ゴーンがひた隠しにしてきた「父親」は死刑囚…蛙の子は蛙かぁ
ゴーンがひた隠しにしてきた「父親とその過去」
1/16(木) 5:40配信
語られてこなかったゴーン被告の父親の意外な過去が過去の新聞報道からわかった(写真:Ammar Abd Rabbo/ABACAPRESS.COM)
「私が驚いたのは、彼は20年もテレビで取り上げられているのに、この話がいっさい表に出てこなかったことだ」。そう言いながら、カルロス・ゴーンの元同級生はコーヒーに視線を落とした。
別の元同級生は、「彼がその話を私にしたことはない。そもそもこちらから聞くことだってなかった」と話す。レバノンの首都ベイルートでは長年、カルロスの父親は“無言の会話”で語られてきた。言葉ではなく、表情を変えたり、肩をすぼめるしぐさでされる会話だ。同情(「大変だったに違いない」)や、非難(「あの父親にしてあの息子あり」)、あるいはその両方を伴って、彼の物語は語り継がれてきた。
何の噂かって? 彼の父ジョージにまつわる噂だ。
■新聞の見出しを何度も飾ったジョージ
自伝『世界市民』によると、カルロス少年にとっての英雄は祖父ビシャラ・ゴーンだった。祖父は飢饉のために、ベイルートの北に位置する山岳レバノンのサルバ村を離れ、ブラジルに渡った。その地で富をなし、カルロスの父ジョージを含む8人の子供をもうけた。
日本経済新聞の「私の履歴書」によると、カルロスは幼少期にリオデジャネイロからベイルートへ移り住んだ。当初、父親はブラジルに残って仕事をしていた、としている。
が、その父ジョージの名は、1960年にフランス語の主要メディアだった日刊紙ロリアンの大見出しを数回飾っている。その年、カルロスは6歳で、父は37歳だった。
4月22日のロリアンの一面の大見出しにはこう記されている。「ソーファーで発見された謎の死体は密輸に従事する神父。両替商ジョージ・ゴーンなど5人の共犯者を逮捕」。同紙によると、ブロス・マサド神父はジョージら共犯者の助けを借りてダイヤモンド、金、貨幣、麻薬を密輸しており、4月17日に射殺された。
同紙によると、撃ったのはおそらくジョージで、理由はおそらく金銭トラブルである。動機としては、マサドはガーナで手に入れベルギーで売り抜けたダイヤモンド1.5キロの売却収益25万レバノンポンドをジョージに支払う必要があった。神父が経済事案に関与するのはショッキングな話ではない。レバノンでは長い間、神父は在外コミュニティーと故国にとどまる人たちとの間の銀行サービスを提供していた。
事件の3日後にジョージは逮捕された。事件は何度かロリアンの一面で取り上げられた。「ジョージ・ゴーンは殺人事件への関与を否定」と、日刊紙の大見出しに記されている。後に警察は、マサド神父を最初に撃った容疑で第2の男を逮捕した。だが、その男は、ジョージが「2発目を撃って、殺害した」と主張した。
7月14日に、捜査判事は被告2人に死刑を求めた。1カ月後、同紙はバーブダ刑務所でのジョージの辛苦について報じている。伝えられるところでは、ジョージは到着するやいなや看守に賄賂を渡した。「彼らをかわいそうに思ったから。彼らは私のところにやってきて嘆き、悲しんだ。彼らを救うことができると思ったからそうした」と、裁判官に説明している。
■脱獄に失敗したジョージ
ジョージは刑務所の主となり、半ば自由に過ごした。前述からわかるように、この刑務所は“ざる”だったので、囚人と看守は近所の賭博場によく遊びに出かけた、とロリアンは報じている。
実際には、ジョージは資力を生かして、脱獄の準備を整えた。脱獄は8月4日の明け方に実行された。共犯者らはブリキ屋から盗んだのこぎりで10日かけて窓格子の桟を2本取り外して通路をこしらえ、(ジョージの殺人の共犯者を含む)囚人11人が脱走した。だが、脱獄者たちはジョージを……置き去りにした。
看守が発見したとき、ジョージは「マットレスの上にじっと座って、何本もタバコを吸っていた」とロリアンは報じている。ジョージは、「私は眠っていた。警察官の叫び声がして、それで目が覚めた」と説明した。
ロリアンは別の見方も示していた。脱獄者がこしらえた通路は肥満体のジョージには狭すぎた。本当に脱獄を望んでいなかったのでないとしたら、共犯者の脱獄を準備して、その代わりに自身の殺人罪を免れさせる手紙を書かせるつもりだったのではないか、と同紙は後に推測している。脱獄の数日後に、ジョージは囚人47人を率いて、ハンガーストライキを行った。同刑務所はジョージをベイルートの要塞刑務所に移送した。
裁判は1960年10月6日に始まった。法廷はジャーナリスト、見物人、そして、ベイルートや故郷の村から「バス3台とタクシー15台」でやってきた殺害された神父の親戚でいっぱいになった、とロリアンは報じている。ジョージは1人で裁判に臨んだ。共犯者とされる者は逃亡しており、不在のまま裁判が行われた。その共犯者はその後も捕まることはなかった。
1961年1月9日、ジョージはマサド神父殺害の共犯者で、教唆(きょうさ)したと認定された。そして、死刑を宣告された。判決を聞いたジョージはその場に倒れ込んだと、ロリアンは翌日の一面に判決の前と後の顔写真を掲載して報じた。
■父親のことはいっさい話さなかった
判決によると、聖職につくことになっていたジョージは、20年前に神学校のベンチでマサド神父と出会った。それから何年も後にナイジェリアのラゴスで偶然再会し、密輸で得られる莫大な利益を約束して神父を堕落させた。
ジョージのせいでマサド神父は、アフリカ、欧州、アジア間で貨幣、ダイヤモンドその他の禁制品を運ぶ、最も「怪しまれない運び屋」になっていた。だが、ジョージは、神父の殺害を決意した。あまりに欲深くなって、ジョージを騙そうとしたからだ。
裁判官は、ジョージが神父の殺害を統率したと結論づけている。ジョージは殺人に立ち会ったが、発砲はしなかった、ともしている。「こうした事情があったこの殺人は、新聞の大見出しを飾り、刑法第549条に従ってジョージ・ゴーンを予謀殺罪で死刑とした」と、傍聴したロリアンの記者は淡々とした筆致でつづっている。
父が死刑を宣告されたとき、カルロスは7歳だった。当時、彼はベイルートにある超名門のイエズス会系のコレージュ・ノートルダム・ドゥ・ジャンムールに通っていた。「イエズス会士と過ごした年月は私にとってとても重要なものだった。私は規律や、競争と卓越の感覚を学んだ」とカルロスは語っている。
小学校のときは手に負えない児童だったカルロスは、中学・高校ではおとなしい生徒になって、よい成績をとり続けた。父親のことは? 「その話はいっさいしなかった」と、ある元同級生は話す。別の元同級生は、絶対にその話をしないように、と学校側からたいへん厳しい指示があったことを覚えている。
1962年12月20日、控訴審で死刑判決が破棄され、ジョージは15年の有期刑に減刑された。そして、1970年11月に刑務所から釈放された。
ゲーム終了? すっかりというわけではない。釈放の4カ月後にジョージはまた逮捕された。今度はベイルート中心部ハムラ通りのホースシューカフェでだ。買い手を装った警察官にはめられたジョージは、3万4000ドルの偽札を所持しているところを見つかった。
刑務所から釈放されて以来、ジョージはイタリアから輸入した印刷機で偽札を刷っていた。「逮捕されるまでに100万ドル分の偽札を流通させていた」と、ロリアンは報じている。
逮捕翌日にジョージは、刑務所のドアから引きはがしたアルミニウム片で手首の静脈を切り裂いて自殺しようとしたという。
ロリアンは当時の記事の再掲や、これについてのコメントはしていない。今回、筆者が当時の新聞記事の写真を利用したいと問い合わせたところ、拒否された。
■父親の葬儀にはひっそりと参加
同級生によると気性が穏やかだったというカルロスは、勉強に情熱を燃やしていた。1971年、17歳のときにパリに出て、リセ・スタニスラス入学に備えた。
1972年11月27日、ジョージは再び判決を言い渡された。今回は3年の有期刑だった。その年、カルロスは18歳の誕生日を迎えている。1974年2月、20歳のときに10人ほどの外国人とともにエコール・ポリテクニークに入学。学生証の「国籍」欄には「ブラジル」と記載した。「彼はレバノン人ではなく、ブラジル人と付き合っていた」と、当時の親友は振り返る。
その後、ジョージが新聞で大きく取り上げられることはなくなった。ベイルート市民は、1975年の内戦勃発の混乱に乗じてブラジルに戻ったと推測している。ある友人によると、ジョージの葬儀は2006年ごろにリオデジャネイロのサン・フランシスコ・デ・パウラ教会で執り行われた。妻ローズは列席していた。そして、息子カルロスも。
(敬称略)
レジス・アルノー :『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員
【東洋経済オンライン記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200116-00324805-toyo-soci
凄いなんてもんじゃないな。
やっぱり、ブラジルとか中東は日本人からすると色々が違いすぎるね。
親を見ないから親と同じ立場になる、逃げる事だけ見たのかな?
ゴーンが尊敬してた祖父もブラジルで成功したのは農産物の仲介業者という怪しいビジネスしてたから同じ種類の人物だろ。もしかしたら父親は祖父の右腕として汚れ仕事を始めたのかもしれない。
本人に当時は問題がないと判断されてルノーへ就職し頭角を現したのかも知れませんが、結果的にお金に意地汚く頂点を極めた晩年存在をひた隠しにしてきた父親に結局はよく似た男に自分がなっていたように感じます。
血は争えないそんな気がします。
またキャロルのお金に対しての執着心や意地汚さがより今回の利益の搾取や国外逃亡を助長した気がします。
似た者同士ですね。
最高にお高くとまっているゴーンがひたすら隠すのは良く分かる。
違法に脱出する際に、手助けされないと妻子の安全を脅かすとまで脅迫した当事者グループのヘッドはゴーンなのだから、カルロスゴーンもまた恐ろしい犯罪者であることに変わりはない。
自分の犯した厳然たる犯罪を罪と思えない理由が垣間見えました。納得です。
犯罪者は犯罪者の血統!
地元にずっといると全く同じ。
性格はだいたい同じだし、警察にお世話になる
ような変わった奴も親も爺さんも同じ。
今はやってないらしいが、就職の時身辺調査は有効だと思うよ。
父親と同様に彼も貪欲の道を行った様だ。
個人的にゴーンの父親の話なんてどうでもいい、あー血筋かって思うぐらい、日本で犯罪犯した逃亡犯が海外でノウノウとしてることが納得いかない、妻に会えない、留置場は劣悪な環境、司法がおかしい、当たり前じゃ┐(‘~`;)┌日本で罪をおかしたら犯罪者だろうが聖人だろうが罪は罪、ホテルではありません、日本の司法世界と比べおかしいルール、古い考え等あるのは事実ですが罪が消えた訳ではありません、まんまと保釈勝ち取ったナンとか弁護士??、確か絶対に逃亡しないのを条件とかではなくて??、どう責任とる??もう少し日本の司法も変わって欲しい、人を裁くって難しい事とは思いますが。
是非、監督は「ショーシャンクの空に」の監督さんで作って欲しい。
めっちゃ、面白い映画になると思う。
リタ夫人と結婚していた時はまだその欲望は抑えらえていたのでしょうが、キャロルさんと結婚してからは、その欲望が加速してる。
日本に来たばかりの時の写真をテレビで見たけど、その時は、そんなに悪い顔はしていなかった。人間、悪い事をすると、人相が変わるのですね。
本当は父親のようにはなりたくなかったはずなのに、犯罪者になってしまった。ある意味、ゴーンをあそこまでお金の亡者にさせたキャロルさんの影響力は凄い!出会ってはいけない人と出会ってしまったのか、
出会って、お金の亡者になれて幸せなのか聞いてみたい。
今、ゴーンの子供達は彼をどう思っているのか。キャロルさんのことも。
他人を巻き添えにしても何とも思わないのは
父親譲りなのかな?
ゴーンはこんな父親を尊敬出来なかったと思うが、まさに今自分がやってることはそんな父親に近づきつつあるような気がする。
父は父、本人は本人でしょうけれど、このニュースに衝撃を受けた。招いてはいけない人物だった。そもそもかつての日産の再建に、ルノーから支援を受けるべきでなかった。
こんな父親がいたら、日本ではその家族は底辺でいるしかないが、あちらではそうではないんだな。殺人犯の子供でも大企業のトップになれるし、著名人の子供が罪を犯しても、親は謝らないし、仕事にも影響しない。日本人とは全く感覚が違う。法的責任はなくとも、社会(世間)が家族に道義的責任を追及するのは、やっぱり日本独自の感覚なんだなと思った。こういう記事に対する海外の人のコメントを見てみたい。ふーん、だから?ぐらいの感じかな?
いやいや、分かったから彼を庇うな。彼は犯罪者。
背任とか背徳感とか、あまりに違いすぎる。
やっぱり普通の感覚、メンタリティ
じゃないよね
世の中でもなんでそんな考え方を
するのか理解できない人がいるけど
理解するのは難しい
昔まだゴーンさんがちやほやされていた頃にうちの母親がテレビを見て「まぁ~なんかイヤらしいお顔してるわねぇ」と言っていたのをふと思い出しました(金銭的人間的な意味だったと思われる)
ここまで極端にブラックな親だと子供への影響も極端に現れそう。反面教師として受け継がれれば何が何でも法律は順守すべきという態度になるし、そのまま引き継がれれば自分が正しいと思うなら法を犯すというハードルも軽々と乗り越えられる。
普通だと、自分への処遇は納得いかないけど脱獄・違法逃亡はできないなぁってところで悶々とすると思うけど。
そしてこんな話がなかなか表に出てこないのも結局力の問題なんだなあと。メディアの意地とかないよね。なくていいとこにはあるけど。
人殺しの息子が成り上がったが、蛙の子は蛙だった。肥満体は息子も同じだが、脱出は成功したのね。刑務所でハンストをけしかけたり、親子揃って口が上手くて道徳心が欠如し、金さえ手に入れば犯罪に躊躇しない。とんでもない人間を送り込んできたね、ルノーは。日産はルノーに責任を問うべきだ。
ルノーは人を雇う時に身元調査なんかしないか調査担当に賄賂を渡したら簡単に買収できるんだね
当時の当地の司法・裁判制度は信頼できるものなのか?
『ロリアンは当時の記事の再掲…当時の新聞記事の写真を利用したいと問い合わせたところ、拒否された。』
穿って考えれば、これにも富豪・ゴーン被告に関わるウラがあるのかもしれないが、過去の記事自体が仮説や想像で成り立っているものなのかも?…とも思う。
取り敢えず、ゴーン被告の父祖の事より、彼と彼の妻と逃亡の支援者が実際に関わったとされる犯罪が早期に審らかにされることを望む。
それに、父親のジョージはまだゴーンではなく、sを読んで「ゴスン」だったということだが。息子の代で読み方を変えた。
親子共々、叩けばいくらでも埃が出そう。
キャロル夫人も同様、類は友を呼ぶんだろうね。
その手の人の嗅覚は凄いから。
でも、成功してる社長さんというのは、大抵家庭環境が恵まれていない。かなりの逆境があるから、無茶苦茶ができる。そういう側面はあるんだと思う。
人は見た目が9割?って言うけど、来日した時から悪人顔だったよね逮捕されたときに『あーやっぱり』って思ったし、逃亡した時も『あーやっぱり』と感じました。
そのうちに教科書に載るかも。道徳の教科書に。タイトルは、犯罪者家族の生い立ちについて。日本の映画で泥棒家族と言う映画が有ったが。
今度は、ペテン士家族と言うタイトルで映画化。
映画化するならこっちの方がよいのでは。間抜けな役人の手をすりぬけて脱出した自慢話より、親父さんの生涯の方がずっとスリリングで舞台も広い。
人というのは、生れ出た時には混じりっ気のない生身の人であったろうが、その後の宿命というか、まとわりつく悪弊というものから逃れられないのだということが理解せざるを得ない記事なのではないでしょうか?ゴーン氏の裏の顔が今回の事件に至る要素であったと思える記事でした。
一般社員の入社に当たっては、父親が犯罪者だと、本人に問題なくても入社は非常に困難だよね。
やはり半端ない下品さは血筋だったのですね?反面教師で真面目な結婚し地味なキャラだったが同じ様な女と不倫結婚して本質が露わになってしまった。そうなると父親と同じ道を辿り出してしまった。怖いですね。
リタといた頃までは父を反面教師として真面目な人生だったが、キャロルにアタックされてからは父のようなならず者になったんだな。
父親のやったこととゴーンは、無関係です。しかし、あれだけ貪欲・強欲・狡猾なら、そのような情報が意図的に流されるでしょう。それだけ、人の恨みを買っていることはあるだろうから。
ゴーンは嫌いだけど、ゴーンの人生とゴーンの父親の人生は別だと思う。自分の父親が殺人者という負い目を持ながらも大企業のトップに上り詰めたところは凄い人、と思う。ただ自分の悪事を潔く認めないとこはダメだ!
父も真面目な商売人ではなかったのね。ではダーティなことには慣れていたのかも
レバノン・マフィアがルノー、日産を牛耳っていたということですね。フランス政府も及び腰なのは暗殺を恐れてのことかもしれません。
やはり血は争えない…
反面教師にして立派に生きる人もたくさんいるだろうけどね
親父の話を含めて、スターウォーズばりのハリウッド映画ができるってことなんですね。
生まれも育ちもこれでは、悪人となるのが当然だろうな。
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