小藪のポスターが「患者にも家族にも配慮がない」「誤解を招く」厚労省のPRポスターに患者ら猛反発
「患者にも家族にも配慮がない」「誤解を招く」 厚労省の「人生会議」PRポスターに患者ら猛反発
11/26(火) 17:32配信
厚生労働省
人生の最終段階でどのような対応をしてもらうことを望むのか、家族ら大事な人たちと話し合っておくことに、「人生会議」と愛称をつけた厚労省。その「人生会議」を広めようと作られ、11月25日に公表されたPRポスターが、がん患者団体や遺族から猛反発を受けています。何が問題だったのでしょうか?【BuzzFeed Japan Medical/岩永直子】
ポスターは「人生会議」のキャンペーン事業を受注した吉本興業が作成し、「人生会議」という愛称の選定委員にもなったお笑いタレントの小籔千豊さんを起用しています。小藪さんは50代だった母親を亡くした経験があります。
ポスターでは、小藪さんが死を目前とした患者として酸素チューブを鼻につけ、ベッドに横たわりながら、心の声を明かしている内容になっています。
青ざめた暗いイメージで撮られた写真に重ねられているのは、自身の望みを伝えることができなかった家族に対する不満の言葉です。
《まてまてまて
俺の人生ここで終わり?
大事なこと何にも伝えてなかったわ
それとおとん、俺が意識ないと思って
隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど
全然笑ってないやん。
声は聞こえてるねん。
はっず!
病院でおとんのすべった話聞くなら
いえで嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな
「人生会議」しとこ》
小藪さんの胸の上には、心電図モニターのような波状の線が平らになったところが重ねられており、死の直前であることを強く匂わせています。
スマイリーホームページに掲載された抗議のお知らせ
これに対し、がん患者の仲間や家族へ相談支援を行なっている卵巣がん体験者の会「スマイリー」代表の片木美穂さんは、11月25日、作成した厚労省の医政局長や地域医療計画課在宅医療推進室長、PRポスター担当者あてに、抗議の文書を送付しました。
「『人生会議』のPRポスターについて改善のお願い」と題した抗議文書の中で、片木さんはまず、
《「がん=死」を連想させるようなデザインだけでもナンセンスだと思いますが、このような強い後悔を感じさせる恐怖感を与えることで本当に「人生会議」をしようと思うのでしょうか?
これを目にする治療に苦慮する患者さんや残された時間がそう長くないと感じている患者さんの気持ちを考えましたか?》
と訴えます。
これについてBuzzFeed Japan Medicalの取材に答えた片木さんは、「青ざめた色味や鼻のチューブで、がん=死のイメージを濃厚に漂わせていますが、これを治療中の患者さんがどれほど不安な気持ちになるか全く考えなかったのでしょうか? 『いずれこうなるのではないか?』という恐怖心を抱かせてどうするのでしょうか?」と問いかけます。
また、死ぬ直前の人が家族の言動を非難した内容に、「病院で死ぬ人を見たことがあるのでしょうか? 家族は大事な人の死を受け止めるのに必死で、患者さんに声をかけ、足をさすって必死になっている時間です。最後の大事な時を茶化されているようで不快です」と語ります。
抗議文を送った片木美穂さん
さらに、抗議文ではこうも書いています。
《そしてもっと患者と話をすれば良かったと深い悲しみにあるご遺族のお気持ちを考えましたか?
患者が旅立つ際に医療機関や在宅の場で立ち会うこともあり、どれだけ家族で話し合っていたとしてもご遺族が「もっと話し合っておけば」と悔やまれ深い悲しみを感じておられる姿を見てきています。》
片木さんは、「どれだけ話し合ってきた家族であっても、後悔を抱かない人は少ない」と遺族の心情を思い、ポスターの文言が無神経だと憤ります。
「どれだけ話していても、『もっと聞いてあげれば良かった』『結局は本音を言えなかったんじゃないか』『もっと話をしたかった』と後悔を抱くことが多いのに、話し合いの大切さを強調するために、懲罰的な言葉や脅迫的な手法を使えば、傷つく遺族がいるでしょう」
何が伝えたいのかわからないということを中心に、抗議文を書いた
すい臓がんで夫を亡くしたすい臓がん患者・家族会「パンキャンジャパン」静岡支部長石森恵美さんも、このポスターについて、厚労省に手書きの抗議の手紙を送りました。
夫をすい臓がんで亡くした石森恵美さん
取材に対し石森さんは、このポスターを見たときの第一印象を、「呆れた」という一言で表します。
「闘病中の患者さんやサバイバー、遺族など様々な立場があるでしょうけれども、立場を外して考えたとしても、これは『人生会議』という言葉で広めたいものが全く伝わらない内容になっています。本来、どんな風に最後まで生きたいかを患者や家族、医療者で共有し合うためのものだったはずです。誤解をもって伝われば、最終的に患者さんや家族を傷つけることにもつながります」
石森さんは死について語るのに、笑いや冗談の風味がまぶされていることにも違和感を抱きます。
「死や死にゆく人を茶化すような表現は、関西弁を使ったり、お笑いの人が登場したりしていることを考えてもおかしいですし、関西の人だって死や病気になって生きることに真剣に向き合っているはずです」
「小藪さんのファンの子どもたちがこれを見て、誤解してしまうのが怖いです。表面だけみて、笑いや薄っぺらい誤解のもとに患者と家族の関係を捉えてしまったらどうするのでしょうか?」
「一方で、脅しやネガティブな表現で、人生会議を広めようとしていることも気になります。誰に伝えたいのか、人生会議の主語がこのポスターではわからないこともモヤモヤします。病院などに掲示されて目にした時に、誰が何を誰と話し合うのか、きっと伝わらないでしょう」
厚労省の在宅医療推進室に取材したところ、今回のポスターについてはTwitterなどで批判の声が数多くあがっていることを把握しているが、今のところ、直接、届いている抗議文は2通のみだといいます。
「見た人の受け止め方は様々ですし、我々の伝えたかったことと齟齬があるようなので丁寧に説明する必要があると感じています。我々が普及啓発したかったことは、人生の最終段階でどのような医療ケアを受けたいかを話し合っておけば、本人の望むケアが受けられるということです。それは望ましいことのはずです」
「人生会議」の普及啓発事業は、吉本興業に一括委託しており、今回のポスターや同時に作られた動画の画像や文言などは吉本側の提案を、課長、室長までがチェックして完成したといいます。外部の委員などには事前に見せていません。
都道府県や市町村に配布する予定で、公立病院に貼られる可能性も考えた上での検討だったといいます。
茶化しており、患者や家族の心情に配慮がないのではないかという指摘については、「笑わせようという意図があったわけではない。今回の場合は、最後はゆっくり自宅で過ごしたかったのに話し合っていなかったから叶わなかったというところが伝えたかったメッセージ。患者や家族を傷つけようという意図はなかったが、伝えたいメッセージが伝わっていないということも含め、様々な批判の声を受けて、今後どう対応するかは考えたい」と話しています。
小藪さんが登場する同じ内容の動画も近日公開予定ですが、この取り扱いについてもどうするかは決めていないといいます。
「人生会議」という愛称を決めた選定委員会
そもそもこの「人生会議」、最初に愛称が決まった時も、がん患者団体からは違和感を抱く声が多く聞かれていました。
その違和感の正体が、今回のポスターでますますはっきりしたと話すのは片木さんです。
「家族と話し合う内容が、どうやって死ぬのか、となっているのに違和感があるのです。患者の立場になれば、どうやって死ぬかを話し合いたいのではない。その瞬間までどう生きるか、どう過ごしたいかということを話したいのに、『死』に焦点が当てられているのです」
そして、もし死の直前の対応だけを話し合っていたとしても、必ずしも希望通りにいくわけではないと指摘します。
「在宅で過ごすことを希望しても、呼吸苦がひどくなれば入院せざるを得ませんし、臨機応変に過ごさざるを得ないのが最終段階の現実です。患者さんや家族が何を大切にしているのか、その時々での最善を選択するために医療者と信頼関係を作りながら徐々に語り合っておくことが必要なことであって、希望を話しておけばそれが叶えられるという短絡的な話ではないはずです」
さらに「人生会議」の啓発キャンペーンで、医療現場に弊害も生まれ始めていると言います。
「いよいよ体調が悪化した患者さんにそれまで面識のない看護師が、『どこで死にたいですか?』といきなり質問してきたという話も聞きました。主治医が自分の患者に『どう死にたいか』アンケートを取って、学会発表をしたという話も聞きます」
「刻々と状況が変わる人間相手に、機械的に最終段階の希望を聞いておくのが『人生会議』の目指すものではないはずです。今回のポスターも含め、もう一度、患者や家族が最後まで自分らしく生きるために何が必要なのか、考え直していただきたいと思います」
【BuzzFeed Japan記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191126-00010003-bfj-soci
これは心筋梗塞とか交通事故で、突然の別れが来た家族には切実な話。
誰しも老衰で亡くなるわけではなく、その瞬間は突然やってくる。だからそれに備えて話し合う機会を持とうという意味にとらえたのですが…。
私自身、術後の麻酔がさめきらない中、話せないのに耳だけははっきりと覚醒していて、家族の会話の内容はすべて聞こえていました。だからこの感覚は分かるところがあります。
このポスター、大事なことを考えさせるいいキッカケになると思うけどなあ。
不快に思う立場の人がいるかもしれないけど、それ言ったらもう無難なものしか作れない。無難なものしか作れないなら広告の意味が激減する。つまり一般人にはあまり刺さらない印象も影響力も無いものになりがち。
突然の事故で仕事中の知らん間にあっさり逝かれた身内を持ってる人から見たら、がん患者なんて話し合う時間がたっぷりある恵まれた逝き方じゃないか。
しかも今や延命率も高くなって必ずしもすぐ死ぬ病気じゃないし、生き延びたら生き延びたでサバイバーとしての生き方もあるし。
それが突然ということもあるでしょう。
今まで後悔をしてきた患者、家族が多かったからこそ、
そうならないように生前にしっかりと考えておきましょう、という
意図は十分にわかります。
抗議している人の気持ちもわからないではないですが、
では、どのようにして後悔しないように生前に考えておくことを啓発するのが適当と考えているのか、とりあえず代案を出してみてもらっていいですか?
いざという時は誰にでも、平等に、急に来るし、
それは日常の延長線上にあるものなので、話題にするのは不謹慎でも何でもない。
身内を立て続けに亡くしましたが、本人の希望が分からないことほど困る事はない。
本人に意識のない中「今夜が山かもしれません、延命治療はどうしましょうか?」と聞かれて死ぬほど悩みました。
家族は分からない状況では、どう判断しても罪の意識に苦しむものです。
小藪さんは失礼ながら嫌いですが(ごめんなさい)このポスターは、遺族としても、不快感はないだけでなく「よく作ってくださった」と思いました。
逆に優しく前向きに…な内容では、まだ先のことよね、と放置しそう。
このポスターの形であるべき人達だけに見られる、棲み分けがあるとうれしい。
がんは残された時間も治る可能性だってあるわけだから、死を意識して「人生会議」とやらを開く猶予はあるわけ。いわばがん患者はこの立場とは一番遠くにいる存在。
でもこれは違うでしょ。いきなり「死」と直面しなきゃならなくなったその瞬間の後悔を切り取ってるわけで、ゆっくり死に近づいている人ではなく、それまで「死」を意識したことがなかった人が突然亡くなる場合を言っているのだと思う。
がん患者の方やその家族はそれはそれは大変だと思うけど、なんでもかんでも「自分のことだ!」「ひどい!」「こんなにつらいのになんてことを!」って過剰反応しすぎというか自意識過剰すぎない?
その時思ったのは、もっと沢山大事なことを話しておけばよかったなーと思ったのです。まだ若いから死は先のこととお互い思っていたのですから。だから、このポスターの意図することを冷静に見つめてみてはどうだろうか?
今死に面してる人にはそもそも失礼だが見れないし、可能性がある人もない人も、自分の終わりを意識するのは決して不謹慎ではないと思う。
しんみりしたポスターにするのがいいのか?いつか人は死ぬ。それは誰にも止められない。死に直面した時に起こりうる問題を、啓蒙して明るく伝えてるだけ。
コレを見て、今のうちに明るく会議できれば良いじゃないか。
何でもかんでも反発するのは現代の悪い風潮。
でも厚労省ももう少し分かり易い表現はなかったのだろうか。
少し回りくどいのがまずかったのかも。
死から目を逸らして戦うことを俺も母も選んだ以上、そうなるのは仕方なかったと思う。でも母親の人生の終わり方がああでよかったのか(良いわけがない)という思いは一生背負うと思う。
他の人にもそれを考えてほしいし、そういう意味で俺はこの演出を評価したい。ありがとうと言いたい。
傷ついた人もいるんだろう。俺だって傷口に塩を塗られるのは嫌だ。でも、こんな話に「誰も傷つけない方法」なんてあるわけがない。ああ言えばあっちが、こう言えばこっちが傷つくのだ。じゃあ何も言わない、で傷つく人もいる。
傷ついた人は「傷ついた」と言えばいい。それはそれで重要なことだ。でも最後にはどうあっても「これ以上は傷つく人を減らせない。もうこれで行きます」という決断は絶対に必要だ。
実際、救急で運ばれた人がそのままの場合もありますし。
時間がないのにテレビやスマホばかりで家族ときちんとはなさない人もいますし。
死について話しにくい日本人にとってはこのくらい院のアクトがないと伝わらないと思いますよ。
希望しったてその通りにはならない。だから元気な時からしっかり会議しときましょって話でしょ?いい啓発ポスターだと思うけどな。芸人さんや関西弁に失礼な事も言ってるし、ガチで暗い写真にしたらそれこそ死を連想するんではないの?
私は医療者側ですが、とっても大事な事を伝えていると思いますよ。
心臓マッサージはどうするのか、気管挿管するのか、人工呼吸器は付けるのか、経管栄養はするのか、胃瘻はつけるのか、点滴はいつまでするのか、昇圧剤は使うのか、抗生剤は使うのか・・・
話し合うべきことはたくさんある。何も話し合われないまま、医療者になされるがまま死ぬ患者は多いし、医療者側も「この人最期どうすんの・・・」と思うような寝たきり患者も、病院にはたくさんいる。
批判する人の意見もわかります。
でも、今この瞬間が最後になるなら難しいけど…ある程度先がわかるなら少しでも話した方が、と思います。
どんなに話していても、後悔するし、もっとなかったのか、と言う人もいる。
ただ、あの時話していて良かったって言う人の方が断然多いです。
一側面に重きを置くとその裏側にまで届かないことがありますね。インパクトがあるのでとても印象に残りますが、少しホラーな印象もあるポスターなのでもう少し柔らかい表現だったら受け入れてもらえたんですかね?
幸い、運が良くて休止に一生を得たが、まさか自分が今日死にかけるなんて、普通思わない。
それを伝えるためには、少々強いメッセージは必要でないか?
そりゃ、病気の人は可哀想ではあるけど、健康な人は考えもせずに明日があると思ってるよね。そんな人に向けたメッセージでしょ?
生きてるうちに、意思がはっきりしてるうちに、伝えたいことは伝えときましょう、って。
明るいポスターでそんなこと書かれても健康な人は見向きもしないし、刺さらん。
あれ?っと思わせて読ませる、そして抗議する人間が出てきたことによって話題性があがる。
ポスターとしては成功なのかもしれない。
私もガンではないけれど
くも膜下の後遺症で意思疎通のできない
寝たきりの父親がいます。
私には突然で事故のような衝撃でした。
このポスターを見て私が感じたのは
父がこんな風にユーモアまじりに思ってたら
救われるなぁと感じました。
死と向き合うと、どうしても暗くなりがちですが
ユーモアがあっても良いのではと。
人生にユーモアは大切だと思います。
感じ方人それぞれだと思いますが
鼻息荒くして抗議するまで深刻な内容かな??
二元論的思考でダメ出しするだけなら当たり障りが無く無難な物ができる代わりに、このテーマを知らない人への伝播・メッセージ性を捨てることになると思う。
クレーム入れてる団体こそ、この会議を推進しないと。
突然事故なりで亡くなることもあるんだし、もうヤバイよって言われてる病気であるなら絶対やるべき。不老不死なんてないんだから避けるべきじゃない。
本人の意思や家族の尊重が分からないんじゃ病院でもどこまで救命処置していいか分からないし。
このポスター見て抗議したいなんて全く思いません。抗議してる人達、綺麗事並べてるように聞こえるよ。たった5年の間に続けて身内を亡くしましたがこのポスターもっと早く見たかったなと思いました。人は必ず死にますから。その死が突然かもしれないし、長く闘病するかもしれないし。
最後どうして欲しいか話し合うって大事なことだと思う。この抗議をうけてポスター自粛とかしないでほしい。
このポスターは緊急事態の「リアル」を表現したものです。
家族と話し合いの時間が残されているがん患者に向けたものではないとおもいます。不快に思われる方がおられるのも理解できますが、ポスターと同じ状況を経験したものとしてはポスターの意図とは違う方が抗議しているだけとしか思えません。
ある日、突然心筋梗塞で救急車で運ばれ、緊急手術。たくさんの点滴、呼吸器に繋がれて、私に何かを伝えようと必死にゼスチャーするが、全く意味はわからない。そのまま亡くなった。
元気な時こそ、家族会議
大切な事と思います。
ポスター復活して欲しいです。
このポスターはあえての笑いだけど、もし実際になにも準備をしていなくて危篤になって、家族が右往左往してるのがわるとしたら、意識があれば家族の力になれたのにって思って後悔するというのは容易に考えさせられる。
何でもかんでも、自分たちに向けられていると思うのはどうなんだろう。大変なのはわかる。でもなんでもかんでも配慮はできない。
そもそもこのポスターのコンセプトは、いつなにが起きるかわからないから準備をしておこうということなんだし。
きっと家族や自分がその状態の人たちには、広告が誰に向かってのものなのかも考える余裕がないということなんだと思う。
宗教観も相まってこの話になってるのは分かるんだけど。どっちもわかるよ、だからお互いちゃんと見極めていこう。私が苦しいからやめてくれはあなたの苦しみを他の人へと生んでしまうかもしれないという苦しみの伝搬を運搬を生んでいるかもしれないことにも忘れないで欲しい。
このポスターは本当に大切な問題提起です。
心筋梗塞や事故などで突然死と向き合わなければならない方、徐々に増悪していく方様々ですが、治療選択の意思決定しなけばいけない時に患者様本人の意志を確認することができず、これ以上の治療はしないという選択を家族が代理意思決定することで自分が殺す決断をしたよいに思い苦しまれるご家族はたくさんいらっしゃいます。また、できる限りのことをすると家族が決められた場合も患者様本人の気持ちが蚊帳の外にされてしまうこともあります。
誰しももしものときはいつくるかわかりません。
いま、現在死と向き合っている患者、ご家族には辛い話題かもしれませんが、いざという時に初めて話すのは辛いし難しいから、自分がどのように生きたいか、最後をどう迎えたいか、タブー視せずに日常的に話しあえるようにしていこう!ということではないでしょうか。
こうした議論に一石を投じたり啓発活動を行うのは癌患者やその家族だけの権利でしょうか?
もしそうならこれまでの当事者達による啓発活動の影響力が弱かったから、今こうしたキャンペーンをしなきゃいけないって事に繋がっているのではないでしょうか。
また記事の中で主治医がアンケートを取って学会で発表した事がさも不謹慎かのように書かれていますが、医療者側の立場で知見を集めて広く共有する事で、社会に影響を与えていける可能性だってあるはずです。
抗議する人達の気持ちも分からなくもないですが、抗議して潰す事で議論の機会を奪ってもいいものなのか疑問に思います。
でもなかなか機会もなく延ばし延ばしになっていたので、この記事を見て良いきっかけになりました。
ポスターを出したことも、批判が集まったことも、結果として周知に繋がって良かったですね。
50代の女性が脳出血で運ばれてきました。
その方は、自身の父親が脳血管疾患で長患いした経験から、
もし自分が同じ状態になっても、絶対に手術はしたくないと言っていた、と。
女手一つで育った彼女の3人の息子さん達は、
母親の意思を尊重し、涙を流しながら手術を拒否しました。
もし、血腫除去術を行なっていたら、
ひょっとすると、重度の障害で意思の疎通が出来ない寝たきりの状態ながらも、
命だけは助かったかもしれません。
でも、恐らく息子さん達の負担になるくらいなら、
何もせずに死を迎えることを望んだのだと思います。
彼女は、3日後に旅立ちました。
息子さん達は、これで良かったのかと
ふとした瞬間に、これから何度か想いを巡らせることがあるでしょう。
けれども、母親自身が生前に伝えていた気持ちを家族が理解していたからこそ、
決断できたのだと思います。
私はこのポスターを見て、交通事故とかで急に危篤状態になったのかなと思った。
一般の人向けならいいけど、病院には貼らないほうがいいかな。
やっぱり入院中は心がデリケートになって、些細なことで気持ちが落ちたりするから。
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