ALS患者女性が栄養補給の中止による安楽死を主治医に依頼していたようだが、そろそろ本格議論のタイミングでは?
「死に至る治療はできない」主治医は断る 嘱託殺人 患者女性が栄養補給の中止による安楽死を依頼
配信
難病のALSを患う女性の依頼を受け、薬物で殺害したとして、医師2人が逮捕された事件で、亡くなった女性が主治医にも安楽死を依頼していたことが分かった。
関係者によると、林さんは昨年夏ごろ、栄養補給の中止を主治医に提案したが「死に至る治療はできない」と断られていたことが新たに分かった。
批判は承知の上で、自分が感じた事です。
生きる権利があるように死ぬ権利が認められても良い場合があると
病気の末期で緩和ケア(痛み止めの注射や薬など)しか出来ない状
家族や周りに負担を掛けてまで生きていたくないと感じる人もいる
少なくとも、胃瘻やオムツをして24時間介護が必要な状態では「
「生かされている」状態だと私は思いますし、「生かされている」
亡くなった林優里さんと同じ状態で、自分の子供が死を望んでいる
私は何も返事ができないだろうなぁ。親失格。
生きてほしいと願うと同時に、本人の意思も尊重してあげたい。
今は、亡くなった林優里さんが天国で痛みや苦痛から解放され、
自分が選択したことが正しかったのかと思っていてほしい。
悲しいですね。
彼女が死にたいほど苦しかっただろうことも、なのに死ぬことがで
断った医師が彼女の死に責任を感じてしまうだろうことも。
遂行した医師達が犯罪者になったことも、どういう人達かというこ
だったら、どうすれば良かったのでしょうかね。
どうすれば苦しみや悲しいことが減るのかを考えて改善策が実行さ
悲しいだけの出来事を意味のある出来事に変えることができる。
「安楽死を考える会」という政治団体もあり、前回の選挙では議席
個人的にはN国などに議席を与えるよりもこちらに議席を与えるほ
ALSでも生きたいという人がいるのも事実。
逆があるのも事実。
どっちが正解なんて言えないと思う。
自分ならと思うと、自分の家族ならと思うと、本人の気持ちを尊重
日本では例えば高齢者患者など胃ろうをさせ、数多くの管につなぎ
自分は自身で食事がとれなくなったら、そのまま自然にお迎えが来
それこそ 尊厳死 といえるのではないだろうか
「林さんを支援していた関係者は「事件が起きるとは想像もしてい
想像力の欠如?
そりゃあそうでしょう。
主治医にしてみれば「そんな事」したら、かなり面倒くさい事にな
それこそ「容疑者」として逮捕されて全国に名前を晒されて、自分
自分なら。治らない、苦しむだけ、自分で自死を行うこともできな
であれば・・・お願いすると思う。もう助けてって。
生き続けることが本人の助けにならない時はあると思う。
お願いされるお医者さんは苦悩でしょうね。。。助けるために医学
条件が厳しくても安楽死を認める方がいいと思う。
個別の状況を考慮せず一律生きろってのは結構酷だと思うし、
希望をもってなんて言葉一つだって本人にはものすごい辛いと思う
物事の感じ方は人それぞれで同じ状況でも同じ感じ方はしないんだ
生きることだけが正しいみたいなルールで縛るのはある種の人権侵
安楽死が認められることで、心がどうにもならなくなったら安楽死
逆に生きることに希望が持てるといった事もあると思う。
【読売テレビ記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://news.yahoo.co.jp/a
意思に反して栄養補給は、されちゃうんだ。
いらないって言ってる人の口に ご飯どんどん詰め込んだら やっぱ虐待だよね。
でも栄養補給とめたら 殺人になるって事なのかな?
自分では動けなくて、やめてくださいと懇願している事を、やり続けるって、人権無視にならないのかな、 考えれば考える程湧かない。
本人が望んで弁護士等に書面にして貰っているなら安楽死は認めて欲しい。
きちんとした制度にしないと、これから先もこのような不幸は無くならないと思います。
安楽死を行った医者も罪に問わないで欲しい。
でも、その人はそうなのかもしれないけど、違う人だっているかもしれないですよね。何故、亡くなった患者さんが、本当に死にたいと思ってはいなかったと決め付けるんだろう、同じASL患者だからって全員自分の考えと同じなんて限らないだろうに、と、すごく疑問に感じました。
その辛さを乗り越えられる人も居ればそうでない人もいる。
生きたい!と願う人の気持ちが尊重されるのなら、安楽死を望む人の気持ちも尊重するべきなのではないのでしょうか。
目を背け続けた結果、このような事件があるのでは。
療養病棟などで胃ろうで生かされ、ずっと天井を見続けている方は段々と自然と言葉を発しなくなります。
こちらが声かけをしても、頷くことも少なくなる。
そうなるとご家族の足も遠退きます。
体位交換は2時間毎に行いますが、ふと「死にたい…。」と言われた時は、返す言葉に詰まることも事実。
自分の身になると、辛いです。
主治医も対応してくれないんじゃ外部に頼むしかないよね。今回の犯人の2人は法律違反だけれど、法律がこのような病人に対応しきれていない事が大問題だと思う。
…って、死に至る治療はできないと断る時点で林さんの望む死にたいという意思は否定されてて、拒否権なしにこれからの「生きたくない」のに「生きる為」の治療の相談をさせられていたともとれる。
林さんの意思は否定されて、やりたくない事(生きるという事)を強制されている様に思える。
本当の所は今となっては死人に口無し。
亡くなった林さんの最期が本人の希望に沿ったもので幸せなものであったと思いたい。
この主治医も目の前で苦しむ患者さんに懇願されて、葛藤はあったかもしれません。でもできないのが今の日本。林さんの死と生前のメッセージを機に、制度を見直すときが来ているように思います。
ここに今、私もコメントしてますが
多分、解らないと思います。
所詮、他人が詮索したり思ったりした所で
当事者の気持ちにはなれない。
何らかの疾患で末期の患者は
体力的に弱ってる、機械から外したら
亡くなる、だからどうしますか?と
親族に聞くらしい。自分の意思は関係なく
安楽死を選ばれる。殆どが継続してと頼むらしいが。
意思表示が出来ない人は弱ってるからOK
意思表示出来ても弱ってないからNG
個人の尊厳とは何なんでしょうね。
最期に、栄養中止による死亡は安楽死じゃない。食べない事は個人の権利の範囲内だ
もう入らなくなり針の後からじわじわと漏れてくるような状態でした。
それでも入れる。本人はもう意識もない。
家族ももう点滴しないで自然にといいましたが、それはできないと言われました。
「生きている」というより「生かされている」の表現の方が合っていました。
この方は意識はあるが身体が動かない。とても辛かったんじゃないでしょうか。
意思通りにいかない。それならば…と悲観的になると想像はできますよね。
結果、協力した医師は逮捕されてしまいましたが…難しい問題ですがこのまま触れないわけにはいかない問題だと思います。
ヘルパーさんが全てを面倒見てくれる。
患者さん本人が周りに気を配る人柄だったと報道されている。
主治医が患者さんの希望を叶えてあげられないのならば
せめてセカンドオピニオンとして転院又は他の医師による
診察を認めて貰えれば…。
二人の医師の逮捕と言う結末は、
亡くなった患者さんにとっては本意ではなかったと思います。
一庶民の声
この事件について複数のニュースを読んだが、コメント欄には「安楽死という選択があっても良い」という意見が多いように見える。なのになぜ日本では議論がされないのか謎。難しいテーマではあるが、法整備自体は出来ない訳では無いと思う。なぜダメなのか教えてほしい。
日本でも選択するのは個人の自由として、制度として認められるとよいのですが。私が同じ立場なら、家族に迷惑をかけず、早く楽になりたいと思う。
他界した悲しみは有りますが、痛みから解放されて楽になって良かったね!と今は思う気持ちです。
残されたご両親の事を思うと悲しいとは思いますが、優里さんの痛み、悲しみを考えたら安楽死という選択もしょうがないのかな?!と思います。
安楽死、難しい問題ですが私は死ぬ権利もあっても良いのかなと思います。
自分の彼女は、「将来同じ状況になったら私も安楽死を希望することを覚えておいて欲しい」と言っていました。医師も相当苦渋の決断だったと思います。病気でも絶対に諦めてはいけないというのはただの押しつけでしかない。現代の医療では治せない病気がたくさんあるのも事実。ただ、この事件を殺人と呼ぶのには違和感しかない。
分からない。難しすぎる。
この結果を被害者が心から望んでいたとしても正解がわからない。
今は肉体と精神の苦しみから解放されて、安らかに眠っていることをただただ願う
治療を辞めたら自然と亡くなる。無理やら本人の意志に反して生かすのは治療と言えるのだろうか?むしろこの主治医の方こそ金儲けだったのでは?多くの若い人は見たことが無いだろう。人工的に栄養と酸素を与えられただただ無理に生かされている老人を。面会したって話すこともできないしまとめて死体に近い感じで閉じ込められている。これこそ地獄。医師特に緩和治療に携わっていた医師が安楽死を与えてやりたい気持ちはわかる。例え違法でもこの人のしたことを簡単に責める気持ちにはなれない。リスクがあるのだからお金を取るのも理解できる。日本はいい加減この問題に向き合わなければならない。単に生かされて100歳超えても生きたいですか?どうしてもどんな手段でもというなら自分の資産で自費診療にするべき。1人につき毎月40万安定収入になるので医師は生かそうとするし年金が多いと遺族は生かしたがる。
現状では、治療の選択の結果が死に至る時だけ、選択ができないんですよね。
完治や症状の回復の可能性もゼロなのに、死期だけを先延ばしにされることが治療なら、望まない。
ただ苦痛を緩和してくれることを望みます。
おそらく、死に方としては苦しい部類なんじゃないかと思う。
思考もクリアだというし、自分に置き換えても「どうせ死ぬなら少しでも楽に死にたい」と思ってしまいそう。
安楽死というのは本来そういうもので
このニュースで「優生論」とか「生きる権利」とか語られることに違和感を感じます。
本人の願いを叶え、楽にしてあげた、そして犯罪者になる。なんだか理不尽な話です。
どちらが正解なんてないとは思いますが、健常な人には生死の選択があるのに、ALSの患者は選択肢すらないわけです。
命を絶つ事が、必ずしも悪とは限らない。
薄っぺらな倫理観よりも、当事者の立場になって考えるのが大事ではないでしょうか。
しかしそれを見た時に障害者は無理してでも「生きたいと言い続けないといけない事を強制していないだろうか?」と思った。
私は死ぬ事を勧めはしないし、安楽死の問題はさらに深い議論が必要だと思う。ただ、今回のような件が起きると、周り(障害者団体や左派系新聞)の方が騒ぎだす。
ALSの方でも生きたいと願う人もいれば、死にたいと望む人がいる。これは他の病気や重度の障害でも同じだし、仕事柄そのような話をする方たちを見てきた。
今回のような結果になった事について、もっと前向きな解決策や将来を提案出来なかった事についてそれらの団体や新聞が悔やむなら分かるが、結局自分たちの主義主張を叫ぶだけになってしまっている。
どうして治療の見込みのない、眼球以外自由にできない患者が、本人の意思に反して強制的に生かされ続けないといけないんだ。本人が死にたくても自分で死ぬことすらできない人の苦しさを考えると胸が締め付けられる。
本人が断っているのに、わざわざ延命治療みたいな事しなくてもいいのでは?生きることに絶望して委託したんだと思う。本人しか苦しみ本当の気持ちはわからない。自分で命を絶とうにもできないから、依頼したんだと思う。本人の意思を尊重してあげてほしい。
今回のALS患者の決断に至るまでのプロセスを知ることは、自分も含め、今後不治の進行性の難病等を発症した場合、当事者の判断の参考になるのではないでしょうか。
それは安楽死の法整備の必要か否かにも関わることだと思います。
難しいですが、本人の希望が1番だと思います。本人の人生ですから。お医者様も沢山の患者さんを見てきて辛いのがわかっているので、希望を叶えてあげたのだと思います。そういう結果を受け止められない家族がいる。凄く悲しむ家族がいる。それは本人も痛いほどわかっている上での考え抜いた結果の選択ですから、認められていいのではないかと感じます。
これがあるために、患者本人は望まない治療を受け続けざるを得ないし、医療・介護関係者は無駄とわかっていても、かつ本人が望んでいないとしても治療や介護を続けなければいけない。
臓器提供と同様に、本人の事前の意思表示があれば無駄な延命治療をしないようにすれば、本人だって苦しい思いをする必要がないのに。
問題は、今まさに苦しんでいる当事者でない者が法律を作るという矛盾。
餓死させてしまったら、医療放棄や殺人幇助として立件される。
患者が嫌がる行為を無理矢理にも実施し、生かし続ける。
一方患者の意思を尊重し、死を与える。
どちらが善でどちらが悪なのか。「違法=悪」が本当に正しいのか。
この事件が考える機会を与えてくれたんじゃないか?と思う。
発症されるまで健常者として自由を知っていた身としては、意識があり精神的にもクリアな中、全てにおいて他人(介護)の手を借りなければならなかったことは例えようのない苦痛であったと想像します。
回復の見込みもなく、何かほんの一言さえも人やパソコンなどを介さなければ伝えられないもどかしさ。
どんなに絶望しかなくとも、自殺さえ許されない現状では安楽死を求めてしまう気持ちは苦しくなるほど理解出来ました。
もし安楽死が認められていたら、絶望の真っ只中にいても「どうしようもなく苦しくても最期は自分で決められる」それが一縷の希望になって生きられるかも知れない。
本当にそう思いました。
法整備は簡単なことではないと思います。
しかし、法整備以前に協議さえされない現状を、林さんが投じた一石により見直す時期に来ていると思いました。
しかし、不治の病に犯された患者さんもみんなが前向きに「最後の1秒まで必死にいきたい」と思えるわけではないし、病状は個人差があり過去の判例での安楽死4条件に合致するわけでもない。
死ぬ権利について様々な視点から議論すべき時期にきていると思う。
自分では体も動かすことはできないし、口もきけないから意思疎通ができない。
頭の中では自分の意識があるから人には通じない。目の動きだけでボードで会話ができる。
知人に同じ患者がいたので辛さがよくわかる。
つらかったろうに。
だからこそ変な医師にしか頼めなかったし、出来なかった。
安楽死を選ばなくていいっていうふうな意見は、確かに一理あるけど自分にも他人にもどうしようも無い辛さが来た時それでも前向きにってのは自分には無理かな、自分はある程度身の回りが効く車椅子生活だって充分辛いですよ。
立場を自分に置き換えて考えてみると、今の医学では治らないと言われ、生きる希望もなく、日に日に衰えて苦痛と闘う事を考えると、末期癌のホスピスと同じようにある程度の時期まで来た場合、本人や家族の意思で麻酔などの投与で苦しまずに旅立つ方が私だったら嬉しいと思います。
確かに金銭を受け取り施行したのは良くないと思いますが、逮捕された医師を責めることもできないと思います。
被害者の方も自分の力で自殺できればしていたと思いますし‥。
安楽死も治療で良くならず、悪化するような疾患と本人の希望があれば認められても良いような気がしまが‥。
難しいな問題ですね。
主治医にはポリシーがあるだろう。だが、一度主治医になった以上、全て主治医の言う通りに、と言うのは違うと思う。患者が違法な手段を選ぶことを危惧するなら、患者の要望を断るだけではなく、もっと方法があったのでは?
生きる権利が、自分自身の人生を全うする事だとするなら、治療法もなく「ただ生きている」「絶望の中に生かされる」事は本来的な「生きている」と表現できるものではないと思われます。
「自分自身を生き抜いた」と胸を張って尊厳死を選択できる事は、場合によっては幸福追求権にも掛かってくるでしょう。
偶発的な死とは別の、選択的な死は、自分が自分で在る為の最期の選択、究極的な生への執着かもしれない、という視点も含めた議論が必要だと思います。
もう寛解しないことがわかっていて、痛みに苦しんだり、逆に全く動けないなら…自分ならやはり死を望む…いや、そうならないとわからない。誰もわからないから難しい問題なんだ。何十年も議論されている。でも、されているだけ。今回の事件を機に、前に進むといい。事件を事件で終わらせないで、議論のきっかけになってほしい。
ここは、国民的議論を喚起すべき時期だと思います。
まず議論があって、国民一人一人がいろいろな考え方があることを知り、いろいろな制度があることを知り、この問題についての最適解に向かって一歩一歩進んで行くのだと思います。
同じ病気でも…前向きに生きようと頑張られている方もいるからです
周りで安楽死は良くないと言う方もいますが
本人の病気の苦しみは人それぞれであり
周りで支えてくれる人や環境にも左右されると思います 同じ病気になってみないと
その苦しみはわからない…
安楽死は受け入れられないというかたは
他人事なのでいえますよね…
家族…周りの気持ちも大事ですけど…
自分が同じ状況になっても同じ事を言えるのでしょうか? 私は本人の強い意思があるのであれば安楽死の選択もありだと思いました
天国で安らかに…お祈りします
だから胃瘻や気管切開は何度も何度も説明して納得して受けてもらう事が重要だと思う。
それでもいつか新薬ができるのではないかと期待して待てるように希望してしまうのかもしれない。
せめて途中でやめてもらえる権利を与えてくれたら、患者は苦しまないのかもしれない。
自立して生きてきたのに、身体が動かなくなり、介助をして貰わないと生活出来ず、意識はしっかりしたままの生活…想像を絶します。批判覚悟ですが、充実した独身生活で自立心旺盛な方なら尚更そのような生活は耐えられないです。以前にスイスに渡り尊厳死を選んだ女性をテレビで観ましたが、何が正しいと強く言えませんでしたが…その方も自立し、自分の人生をしっかり歩んでいた方でした。オムツを替えてもらっても、ありがとうもごめんねも言えない気持ちを考えたことあるの?と言う問いに胸が押しつぶされそうでした。私も自立して生きていますが、24時間介護で思うように生きられないなら、尊厳死を選びたい。選べる世界になってほしい。自分が自分で納得出来る最期を選びたい。
この問題は、国や医師会が安楽死に対しての真面な議論もしていない。そろそろ、こんな事件がたくさん発生します。結論としては、現状で回復が望めない場合は、尊厳死のような形で対応するのが、望ましいと思う。ギリギリまで生きたい人もいれば、そうでない人もいるので両方認めるのが、権利かと思います。
本人が難病で意識がはっきりしない状況の場合、健常のときの推定意思を汲んで家族の同意のもと、病院で水分、栄養を絞っていく消極的安楽死はしてるけど、、、。どう違うんだ?意識の差かな。
安楽死の前にビデオカメラで本人が自ら死を望むことを宣言し、死に至り、医師が死亡確認するまでの様子を撮影しないといけない。
スカンジナビア出身の友人のお母さんが安楽死に携わる仕事をしていたけれど、すごく大変だと思った。
殺人じゃないか、強要じゃないか、自分は家族に迷惑だと思い自死を選ぶ場合は正当なのか。
まず安楽死云々の前に医療体制がきちんと出来ていて、メンタルケアも充分になされているか。貧困が自死に繋がるならそれは殺人だと言っていたし、国がきちんとしていないと安楽死制度は成り立たないと言っていた。
その上で安楽死制度の為にできる活動から始めないと、ただただ認めろっていうのは難しい
賢い人なんだろうなと思いました。
(安楽死を選ばない人が賢くないという意味ではないです)
将棋のように何手先、何十手先を読み、安楽死を選んだのではと思ったのです。
そこまで考えたのなら尊重してあげたいと思うのですが。
安楽死が制度化しない限りは、この医者が正義であっても殺人なんですよね。
だれかに迷惑かけてまで安楽死はしない、が精一杯だとすると
NHK番組に出ていた外国(スイス?)と大変でもやり取りして
せめて支援者だけへの迷惑(頼る)で済ませるべきか。
私の経験では物申すのはまだまだ足りない分野ですので
誰かを傷つけていたらごめんなさい。
またNHKの再放送しないかな。もう一度見たい。
彼女の病状は今回の事件の女性よりも進んでおらず、私からすれば安楽死を選ぶにはまだ早いように思えました。
しかし、今回の事件を見聞きし、安楽死を受けられる海外に行くにはそのタイミングしかなかったのだと理解できました。そこを逃せば今回の事件の様に…
もしも同じ病気に罹った時、私はどうするだろうかと考えます…。
私も安楽死を望む様な気がします。
そして、医師に任せるのはダメだと思うよ
そもそも医者になる人たちの全てとは言わないが
命を救いたいと思って医師になった人たちに
命を摘み取る作業をさせるのは違うと思う
安楽死専門の機関を立ち上げ、不治の病で苦しむ人たちを救いたいと言う人たちにお任せするべきだと思う
意識ははっきりしたまま体の自由だけが奪われていく。
家族や親しい人たちに迷惑や苦労をかけ続けているという自責の念。
想像でしかないですが、それでも自分に置き換えて考えただけで私は耐えられる気がしません。
もし自力で動けていたら彼女は自ら命を絶ったのかもしれません。
しかしそれすらも叶わない。なんて残酷なんでしょうか。
基本的人権の尊重を検索したら「自由に、等しく、豊かに生きるための権利」という内容が書いてありました。
安易な安楽死はよくないと思いますが、豊かに生きるために、その終わりを選ぶ権利もあっても良いのではと、このニュースを通じて強く思いました。
安楽死の定義はなんですか。ないですよね。決めることもできないと思います。自分が治る可能性ない病にかかり、長期間苦しい治療、多大な費用がかかり、自由がないとなれば楽になりたいと思うかもしれない。また看病してくれる人がいない、いてもそれぞれ家庭があり負担にさせたくないなどが余計にそう思うようにさせるかも。治療を止めることは、患者(家庭)の判断ができるのでは。それが結果的に死に至っても。もう少し現場任せにせず議論するべきと思う。誰もが元気で長生きして、家族や人のために役に立ちたいと思っていることは忘れてはいけないがこういう立場の人も無視してはいけない。
自分のこととしてなら「死なせて欲しい」と思うし、家族の立場としたら「何とか生かせて欲しい」と願うと思います。
先日肺ガンで亡くなった叔母が尊厳死協会に加盟していて延命治療を断りました。
辛い選択でしたが、本人が強く望んでいると考え、出来るだけ苦痛だけは取り除いて欲しいと主治医に伝えました。
今でも考えますが間違いではなかったと思います。
「社会ニュース」カテゴリーの関連記事