台風19号・多摩川氾濫「犯人捜し」「被災タワマン階層差」切り裂かれた人間模様 → お気の毒としか言いようが無い
台風19号・多摩川氾濫「犯人捜し」「被災タワマン階層差」切り裂かれた人間模様
10/30(水) 5:58配信
水害被害に見舞われた二子玉川
天災の真の恐ろしさは、災厄そのものがもたらす「直接被害」に留まらず、「二次被害」を生み出す点にある。各地を物理的に破壊するだけでなく、人の「性(さが)」を剥(む)き出しにして人間関係をも瓦解させるのだ。
日を追うごとに明らかになる台風19号による甚大な被害実態。そして今、「二次被害」も徐々に表面化し、深刻化しつつある――。
「一日中ひっきりなしに、嫌がらせ電話の音が鳴り響いています」
疲労の色を滲(にじ)ませてこう語るのは、「二子玉川の環境と安全を考える会」(以下、二子玉川会)の代表だった男性の夫人である。
「ひどい時には1時間に4件くらい掛かってくる。『お前らのせいで家じゅうが水浸しだ。どう責任を取ってくれるんだ!』と怒鳴られたこともあります」
東京都と神奈川県の間を縫うようにして流れる多摩川は氾濫し、死者が出た。首都の東側を流れる荒川や江戸川が越水しなかったのとは対照的だった。東側の川は大丈夫だったのに、なぜ……。やるせなさを募らせる多摩川流域の住民の中には「犯人探し」をする者が現れ、その矛先を向けられたのが先の夫人だったのだ。
流域住民のひとりが「多摩川事情」を解説する。
「多摩川下流域の堤防工事が進められていた2010年1月、二子玉川会が景観を理由に工事差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てました。しかし、棄却されています」
ところが、9年前のこの一件が「誤解」を招いた。二子玉川会が堤防建設に反対したことが今回の多摩川氾濫を招いたのだと。
夫人が続ける。
「会の代表だった夫はすでに鬼籍に入っていますし、会自体もとっくの昔に解散しています。そもそも、私たちが差し止めを申し立てた下流域では予定通り堤防が完成し、台風19号で越水したのは多摩川の、より上流です。上流域は私たちの運動とは関係ないんです」
前出の住民が補足する。
「工事未着手の上流域の堤防に関しては、国交省と地域住民の間で話し合いが行われていて、堤防建設に反対する声はほとんどなく、『どう堤防を作るか』という部分でいろいろな議論が出ていた。国交省は橋を壊して堤防を作る予定だったそうで、橋は残してほしいという地域住民との調整に時間が掛かっていました」
つまり、国交省の調整能力のなさで上流域の堤防は先延ばしとなり、越水を引き起こしたとも言える。繰り返しになるが、上流域の堤防問題と二子玉川会とは端(はな)から全く関係がないのだ。
「無言電話もあり、家の電話に出てもどうせ嫌がらせに決まっていますから、もう留守録にして出ないようにしています。もしかしたら、安否を気にした知り合いからの電話も来ているかもしれませんが、今の状態ではとても電話は取れません」(夫人)
台風が切り裂いた地域住民の絆。それは堤防問題に限った話ではない。
「排水できない時は、お皿にサランラップをかけて使うと、水洗いする必要がないので便利ですよ」
神奈川県川崎市の武蔵小杉エリア。タワーマンションが浸水被害を受けたことで一躍「全国区」となったこの地では、住民同士が「サランラップ情報」などを共有し、一体となって困難を乗り越えようと協力し合っている。
だが一方で、排水がままならず、電気もろくに使えない生活が続くと、否応なしに疲労が溜まってイライラが募り、人心は荒(すさ)んでいく。そして、時間の経過とともに「彼我の差」がどうしても気になり始めて……。
武蔵小杉を取材した大手メディアの記者が明かす。
「武蔵小杉駅周辺にある11棟のタワマンのうち2棟が浸水被害を受け、停電や断水の事態に見舞われました。中でも被害が深刻だった47階建てのタワマンでは、高層階よりも低層階で『エレベーター被害』は大きかった。すると、高層階と低層階の住民の間で『一体感』に差が生じ、高層階の住民の一部が『上(高層階)はエレベーターが動いているから大丈夫と思われたくない』とこぼし始めたんです。下の人ばかりじゃなく上は上で大変なんだ、私たちだって被災者なんだと……」
このようにタワマンの「上下」による「階層差」が垣間見られたのに加えて、
「同じ武蔵小杉でも、被害に遭わなかったタワマンの住民は、『うちの建物は、台風前後で全く変わらない』とアピールしていた。『台風に弱いタワマン』と思われると資産価値が下がってしまう危険があり、『浸水したのはうちではない、よそのタワマンですよ』と言いたかったんでしょう」(同)
並び建つタワマンの「横関係」においても微妙な意識の差が見られるのだった。
モンスター台風は、人々の内面にも深い爪痕を残したのである。
「週刊新潮」2019年10月31日号 掲載
新潮社
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191030-00590116-shincho-soci
役所も反対意見が出た場合、話を聞かないといけませんし、役所だけで一方的に工事を進めることができなくなないですが、裁判で工事差し止めになる場合もあります。
色盲検査反対、風しんなど予防接種反対、ごく一部の反対派のごね得が後になって多くの国民に迷惑を被ります。
今回の浸水被害は今まで経験したことが無い雨量が上流で降り続けたのが原因です。これまで一都三県で広域にわたる大きな災害を経験しておらず、災害を知らない、忘れてしまっただけです。
時代は変わり、日本でも竜巻被害も毎年聞かれ埼玉県の越谷市周辺でも竜巻被害がありました。
自然災害は目と鼻の先であるという認識に改めるべきです。
それより、この記事前も見ました
逆恨みで電話かけまくってるのは言語道断だけど、景観だけで反対するのもどうかと思ってしまう。
そうかな?「台風は、人々の厚化粧を洗い落としモンスターや真実の姿を露わにしたのである。」ではなく?
イライラや不安でたまらないのは理解できるけど、便利さや景観の良さで自らが選んだ物件だからメリットがあれば当然デメリットもあるわけで。
だれの責任かとなると、自然を無視した人間そのものじゃないかな。
景観なんて防災より優先するもんじゃないってことはみんな覚えておいた方が良い。
言い方悪いけど、家族が亡くなったり大怪我された人、家が浸水でダメになって深刻な被害を受けてる長野や福島その他にもたくさんの地域の方々から見たら
全くどうでもいいレベル。
マスコミは他にもっと報道するべき大切なことはないのか。
それと、役所のいう通りにしておけば良かった、という事ですよね。
調整云々の問題点ではなく、橋を残したいと決断した総意の自己責任ではないでしょうか。
この地域には、責任転嫁する住民がいる三次被害を生まない事を祈ります。
昔からそこに暮らしている人たちは土砂崩れ、津波、川の氾濫が起こることはわかっているケースが多い。
今回も元々、農家や漁業従事者でなければ、安全に住むには向かない土地も多い。わかっていた人は避難している。
多摩川周辺も、電鉄絡みで土地の売買が盛んに行われた場所。
知っている人は購入しない。土地の特性は知っていた方が良い。
それが昔からこの辺りに蔓延っていて団体の名前が変わりつつ精神は受け継がれて行ったのが間違いの元。
つまり根は深い。
ばっさりと安全を阻害する根は掘り起こして燃やしてしまわないと又時が経って何らかの安全を阻害する運動が起こるかもしれない。
これは教訓だな。
京都の一部の地域は景観の為に色々と犠牲を払っている。
それは地域の経済活動に大きく関係するので充分理解したうえでの事だ。
こんな何の変哲もない住宅街と世界に名だたる観光地とを同じにしてはいけない。
住宅街は住民の安全が第一だ。
住宅を購入する際の最も大切な要素、それは住民の安全。
他の住民や行政、司法に理解されない活動だったのだから、言い訳にしか聞こえないけど。
成田の三里塚闘争みたいな感じで、昔は大反対、今になって羽田に対抗心。
よって、復旧に向けては、住民と管理組合でしっかり話し合って頂ければと思います。ただ、管理組合も完成したものへの管理を請け負っていると思うので、今回の件では責任はないのかな。やっぱ最後は住民が費用負担して復旧させるしかないでしょうね。
自分達さえ良ければそれで良いと言うことですね。
貴方方が反対した区間は堤防が整備されたかも知れませんが、反対したせいで完成が遅れています。
完成が遅れたせいで、さらに上流にある無堤区間は堤防整備が出来ませんでした。
それでも本当に無関係だと言うのでしょうか?
堤防事業と言う大きな物を小さい視点で話してはダメです。
全体に影響したと言う事について、ちゃんと責任を持たないとダメです。
それが出来ないなら安易に反対するべきでは無いですね。
自治体側からすると、こういう運動が発生することで堤防化の遅れを招いた可能性だってあるでしょうよ。
要はこの人たちの考え方が今回の水害被害者にとって許しがたいんでしょう。
他にも、ダム建設反対とかも水害被害に影響するかも知れないので、反対運動する人はしっかりと将来への責任の取り方も考えて行動したほうが良いと思う。
正義を振り回すのはいいが、必ず光と影がある。
水害がなければ、景観を優先したいのは人の性。
小さな自然を守り、コンクリートに覆われた堤防はなるべく避けたい。
当たり前の感情です。
しかし、いったん災害が起これば世論は逆転し、正義は悪となり悪は批判される。
数十年に一度の水害のために、普段の景観を犠牲にすべきかは、今回答えが出たようだ。
しかし、温暖化した世界では、堤防でも防ぎ切れないだろう。今後は、住むべきか移転すべきかの選択となる。
大変な時代だ。
下流だ上流だで関係ないとは無責任ではないですか?そしてそれだけ反対運動起こして解散している所も無責任。私たちにはまったく関係ないと言っている事にもすごく違和感あります。
今回は関係なかったと思いますが、あくまでもたまたま。先々の事を深く考えず景観を損ねるという理由だけで反対して、そのエリアに住んでいる人達の安全を省みていなかったのは事実。
一部の意見で反対運動起こしてその意見を押し付けるのではなく、民間団体も国もちゃんと議論して意見出し合って話し合って物事を進めていくのが本当は望ましい姿だと思います。
今になってまだ代表の方に電話かかってくるって…当時を知りませんが、必要以上にこの民間団体は建設反対でゴリ押し、騒いでたんじゃないですか?一部の意見を全員の意見かのように…
しかし、周りが問題なく、自分だけが被災するとなると悲惨だ。人間とはそういうものだ。
タワーマンションはマンションという「孤立」コミュニティを確立してしまい、マンション以外の地域との一体感がもともとない。それが良いときは「優越感」につながるのだが、今回のように地域は問題なくてもタワーだけ被災してしまうと、その優越的な孤立が逆効果になる。
なので、タワーマンション住民が周辺地域から同情されない、共感されないのは当たり前だし仕方ない。
しかし、父が亡くなり30年近く経過してこの土地を調べて行くと、意外と交通の便は良く、買物、病院は便利、しかも平地なのに今のところ水害はない。調べてみると昔からなかったようです。地震は怖いけど、史記にはなくて。そう考えると、住宅を選ぶ時は大切なんだと思う。
ただ、建築関係の仕事をしている私としては、今後水害が起きそうな場所では、地下駐車場、電気室を含めた設備関係、あるいは部屋の地面と言うか浸水高さから想定した高さなど考えないといけないのだろうと思う。起きた災害だけで済ませてはいけない。
精神以外の、金や物質の方が精神より重要だと、上辺では言わなくても本心で思ってる人は、自分の精神的な対処、コントロールが出来ない。
人間が作った金や物質は人間が使うもの。その人間自体は感情に動かされてて、欲があったり、不快を避けたりするために色々するが、それは互いに同じようにする為利害が生まれる。
そのバランスが偏ると不変が生まれ、それを外から見るとバカバカしいと思う客観性が出来、やはり理性が大事だと思うようになる。
そう言った全体を客観視すれば、何が生産的か
政治的なイデオロギーを抜きにしても分かるはずがそんな単純な事も普段は意識することが出来ない、それが私もそうですが人間なんですよね
本当にそうでしょうか?国は限られた予算を優先順位を定めながら、事業を進めます。河川の治水事業も、当然下流域から上流域へと対応をすることになるのではないでしょうか?その下流域の堤防問題が裁判ざたになり、時間を要したことが結果として、上流域の対応を遅らせたと考えるにが妥当では。
結局、二子玉川会が、今回の災害の遠因の一つではないですかね。もちろん、他の要因もあるでしょうけど。
コンクリートから人へなどと言っているから、こんなことになったとも言えますね。ハード整備より、災害復帰費のほうがはるかに高額で、取り返しのつかない人命もうしなわれたのです。
自宅の近くに、地形の影響で、小さな丘を大きく迂回しなければならない、片道一車線の道路がある。この丘は、二つの街の間に横たわっており、二つの街を行き来する車は多く、排気ガスと渋滞の温床になっている。
この丘にトンネルを通し、交通の円滑化と利便性の向上をしようと言う計画が、地元の何名かの運動によって頓挫している。
この運動には果たして正当性や合理性があるのか。地域全体の利益には反しないのか。一方的な見方による断定はできないが、はなはだ疑問がある。
いくら堤防の高さを上げたところで、それが設計された当時の想定の範囲を超えた事態が発生すれば、元々の土地の脆弱さが一度に露呈する。
自分は自宅前の道路が川になった経験を30年以上前に2回経験している。運良く当時も道路より一段上がった建物までは水は来なかったが、いずれはそういう事態も来ると覚悟している。
自然災害に関しては、完全に自己責任。そもそも住む場所は誰にでも選択権はあるのだから。
反対した場所が違うとか結局建設されたというが、反対運動があったから行政の動き治水対策が悪くなった要因であるのは事実やろ。
少しそれるけど、八ッ場ダムの建設反対や野党の代案なき反対も同じで、目先の自分達だけの利益(それを多くの人の利益と思い込んで勘違いしてる事が尚たちが悪い)だけで活動するのと変わらない。
沖縄の基地問題もそうやけど、大きな目線で客観的にその必要性を確り見極め行動活動しないと後で大変な事になる。
今回のこの件は正にそれやで。
にも関わらずまだ関係ないと言い張るは全く事の重大性を理解してない証拠。
この記事を読んで冤罪と思い同情してる人もまた同じやて。
他を優先してしまうことはありますし、工事を受注する側も敬遠します。
自分たちとは関係ない上流域だからと言っても、そのクレーマー団体が上流の当該地域まで進出してくる可能性は高いと、工事の発注・受注側は考えています。
工事による一時の騒音公害や、建前だけの環境保全を盾にしたクレーマー団体には、少なからずとも責任があると思いますけどね。
こういった災害が起きると何かと他人のせいにして、どうにかしてもらおうと考える。
管理を行うのが役所や公共事業の仕事ではあると思うが、責任を追及していい場面とそうでない場面の分別ぐらいつかないものだろうか。
他人に対して何かを思う前に、その場所を選んで居住してしまった自分の判断や、待遇を期待しすぎたことを悔いるべきだと思う。
しかし…その場所を選んで住んでいるんやから、“自身で選択してきた結果”と受け止めるしかないと思うんやけど。タワーマンションでも自分たちが“ここが良い”と選択したんやし、無理矢理に買わされたわけでもないんやろ。自然災害ばっかりは誰の責任にしてもしょうがない。なかには災害発生の判断ミスからくる人災もあるが…。明日は我が身で、覚悟して生きるしかない。
それならば、千曲川などの氾濫を説明して欲しいね。
それに、この種の犯人捜しというか稚拙な電話はいたずらを越して犯罪だと思うし平素から堤防建設賛成派がこの段になって状況が一転し立場の優位性を笠に着て脅迫しているだけだね。実際に今回の氾濫との相関をなんら証明していない。
そもそも、河川敷の傍に住宅建設をする人がおかしいのでね。浸水や水害で流失しても自業自得で、どうしても河川の傍が良いならば堅牢な分譲住宅の高層階に居住するべきだな。
資産管理はあくまでも完全自己責任。脅迫なんて通信記録からすぐに割り出されて逮捕になると思う。
言いだしっぺ”が損をする、という感じで行き場のないイライラを八つ当たりしているのだとは思います。
そういう方が多かったから、代表として物申した”ということで
景観重視の支持が当時は多かったということだと思います。
それが認められなくても、行政としてこの地域の方々は安全より景観重視なのだと思い込みその思いに適した形をとろうとしたから時間がかかっていたということでしょう。
誰が悪いとは言えませんが、二子玉/武蔵小金=高級住宅街=は景観重視というイメージを持たせてしまったことが地価(良く)にも防災(悪く)にも影響があったということではないでしょうか。
川崎側の堤防と遊歩道は実によく整って出来てる。
二子玉側から丸子橋に向かう東京側の遊歩道はとぎれとぎれで
実に複雑だった記憶がある。昔の巨人軍が良く通ったおでん屋の近くなんか
自転車で通るとかなり危険だった。
って言うのも小さいころ川崎の第三京浜下から多摩川の遊歩道を
サイクリングして二子玉回って兵庫島で釣りして丸子橋の方を
通って家に帰るなんて事やってたんで子供心に道が危ういなと思ってた。
東京側も一本筋の通った堤防が有ったら状況が変わったのは確かかもね。
それもそう言う反対ではなくかさ上げ堤防を願い出ていれば。
まあ一連の水害に誰が悪いとかはあえて言いません。
川崎側のマンホール吹き出し事件は係が水門なり閉めておけば
だったんでしょ?その位かな。
人間関係は各地で色々あるんでしょうけど復旧と言う共通の課題だけは
一致してほしいね。
八ッ場ダムも同じケースで 結果良かったら 反対って何だったんだろと思う
実害が起こると 知らぬふりするのも同じ
私の地区と違うというのも この程度の認識で 本人が鬼籍に入ったから電話の妻の私は被害者 といっても一緒に活動やってたんでしょ
解散した会かもしれないが、裁判に負けて、解散しただけで反対の気持ちは、ついこの前まで変わって無かったと思う。
夫人だろうが、非難を浴びるのは当然だよ。
自分達が、過去にやったこと。
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