できるんだと思う。
何も赤子は泣きたくて泣いてるんやない。
言葉が話せないから、赤子なりに頑張って伝えようとしてるんや。
といいこと書いてるけど、心の中で泣き声聞くと腹たってます。
つまり泣いているという事は不快な環境にあるという事。
親は不快な環境を取り除く努力が必要なのであって、
普通の親はそのためにその場でできることをするのです。
周囲に大きな不快感を与える親は、
その部分の行動が大きな原因になっていると思います。
電車内などで出来ることが限られている状況では中々泣き止まないのが普通ですが、
だからと言って努力をしないことは赤ちゃんにとっての不幸です。
「公共の場でのマナー」とか「寛容・不寛容」と言う問題も無縁ではありませんが、まずは赤ちゃんを第一にした行動をして下さい。
「子供第一の生活」って言うと、「そんな思想を引きずって親に我慢を強いるから少子化になる」という意見が必ず出ますけど、
子供のために生きることを幸せと思わない状況の方が異常だと思います。
だけども、飛行機で泣かれた場合、全くあやさず放置する親には正直イラッとする。
アメリカやヨーロッパへの長距離線の消灯後に延々泣かれるとぐったりする。
逃げ場がなくて長時間だから辛い。
赤ちゃんの鼓膜は高高度に弱いと言うし、赤ちゃんの負担を考えても、国内の近距離線とか飛行機以外で代替可能ならそもそも飛行機に乗らなきゃいいのに、とも思う。
その一方で、あやしてやるのも親の仕事です。
泣いているのは構いませんが、ほったらかしの親は許しません。
大抵の人がそうだと思うんですが、赤ちゃんに対して批判しているのではないんです。
周りへの配慮も考えず、何もしないで泣きっぱなしにさせてる親に対して批判しているんだと思います。
中には、ちゃんとあやしてもなかなか泣き止まない子はいます。
そういうケースは周りの理解で容認してやらなければいけませんが、このステッカーが無責任な親の免罪符にまでなってはいけないと憂慮もします。
そういう身勝手な使い方をされると、今度はそれが批判の的になってしまうでしょう。
ステッカーの運用は『親も頑張ってるから+皆さんもご理解お願いします』がセットでないといけない。
『皆さんのご理解お願いします』だけでは何も改善されないでしょう。
そう思ってない人だっている
こういった
皆の意見が分かれる事案をなぜ公金を使って行うのか?
これは本来賛同者が資金を募り行うものだ
明らかな公金横領にあたる
担当者はキチンと申し開きすべきだ
近年産後に自殺をする母親は増えています。理由は様々でしょうが孤独感や初めての育児の責任感や不安感などといった単なる疲れではなく悩みを誰かに相談するのが苦手なタイプな人が自分を追い込んでしまうケースもあると思います。昔は拡大家族で憎くても姑と会話することはありましたが今は一人で育児をする時間が長い家庭が多いですし。
「泣いてもいいんですよ」子どもが泣くことに罪悪感を必要以上に抱いてしまう人に必要な言葉だと思うんです。産後に親の鬱状態をチェックするアンケートを病院で実施する市町村もあるので、担当の保健師が鬱になりそうな母親に積極的に声かけするのには良いツールだと個人的には感じました。
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