海老蔵歌舞伎 「KABUKU」の中国人差別問題 歌舞伎界から擁護の声が出ない またもや試練に海老蔵か
市川海老蔵「KABUKU」の中国人差別問題 歌舞伎界から擁護の声が出ないワケ
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単なる駄作?
市川海老蔵
「海老蔵歌舞伎の『KABUKU』には中国人に対する差別的表現がある」──6月5日、朝日新聞と共同通信は、朝刊やネットなどで観客によるネット上の指摘が拡がっていると報じた。
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まずは、両社の電子版の見出しをご紹介しよう。
◆「海老蔵歌舞伎、批判受け内容変更 ネットで『差別的』」(共同通信)
◆「海老蔵歌舞伎、演出を一部変更 中国人描写に『人種差別』指摘広まる」(朝日新聞) 朝日の電子版記事は、YAHOO! ニュースのトピックスに掲載された。これで初めて知ったという読者も多かっただろう。
では「KABUKU」の何が問題だったのか、これも朝日の記事から引用する。 《KABUKUは、海老蔵さんが音声SNS「クラブハウス」で参加者の意見などを採り入れた新作。舞台は江戸時代末期から地獄、現代の東京へと展開していく。漫画「金田一少年の事件簿」原作者の樹林伸さんが原作で、海老蔵さんらが演出を担った》 《東京公演で指摘があったのは、地獄を描く場面。外国人同士がいがみ合うなかで、中国人と推察される人が疫病を広めたなどとののしられ、ネットでは「差別だ」とする声が相次いでいた》 この海老蔵歌舞伎は、5月29日と30日に東京の明治座で幕を開けた。6月4日から13日まで京都の南座で上演される予定だ。
“差別”の理由
朝日も共同も差別的な場面は東京公演だけで演じられ、京都では演出が変更になったと報じた。 そもそも市川海老蔵(43)の単独公演が、「海老蔵歌舞伎」と名づけられたのは今年1月のことだった。公演名に歌舞伎役者の個人名が使われるのは異例とされる。 スポーツ報知には海老蔵の《責任は大きく、並々ならぬ努力と覚悟で挑んでまいる所存にございます》というコメントが掲載された(20年11月10日の紙面) 海老蔵としては思い入れの強い公演だ。今回の上演も演出には念を入れたに違いない。にもかかわらず差別問題が指摘されたとは意外な印象を受ける。担当記者が解説する。 「朝日も共同も『差別的な場面があった』と書くだけで、実際の内容には触れませんでした。そのこともあって、ネット上では海老蔵さんを擁護する意見も少なくなかったのです。おまけに歌舞伎独特の事情も汲むべきだという指摘も散見されました」 歌舞伎は古典芸能だ。安易に現代の基準を導入していいかという問題がある。加えて、客は料金を払って観劇する。不特定多数の人が視聴するわけではないという点は重要だ。
やっぱり差別だった?
誰もが自由に見られるテレビやYouTubeなら厳しい基準が必要だろう。だが、明治座や南座の観客は基本的に歌舞伎ファン、海老蔵ファンしかいない。当然、観劇経験も多いはずで、歌舞伎についての知識も一般人よりは豊富だと考えられる。テレビより規準を緩くしたとしても不思議はないだろう。 「たとえ現代の基準で眉をひそめるようなギャグが演じられたとしても、地上波のバラエティ番組と同列に扱うわけにはいきません。インターネット上の“クレーム”に屈することが続けば、演劇界が萎縮してしまうという意見には、ネット上でも一定の支持がありました」(同・担当記者) だが、取材を進めていくと、「差別的」との批判が集中したのも、それなりの理由があったようだ。 そもそも本作は、新聞やテレビ、演劇評論家などによる“演劇ジャーナリズム”があまり注目していなかった作品だった。更に歌舞伎独特の公演様式も影響を与えたようだ。 通常の演劇の場合、よほどの例外を除いて、1公演につき1作品のみが上演される。シェークスピアの「マクベス」や、イプセンの「人形の家」という具合だ。
ノーチェックの作品
「歌舞伎は娯楽に乏しい江戸時代に人気を博したため、早朝から夕方まで1日がかりで上演されることが珍しくありませんでした。長大な作品をノーカットで上演しても、今の観客には合いません。そのため古典作品から名場面だけを選んで演じたり、時間の長くない新作歌舞伎を制作したりして、2~3作品を演じることが一般的です」(同・担当記者)
今回の海老蔵歌舞伎も、「実盛物語」と「KABUKU」の2本立てとなっている。前者は歌舞伎ファンなら誰もが知る名作だ。 人形浄瑠璃として1749年に初演された「源平布引滝」の1幕なのだが、ここだけを選んで上演されることが多いことから、「実盛物語」という名前が付いている。 「おまけに今回の『実盛物語』は海老蔵さんと長男の堀越勸玄くん(8)の共演が大きな話題になっていました。何しろ12代目市川團十郎(1946~2013)と海老蔵さんの親子共演以来、34年ぶりに成田屋親子の『実盛物語』が実現するということで、事前の報道も親子共演一色でした」(同・担当記者)
一応、新聞記事は「KABUKU」にも触れた。とはいえ、基本的には1~2行で処理されてしまった。 複数作品が上映されることが前提の歌舞伎では、1本がメインで、あとは“刺身のツマ”という公演も少なくない。歌舞伎関係者が言う。
幼稚な人種ギャグ
「率直に言って、演劇ジャーナリズムも関係者も観客も、ほとんどの人が『実盛物語』に注目していました。観客も勸玄くん目当てが大多数で、チケットは売り切れになりました。実際の『KABUKU』を見た批評家やライターさんは少なかったと思います。もし話題作なら、舞台稽古を公開したりして問題点が早期に浮かびあがったかもしれません。ところが“ノーマーク”のまま本番当日を迎えてしまったのです」 「KABUKU」の冒頭は渋谷のセンター街だったため、驚いた観客も少なくなかっただろう。江戸末期に民衆の間で流行した「ええじゃないか」をテーマに設定しているのだが、江戸時代の京都と現在の渋谷が重なり合うという展開だったようだ。
観劇を終えた観客の一部が立腹し、SNSに投稿を始めた。それも最初は「差別」ではなく、「あまりにもひどい」という批判が多かったようだ。 「Twitterで批判の詳細を見てみると、しっかりと《テンガロンハットの白人とヒジャブのムスリム女性と公家姿の日本人がチャイナハットの中国人を責め立てる》と具体的にツイートされていました」(同・歌舞伎関係者)
誰の意見を訊いた?
セリフもツイートで引用された。日本人たちが《お前達が衛生面に気をつけずになんでも食べるせいでコロナになった! 》、《爆買いでコロナを広めた! 》と非難すると、中国人が《金をばら撒いてやったんだから感謝しろ! 》と逆ギレするというものだ。 「ツイートした人は『何が面白いのかさっぱりだった』と感想を述べました。そういう感想を持った歌舞伎界の関係者も少なくなかったのです。歌舞伎の古典を“差別的”と批判されたなら関係者は反論して擁護したでしょう。しかし『KABUKU』は新作ですので、現代の規準を適用すべきだと思います」(同・関係者) テンガロンハットとかヒジャブといった具体的なアイテムを使い、安易に“人種”を表現したのも問題だという。 「こうなると中国人だけでなく、アメリカ人やイスラム圏の人々の描写も差別的だった可能性があったと思います。あまりにも脇の甘い演出と言わざるを得ず、これは批判されても仕方ないでしょう」(同・関係者) ツイートが広まっていくにつれ、「面白くなかった」という感想より、「差別があった」という俗耳に入りやすい問題点だけが拡散していったようだ。 一体、誰がこんな差別表現を許したのか。朝日新聞は《海老蔵さんが音声SNS「クラブハウス」で参加者の意見などを採り入れた新作》と紹介した。
襲名間近なのに……
こう書いてあると、共演者や歌舞伎の専門家による意見を取り入れたようにも読める。だが、実際は違ったという。 「ネット上で『海老蔵さんの企画会議に出席した』と書かれたのは、幻冬舎での活動が有名な編集者の箕輪浩介さん(35)、著書『伝え方が9割』(ダイヤモンド社)で知られる佐々木圭一さん(48)といった方々です。歌舞伎ファンがイメージする歌舞伎の関係者とはあまりにも違いすぎており、これでは『KABUKU』を守ってやろうという気持ちにはならないと思います」(同
・歌舞伎関係者) Twitterには《團十郎になろうかという人が》演じるべき内容ではないという指摘があった。どうやら、これが一番、的を射た意見ということになりそうだ。 「コロナ禍もあるのでしょうが、今の海老蔵さんは歌舞伎座を離れた単独行動が目立ちすぎます。共演者も固定されており、演目も彼の実力からすると軽量級の作品と言わざるを得ません。團十郎の襲名が近づいている今こそ、歌舞伎座にどっしりと構え、先輩方との共演を重ねて芸の精進に励むべきです。『KABUKU』の不評は起こるべくして起きたことだと思います」(同・歌舞伎関係者) デイリー新潮取材班 2021年6月12日 掲載
新潮社
【デイリー新潮記事】
参照元/続きはこちら→ヤフーニュース
URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/cce032a4cefa35f53528a57d970d0c4239844aac
朝日や共同はコロナに中国を関連付けることに敏感になっていますね。どうしてでしょう。
数々あるネットの声を自分達に都合良く切り取って報道するマスコミの姿勢に悪意を感じる。
いや、あくまで「地獄」を描いてるんだから
この認識が正しいものとしては取られてないだろう
悪役の言動など作中で否定される描写に関しても一々差別だ差別だって騒いでいたら何も作れなくなるだろ
そもそも中国人がコロナばらまいたのは差別じゃなくて事実じゃねえか
(´Д`)y━・~~
その風潮を作ってる元凶であるマスコミが何を言っても信用ならんと思う。
コロナの中国研究所起源説は各国が言いだしてることは事実なんだしね。
愛知トリエンナーレの連中が企画してる東京での展示にもぜひ差別的だと大騒ぎして展示内容を変えさせてもらいたいね。
むしろよくやったと思いますが、今の中国共産党の姿勢見ても強硬的威圧的で全く反省する気がない。
これは擁護ではありませんが、差別的表現の拡大解釈と言いますかそこまで気を遣わないといけなくなると表現の自由や、古典芸能の可能性を広げる海老蔵さんの活動を妨害しているベクトルなので良い感情は持てませんね。
正直、海老蔵さんも堂々とやったら良いんですよ、何かあればすぐ引っ込める風潮は信念が揺らいでるような印象を受けるので日本が誇る文化の凄みを見せつければごく一部の人しか叩いていないということが如実に出ると思います。
そういう言葉の応酬に近いことが現実に起こっているわけだし、風刺的なことなのかもしれない
そこだけ切り抜かれてもいいとも悪いとも言えない、文脈次第でしょう、そういう肝心な所を調べてない手抜き記事
テンガロンハットがどうとかだけど、そういう分かりやすくする戯画化はマスコミが持ち上げる風刺画でもよくやってるだろう
アメリカで10年間暮らしましたが、コロナ以前から中国人は自分勝手、ルールを守らないという理由により物凄く嫌われていました。西海岸のairbnb民泊に泊まった時にも大家さんが「あなたが日本人でよかったわ。中国人は1人のゲストの予定で予約して4人も5人も勝手に中国人を連れ込んで注意しても英語が分からないフリをしたりするから」と言っていましたね
海老蔵は新しい挑戦とかしてないで、ちゃんと基本の歌舞伎の技術を高めるべき。誰もが認める大根役者なんだから…同世代の歌舞伎役者にかなりの差を付けられてます。若い頃は見た目の華やかさで何とかなってたが、40代半ばになって中身が薄っぺらのままではいかんでしょう。同級生の菊之助はしっかり技術を磨いて評価されてる…海老蔵はカタチにこだわってるだけで歌舞伎がつまらないんだよ。
風刺をしたいのは分かるが、歌舞伎としてやりたいのであれば、もう少しウィットをきかせたものにできなかったのか。落語などでもこういう風刺の話は枕でするが、大抵の場合、ほどをわきまえている。こんな「あからさま」では当事者ではないにせよ、不愉快になるし、何を目的としているのかすら明確ではない。まして、客層は、これを手放しで喜ぶような社会層ではない。客のニーズさえ捉えていない。かかわった人間もおおよそ、こういう問題などには疎い人選。若いころの言動とは変わってきたなと思っていたが、所詮、この人は、思考が浅薄なんだなと思ってしまう。
歌舞伎ファンって本当に現代的な新作を求めているのかなあ。ファンの新規開拓をしていくためには、新作にもどんどんチャレンジしなければならないのだろうけど。
その出来事が真実か嘘か、また問題になっている事の背景を自分で調べもせずにRTやいいねが付いてるから信憑性があると勘違いしたり、自分が少数派になることへの不安や恐怖から匿名である事を利用している。
自分でもそう思ったとしても、まずは自分の頭で考えて、見て、聞いて、自分で判断する事が匿名性の高いネットの中におけるせめてもの責任だと思う。
大事なことを他人に委ねてはいけない。
自分の思考を止めてはいけない。
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この舞台は観ていないからどうこう言えないが、メディアのイギリス株、南ア株、インド株、従来型の呼称は差別ですよね。何故か発生源の国、地域を庇う意図は明らかだしね。
この一年の世界中の被害を考えれば、中国を擁護する理由が知りたいね。
これに尽きるでしょ。
古典は古典として淘汰を乗り越え生き延びたこと自体に貴重な価値があるから、これを現代感覚で安易に改変するのは冒涜でしかない。
それに対し現代の新作を同じ基準で容認しろという方が無理がある。
公衆を客にする創作物であれば、現代社会で認められ得る表現を求められるのは至極当然で、製作者側にそういう視点が抜け落ちていたこと自体、落ち度が責められて然るべき。
まして観客が高い木戸銭払って来ている富裕層であれば、尚更要求基準が高くなるのは仕方ない。
歌舞伎は本来 娯楽であり古くからあるから古典芸能とされるだけで歌舞伎に神聖さを求めること自体が間違い。ワンピースを元ネタにした歌舞伎はまさに娯楽の象徴。なので歌舞伎の中で差別的表現があったとしても「歌舞伎の中でと強調する意味はないと思う」せいぜい芸能人が差別的表現をしたという程度が妥当だと思う。
結局、彼が本質がそういう人間だったと言うことだし、今回の件もそれに繋がっているし、歌舞伎界も元々そういう人間だと判っていただけの話で擁護のしようもないだろうな。
以前頭をカチ割られたのも、相手が犯罪者集団で彼が被害者ではあるが、こういうことを見ると、そういう人間だから起るべくして起こった事件ともいえると思うわな。
ちょっと前までの、お客様は神様ですって言うのと同じことなんだけどな〜。
今はどうか?客が神様なのか?変わっていているだろ?対等の立場になったよな〜。
差別。確かに差別はいけないよね〜。でもね、差別を無くそうとしたら、まずは何をしないといけないか考えた事はあるのかな。
そうだよ。人を非難する事をやめる事だよね。人の考えに口出す事は差別の始まりだよな。あの人は変わっている人、私達と違う考えを持った人って言って、その人の考えやその人自体を排除するようになる。
新聞の風刺画なんて差別画っていいよな。あれほど人の考えや原動を馬鹿にしている絵はないもんな。
気がつくべきだ。
差別だ〜って声だかに叫んでいる人こそ、他人の考えや言葉を抑圧して差別している事に気がついていないんだろうな。
これが全体主義の始まりなんだよな。
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