ジビエ料理食べずにインスタ映え? ならぬ~インスタ蝿~だね
インスタ映え?撮影→8割食べ残しの非常識客 被害のジビエ料理店は「出禁」を決めた
8/21(水) 7:00配信
「なんば赤狼」のツイッター投稿より
大阪のジビエ料理店で、人数分以上の料理を注文した客がスマートフォンで写真を撮ってから大量に食べ残していったとして、店側がツイッターで「ご予約もご入店もお断りしたいと思いました」と「出入り禁止」を宣言した。
店主はJ-CASTニュースの取材に、写真撮影やSNS投稿自体は「全く問題ない」としている。その上で「ただ、食事のためでなく写真だけのために注文してほとんど手を付けずに残されるのは本当にとても悲しい、残念な気持ちになります」と率直な思いを吐露した。
■「命を貰ってその肉で生計を立てる者として、こんなに悲しい事はありません」
この店は大阪・千日前に店舗を構えるジビエ料理店「なんば赤狼」。ツイッターで2019年8月16日未明、
「3人で来て5人前の料理を注文、更に追加注文して大量の料理を前にスマホで写真だけ撮り8割り方残して行かれた方には流石に今後料理をお出ししたくないのでご予約もご入店もお断りしたいと思いました。お金を払ったらインスタ映えの為に料理を大量に残しても構わないと思っている方々は御遠慮下さい」
と丁寧な言葉遣いで事の顛末を投稿した。続けて、
「命を貰ってその肉で生計を立てる者として、こんなに悲しい事はありません。Twitterを見てお電話頂いた方ですが、お顔は覚えておりますので今後ご入店はお断り致します」
と悲痛な胸の内も吐露している。
冒頭の投稿は3万件リツイート。リプライは500以上届き、「作る側の人間なのでお気持ちはよく分かります」「確かに映えるお料理ではありますが…かと言って喰わないのは問題外ですね」「張り紙で残すの禁止と書いてない以上、その人達の行動に問題はないと思います ただなんば赤狼のさんの考え方とても大好きです」などの声が寄せられた。
さまざまな意見がある中、同店は16日早朝にもツイッターを更新し、
「店主の私は山の恵みで育った田舎者です。食べ物を粗末にする事がどうしても見に刷り込まれて受け付けません。命を戴き生かされている、骨から肉を外し血とその肉に触れて自身が別の命から生計を立て、またそれらを食べて生かされていると考えています」(原文ママ)
と自身の飲食店主としての考えを明かした。「店主はお肉が好きでジビエやワイルドミートを沢山の方に食べて頂きたい人間です」としておすすめメニューもあげる。また19日現在も、届いたリプライ1つ1つに返信を続けている。
「ジビエ」はシカやイノシシ、カモなどに代表される野生鳥獣の食肉で、近年はジビエ料理の専門店を目にする機会も多いだろう。18年には農林水産省が利用拡大をねらい、衛生管理基準などを満たした食肉処理施設を対象とした「国産ジビエ認証制度」を創設。認知度と人気が高まっている。牛・豚・鶏肉に比べて目にする機会の少ないジビエ料理は、いくらか物珍しさもあってSNSへの写真投稿は数多い。
「なんば赤狼」は14年にオープンした25席ほどの個人店だ。ツイッターのダイレクトメッセージを通じて20日、J-CASTニュースの取材に応じた店主・弥富マハさん(39)によると、大量に食べ残した客グループは40代半ばほどの男性と、20代後半ほどの女性2人の計3人。今回ほど残した客は「開業以来5年間でほとんどいませんでした」というものの、ここ2年ほどで2~3人ほどながら見掛けるようになったた。そのため、
「あまり頻繁にでもなく、今回の様に大量とまではいかないものの、写真を撮るだけでほとんど半分も食べずに携帯をいじってお喋りしている方について、出入り禁止はすべきかは思案中でした」
と明かす。
ツイッターに「出禁宣言」を投稿したのは、
「昨今のネットに流れる、写真映えの為に増える大量の食べ残しについて、料理人としても個人としても腹立たしく感じておりましたが、こんな小さな個人店にまで今回の様な事が起きるとは…」
と昨今の風潮に辟易していたこともある。その上で、
「正直店主の本音としては食べ物を粗末にする人に対してめちゃくちゃムカついたのでほぼ愚痴をツイートした次第です」
と料理店主として忸怩たる思いがあったことを明かした。客グループに何か伝えたいことはあるか聞いたところ、「言いたい事はいくつかありますが、店主の本音はここに書ける言葉でもないので控えさせて頂きます」とのことだった。
弥富さんは「写真撮影もインスタもTwitterもFacebookも投稿して頂いても全く問題はありませんし、わいわいと楽しくお食事して頂けると嬉しいです」と、料理を撮ったりそれをSNSに投稿したりすることには寛容だ。それでも、
「ただ、食事のためでなく写真だけのために注文してほとんど手を付けずに残されるのは本当にとても悲しい、残念な気持ちになります」
と率直な思いを吐露する。
ツイッターでコメント1つ1つに返信を続けているのは「『生きる事は食べる事、食べ物を食べる事は尊い命を戴く事』という事を、しっかりと自分の頭で考えて自分の言葉で応えて下さった方々への誠意です。反響については正直驚きましたが、『いただきます』の意味をきちんと知っている人がこんなに沢山居る事を知る事が出来て料理人冥利に尽きます」という料理人としての感謝から。自身もジビエが大好きだといい、
「沢山の人にジビエやワイルドミートの美味しさと、尊い命を戴く事に『いただきます』を次の世代に繋げて行ければと思っています」
と願いを明かした。
今回残された料理を写真に撮ったかどうかについて、ツイッターユーザーのリプライに答える中で弥富さんは「残された料理の写真を撮ろうか悩みましたが、あまりにも辛過ぎて載せる事がストレスになりそうなので『ごめんね』と謝りながら廃棄しました」と悲しげにつづっている。
(J-CASTニュース編集部 青木正典)
【J-CASTニュース記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190821-00000000-jct-soci
いい大人なのだから、お金を払えば何をしても良いという考えは改めてマナーを守ってほしい。
問題ないと思ってる人がいる事に驚いた。張り紙が無ければ何しても良いのでしょうか?マナーをイチイチ言われなきゃ分からないなんて、情けないでしょ。
感覚がとても貧しく愚か。
残すなという貼り紙がないなら客の自由、
という書き込みもあるが、
非常識な客を断るのも個人店なら自由。
何故か「お金を払えばいい」とか「残すの禁止と書いてない」とか子供のような理屈をこねる人達が一定数いますが…
お客が来なければ経営は成り立たない→だから好きにしていい、ではないのです
お店側が提供してくれなければ、お客は食べることもサービスも受けられないのです
お客が立場が上などという勘違いから是正していかないと、日本のオフィシャルなマナーはいつまでも向上しませんし、素敵なお店がなくなってしまいますよ
このコメントに唖然としています
こういう方の意見を見ていると何でもかんでも禁止禁止禁止にしないと防げないなら
今以上に息苦しい世の中になる気がしました
文明の発達で便利にはなったかもしれませんが
心が貧しくなったというのはこういうことをいうのかなと少し寂しく思いました
どれだけ時代が変わっても自然の恵みに感謝だけは忘れないようにしたいものです
お金払ってるから何してもいいは本当に間違ってる。命をいただいて「いただきます」なのだから食べれるだけを注文すべきだ。どうしても食べられないこともあると思うけれど大量注文して食べれないのとわけが違う。
最近行ったブッフェでは、「大量に残された場合別途料金いただきます」と書いてあった。
払ってるお金には材料代、人件費、店舗維持費で構成されていることがほとんどで廃棄料なんて入っていても微々たるもの。
明らかな大量廃棄になるのなら別料金いただくぐらいでいいと思う。
都会をなればなるほど命を奪って食べている実感が少ないのではないだろうか…。
最近のテレビ番組は魚をさばくシーンですら自主規制として違うアングルになってしまうが、そういう小さい事でもしっかり映してもらいたい。
生き物は殺される時は抵抗するし切りつけると大量に血を流す。
それを食べて生きてる事を実感してればこんなヒドい事は減るのではないだろうか。
おそらく、食べ物を残す事の罪悪が全く理解できていないんですね。
原因はなんでしょうか。
まず親御さん。好き嫌いはだめ、とか、残さず食べなさい、なんて厳しく言わないのでしょうか。
それから学校給食。アレルギー等の問題もあるけど、無理に食べさせると問題にされるんでしょ、最近は。昔は、残さず食べ切るまで片付けられないルールが存在し、なぜ残してはいけないか、皆で議論した記憶もあります。
驚きを隠せないのは、記事の中の以下のくだり。
「張り紙で残すの禁止と書いてない以上、その人達の行動に問題はないと思います」
え…言葉を失いました。
禁止と書いてなければ、何やっても良いじゃん!
食べ切れない量注文し、8割を残飯にすることが、罪悪でない?私の常識がおかしいのかな…
これが皆さんの総意でない事を信じています。
撮影禁止か出禁は正解だと思います。
金払ってりゃいいじゃんではない。
食べ物残し・飲み残しが入った容器でも、その辺にポイポイ捨てるもんね。
昔は食事の時に「もったいないお化け」が出るぞ、なんて子供の頃に家でも幼稚園でも言われてた。
日本には古来から八百万の神がいて、粗末に扱えば罰が返る。国土が狭く資源に限りのある日本だからこその、古くからの考え方だった。
大人になり料理を自分でする様になったら、なるべく残さず使おうと考えるし、食べきれない量になればラップして冷蔵庫で保存する。
外食は、手軽で料理の手間も省けるけど、それだけじゃないでしょ。
料理を出してくれる料理人さんの気持ちも入っている事を、考えれる想像力と思いやりが、だんだんと今の若い日本人には薄れてきているんだろうなと思う。
でもそういったものが、海外の方が憧れる「日本人」に当たり前にある事なんだろうと思うけど。
飲食店側にしてみれば、写真だけ撮って食べ残すのは「見た目だけで、味は悪かった」と言われてるような話でもあり。
それを見ていた他のテーブルのお客様にも、不快な思いをさせることにもなります。
出禁にするまでもなくこういった客は1度写真を撮った店は用済み。
店としてもきちんと食べてまた来てくれる客の方がありがたいわけで。
出禁だけではなく、過剰と思える注文には完食できるのか店員側から聴いても良いよう等の、未然に防ぐ風潮作りも必要かと思います。
『戦後、名古屋は焼野原になり、雑草をみんな食べてた、』
と親から聞いてましたし、そのため田畑を最初から耕さなくてはならず、私の祖母は働き過ぎ+食べたものあまり食べれなかったことで夭折したと聞いているから、本当に早い年齢で亡くなったから一度会ってみたかったなーって。
両親も小さい頃、親が大人一人ぶん注文せず、子供達が食べきれないだろうと、その後、食べ残しを食べていました。
無理して食べなさい!とはいわず、子供の食べたいものも注文させてくれてました。
もちろんある程度大きくなって食べ残しが無くなったらきちんと両親も注文してました。
不味いなら無理して食べなくて良いけど。どうしても食べきれない場合は謝ります。外国にはDoggyBagってのがあって良いですね。
昭和生まれの自分は、食べ残すことはジビエ店の店主の言われる通りのことを学校、家庭で教えられ、今でもできるだけ残すことなくご飯は最後の一粒までいただくようにしている。
食べ残し禁止と書いてないから、残そうと客であれば自由。
お金を払って来てるのに、なぜ文句を言われるのか。
という、自己中心的なコメントがあり、どういった教育を受けて育ったのか甚だ疑問。
食べ残しを続けていると、なぜかはわからないが良くないことが起きるという。この出禁になる客たちは今後ロクなことがないだろう。
例えば自分で描いた絵を売っている人がいるとして、金を出して買ったら、作者の目の前で破り捨てて足蹴にしてもいいのか?
今回の件はそれと同じです。
・客が店を選べるように、店も客を選ぶ権利がある。
・金を払っているからといって客が偉いわけではない。店と客は対等。客は何をしてもいいわけではない。
日本人はこれを理解していない人が多すぎる。
「食べ物に感謝し、できるだけ残さず食べる」のは、幼いころに親から教わる当たり前の常識では?
アンパンチが暴力だという話題がありましたが、そんなことよりこういうことをちゃんと親が教えていないのでしょうか?
この意見については支持し難いかな・・・・
そもそも飲食店に入る理由の一番は食事をするためです
自分が食べられる量は誰でも分かるのですから、それに見合った注文をするのも当たり前だと思います
食べきれないであろう量を注文し、写真撮影後は注文した分の8割を残した、とのこと
食べ放題ならそういう事例もよくありますから、残す事を禁止している店舗は多数あります
でもそうではない店であれば、常識の範囲内で皆さん注文されているのが普通だと思いますし、またそうするのが当たり前だと個人的には思います
書いてないから問題ない、と言っていますが、そう考える思考が正直理解出来ません
もしご自身が作って欲しいと頼まれた料理を出したのに、そういう状況になったら切なくなりませんかね
金を払えば何をしても良いという観念がそうさせていると思います
でも払ったとしても、相手方が作ってくださったものだよね。
もっと言えば食材を生産してくださったとか、取ってきてくれだとか。
その人たちの気持ちになったら、普通、そんな事出来ないと思うんだよね。
残されて喜ぶシェフなんていないんだから。
相手の気持ちに立てない人だから、
SNSで共感を欲してしまうのかね。
とても悲しい話だなと思った。
これからも私は出されたものをしっかりいただきたいなと思いました。
が、最近、普通の1人の人ならまず食べきれない量、食べたら健康に害のある量を、メニューとして提供している店が結構あるのも事実。話題作りのため、おそらくはインスタに載せて欲しいからだと思うけど、
そういうお店があるのもよくないのでは。だって、食べきれないことぐらいわかってて、廃棄前提で作ってるわけでしょ。そんなお店をいくつも目にしていたら、消費者側でも麻痺する輩もいると思う。
大食いチャレンジメニュー、メガ盛りメニュー、やめませんか?どうしてもやるなら、注文できる人数を設定したらいい。
消費者だけが悪いわけじゃないと思う。
もちろん、このジビエ料理のお店は完全に客が悪いけどね。
相対の現場ではお互いの常識的な了解がなければやっていけません。本来主人が客と認めなければ客は店に入る事も許されない立場です。
お客様は神様という言葉は店側の接客姿勢であって客が名乗るものではありません。コンビニやモールの台頭で、物が溢れ来るものは拒まずの店舗が増えて客側の感覚が麻痺しているのではないでしょうか?
東日本大震災の時、ガソリンスタンドではガソリンが不足し手に入れる為に長時間待つことがありましたがスタンド側は一人でも多く行き渡らせる為一人2000円の給油と決めていて従わない客?ゴネる客?は給油もせず毅然と締め出していました。
ワガママを押し通す事や接待される事が当たり前と思うのはやめましょう!礼儀です。
これは違うでしょう。
一定量の『お金払ってるから自由だろ』主義の人間がいることに、悲しくなります。
明石家さんまもそうですしね。
そういう人間は、飢えや貧困に直面した上で、そういう場面でも見たらいいのに。
もしくは、そういうことをする人達周辺に、飢えや貧困に苦しむ人々の写真を沢山飾り付けしてやりたいよ。
ただ反面、道義的な部分で、やはり作ってくれたりサービスを提供してくれる人の気持ち、周りの客への迷惑は考えるのが人として当然だとも思う。
さらに言えば俺個人は食べ物は子供の頃から本当に残さない。
勿体ないもあるけど、その食材を栽培した人や漁を行った人、梱包したり輸送した人、料理した料理人や料理を給仕した人へのことを薄っすら考えたりはする。
皆、商売でしているわけだからそこまで気遣う必要がない部分もあるが、全く気遣わないのもさすがに想像力の欠如に思う。
この経営者の方が言うように人間の食の犠牲となる命の問題まで考えるときに、安易に食べられない量を頼んで残す行為は褒められた行為ではない。
儲かるのにお店がそれをダメだと言うわけだから、平気で食事を残す人はその意味を今一度考えるといいと思う。
インスタの為だか何だか知りませんが全く理解できません。
私の祖母は戦争を体験したため食について大変だった事を色々と聞いた。食べ残しや好き嫌いなどとにかく厳しく育てられた。
先日とあるところで見かけたワンプレートランチではサラダが丸っと残されていた。手をつけないなら何故初めから抜いてもらわないのか不思議でしょうがない。
夏休みの宿題で息子は「残さず食べよう」ポスターを書きました。小学生ですらちゃんと考えています。命をいただいている事、大人が示していかないで誰が示すのか。アレルギーや体調もあるかもしれないが、明らかに箸をつけず野菜など食べ残しをする人を見かけると嫌だなと思う。
その間に熱いものは冷め、冷たいものは溶けていきます。それでもスマホから手は離さない。
美味しくなくなるよー!って、見てる方がドキドキします。
「いただきます」は食材となった動植物の命に対して言う言葉だ。って聞いたことがあります。
もちろんお店では、客に美味しく楽しく食べてもらうために、心を込めて作り、美しく盛り付けて出していただいたお店側にも敬意は払うべき。
……ご飯を作ってもらったこと少ない人なのかな?食べ方教わりながら食べたことないのかな?
だとしたら悲しいですがそうなってしまうかも…って今思いました。。
このお店はとても誠意のあるお店だと思いました。行ってみたい。
他の店もこういう客を排除したいなら公に排除してしまえばいいし、こういう客はどこの店も入れないようにならばいいとさえ思う。
この店の店主はSNSに書けない言葉がまだまだあると思うが、たとえほんの一握りでもこういう客がいるとやる気を無くすだろう。
デカ盛りとかでTVや雑誌。ネットで紹介されて食べれもしないやつがわんさか来る店もあるだろうが、それなら他の客が頼んだものを撮影許可をもらって撮ればいい。
自分で食べれないのに頼んで大量に残して帰るやつが絶えないと本来そういうメニューを食べたくて来る客が今後食べられなくなる。
別にインスタやフェイスブックに食べた物をあげるのがダメなのではない。
各々が自分の許容範囲の中で注文し、各々の責任で頼んだものはちゃんと食べれば良い。
幼少期にどんなしつけを受けたのかお里が知れるし、とんでもなく身勝手ですよね。
店主の方の判断は致し方ないと思います。
ジビエは好き嫌いあるから始めて食べるも口に合わずに食べられないこともあるかなと思います。
あとはじめてのお店だと量の感覚わからずに頼んで残してしまったこともあります。
お店の人に人気料理や食べやすいものを聞いたり自分の苦手なものを伝えたりコミュニケーションをとることが大切かなと思います。
それでも残してしまったらお店の人へ謝ります。
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