ローマ教皇 核の傘の下で語る平和は偽善 →ごもっともだが、米中ロなど核保有国で発言して欲しい!
核の傘の下で語る平和は偽善 広島訪問のローマ教皇
11/24(日) 19:33配信
チャーター機で来日したローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇=2019年11月23日午後5時45分、羽田空港、恵原弘太郎撮影
訪日中のフランシスコ教皇は24日午後、広島市の平和記念公園で、「平和の集い」に出席した。教皇は「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何物でもない」と指摘した。また、「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と述べ、名指しは避けながら、核抑止力を唱える国々を批判した。
ローマ教皇が被爆地で平和のメッセージを出すのは、冷戦下の1981年に故ヨハネ・パウロ2世が訪問して以来、38年ぶり。フランシスコ教皇は広島について「大勢の人の夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって消された。人類に刻まれた記憶であり、私は平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じてきた」と語った。
教皇は演説で、「核の傘」の下にいながら平和について語る「偽善」を、強い言葉で非難した。「最新鋭で強力な武器をつくりながら、なぜ平和について話せるのだろうか。差別と憎悪の演説で自らを正当化しながら、どうして平和を語れるだろうか」
戦争のために原子力を使用することを、「人類とその尊厳に反し、我々の未来のあらゆる可能性にも反する犯罪だ」と宣言。「次の世代の人々が『平和について話すだけで何も行動しなかった』として、我々の失態を裁くだろう」と警告した。さらに、60年代に核の抑止力を否定し、軍備撤廃を唱えた教皇ヨハネ23世が出した回勅(公的書簡)を引用し「真理と正義をもって築かれない平和は、単なる『言葉』に過ぎない」とも語った。
その上で、フランシスコ教皇は人々に三つの行動を呼びかけた。これからの世代に「二度と繰り返しません」と言い続けるために「記憶すること」。自分だけの利益を後回しにして、平和に向かって「ともに歩むこと」。そして、原爆と核実験、紛争の犠牲者の名の下に「戦争や兵器はもういらない」と叫び、平和を「守ること」。これらが「広島においてより一層強く、普遍的な意味を持つ」と強調した。(河原田慎一)
朝日新聞社
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191124-00000048-asahi-soci
真実を求めすぎて100年以上も戦争をするような異常事態は避けるべき
もっと強く伝えるべき国がありますよね。
日本と割と近い3つほどのならず者国家が。
彼らにしっかりメッセージを送ってくださいな。
今世紀中に最初に何かあるとすればソコだと思うので
ローマ教皇の言葉は重いと思う。
これは日本で発言する事の意味はある。
ちゃんとアメリカ、ロシア、中国はもちろんだが、北朝鮮、イランにも響いて欲しい。
相手が殴りかかってきそうなら構えます。
相手が殴りかかってきたらガードします。
それでも相手が止まなければ反撃します。
教皇が先進国首脳を呼んで
核を禁止するよう命令すれば
みんな核を廃棄するのでは?
それくらいの力はあるはず
そのようにして欲しい
一方で、隣にナイフ(核兵器)を持っており、攻撃するポテンシャルがある者がいるときに、防御する術を持たないという選択はなかなか難しい。結局は皆がアメリカ、中国、ロシアの言うことを聞くのは、核兵器を持つ、強大な兵力(=国力)を持つからであろう。力がある者が力の無い者を支配してきたのが世界史である。理想と現実。このバランスが非常に難しい。
いつでもベストを選択できるほど世界は単純ではないだけ
核兵器が一定の拡散をした現実がある以上、皆がそれを放棄するのは容易い話ではない
ぶっちゃけ宗教家は理想を語ればそれで済むが政治家はそうではない
本当に理想を実現させたいのなら祈りではなく具体的な提案をするのが第一歩
核兵器落とした国や持っている国で訴えてくれた方が良い気がするんだけどな。
被害国の日本が持とうとしてる、とかならとても意味のある事だとは思うんだけど。
日本国内だけで言えば、せいぜい桜の会がどうしたアベガーとやり合うだけだが、一歩外を見渡せば隣国には核を持つ国が存在し、アメリカの傘がなければミサイルが降ってきても不思議ではない状況ではある。
各国見渡したって消火しきれずに燻されたままの紛争事案は横たわっている。
平和ではないんだよ。結局のところ。
そこをディスクローズしたところで何の意味もなさないのだが、そろそろいがみ合う国々の間に立ち仲介する存在が必要なんだろうな。とは思わなくはない。
それが教皇さんなのか仏教界の偉い人なのかそうした界隈の方々の集まりになるのかは知らんが、そう言う行動をとる人が出てきてくれても良いように思うが。
指摘するのは誰にでもできる。
行動が難しいのも分かるけど、提言するとかさ、方法はあるんじゃないの?とは思ってしまう。
核の元での平和は成立しないのは確かに。でも、それは核の保有国に行って話してあげてほしい。北とかね。
お巡りさんも拳銃を持たなくて良い社会になればそれに越したことはないが、残念ながらそれは不可能。
最悪の場合、その軍事力によって罪のない多くの生命が奪われます。それを守るのに、こちらも抑止力を持って紛争ではなく、大きな戦争になることを防ぐことが、政治家の使命となるのも悲しいけど現実ですよね。順番は超大国から神なる力で、変えていって欲しいと願ってます。
欧州以上に大きな力が対立する太平洋地域ではそれが核を生んでしまったが、暴力という本質は同じです
核はひとつの側面でしかなくて、本質的には異なるイデオロギーを拮抗する武力で維持するという構造が基盤となる以上は、あとは使うかどうかだけだと思いますが
市民の平穏こそが真実だと思います
確かにその通りなのかもしれません。
ただ、現実は甘くありません。
侵略の可能性がある限り防衛として考えられるなら、考えなければならないでしょう。
日本の後には韓国の核武装もありうるでしょうね。
文政権下ではないですがね。
まあ、なんにせよ、中国、ロシアのすぐそばに核武装っていうのはおそらくありうるカードで彼らに対する恫喝にはかなりのけん制効果があるでしょう。
平和、平和は貴重です。
ただ、簡単に手に入るものではないことを中国が指し示してくれています。
秩序や交渉を成り立たせるには力がいる。
力がなければ犯罪一つ取り締まることはできず、演説すらナイフ一つで潰される。
教皇の様な権力者が演説するなら、国々のパワーバランスを念頭に、平和の形がどういうものか、実現し得るものなのかしっかり考えておいてもらわないと、平和のつもりの行動が戦争の引き金にもなりうるぞ。
今回ローマ教皇の来日で多くの人が関心を持ってくれて関係書籍に触れたり来日してくれたらとてもいい機会になると思う。
演説の真意は普遍的な考え方としてだろうけど、最終的な問題解決方法の拠り所が宗教に根付くものである限り万人を説くのは難しい。
教皇の活動は尊いものだけど、どんな人間の言葉より広島・長崎の記憶を綴った映像の方が力がある。
それは核も軍隊すらも保有してない日本
で言っても自己満足にしかならず
単なる綺麗事で終わりかと思います。
もっと行くべき国も伝えるべき相手も
目の前に居ますから、見ないフリは止め
中国、ロシア、米国などで言われるべき
事かと思いますが
日本の被害者に祈りを捧げて頂いた事は
心より感謝し敬意を表します。
個人的には宗教が御布施や寄付をお金で求めるのは大嫌い。お坊さんの托鉢みたいな「日々の糧を頂く」のが本質であって、年中信者への性被害やら不正会計やらの問題を起こしている方々に畏敬の念は浮かばない。個人的な犯罪者の問題では無く組織的な問題だと思う。
中国共産党が国内の宗教弾圧をしている。アフリカ諸国でキリスト教徒が鉄砲バンバン撃ってイスラム教徒などと襲撃しあっている。平和宗教じゃない。
既に核ミサイルを持っている国もあれば、密かに技術を売って利益を得ている所もある。
韓国は南北統一すれば核ミサイルを所持する国になると喜ぶ(反日教育で今だに日本が攻めて来ると刷り込んでいるから)。
近い将来、世界人口が四倍になった時に宗教絡みで紛争が起きたら危険。宗教が権力持つのは恐ろしい。
しかし長崎にも落とされている事を忘れてはなりません。
この2発の爆撃は武器を持たない民に向けた明確なジェノサイドです。
これにより戦争終結が早まったという意見もあります。特に使用国では。それは、間違っていないと思います。当時の日本は一億総特攻と言葉もあった位ですから。
ですが、無差別な殺戮を正義とするのとは全く問題が別です
行為の本質はテロリストが公開していた首斬りと全く同じで、見せしめです。
しかし私は米国に対して恨みはありません。戦争未経験者で、原爆投下の是非について正しい答えは解らないし、今の日本を否定する理由も無いからです
ローマ教皇の祈りは被爆国の日本だけでなく核保有国でも是非行って頂きたいです。
日本は人類史で三発目を受ける可能性はあっても三発目を使う国では一切ないので。
アメリカやロシアが手放したとして、その後世界で何が起こるか容易に想像できるでしょう。
抑止力を維持することがベスト。
さしたらその盾を破ろうとまた矛が開発されて終わりかな…?
自分自身でない限り、自分でない誰かへの不信感はゼロにはならない。どうしたら真の平和を作り上げられるのだろうか。
そもそも真の平和ってどんな状態だろう。
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