深い言葉だなぁ 橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」
橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」
橋田寿賀子さん=外山俊樹撮影
■渡る世間と安楽死:1
『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』をはじめ、国民的なテレビドラマを手がけてきた脚本家・橋田寿賀子さん(92)は2016年、雑誌インタビューで「認知症になったり、身体が動かなくなったりしたら、安楽死したい」と発言し、大きな反響を呼びました。GLOBE1月号で安楽死を合法化しているオランダを取材した太田啓之記者(53)が、橋田さんにインタビュー。その1回目は、「日本人が求める安楽死のあり方」についてです。
【写真】2016年12月16日、安楽死する5分前に、「最後の記念写真」に納まったジャン・ファルハーゲンさん(享年96、左)。右は息子のミヒルさん(67)。太田記者がオランダで取材した=ミヒルさん提供
◇
記者 橋田さんの安楽死に関する発言や著書『安楽死で死なせて下さい』にあれだけの反響があったというのは、とりもなおさず、高齢になった時の「死に方」について色々と考えている日本人が多いということだと思うんです。
橋田 私には、家族も心を残した人もいませんから、寝たきりになったり、重度の認知症になったりして、人に迷惑をかけてまで生きていきたくない。ただ単純にそれだけです。
自分の死について考え始めたのは、88歳ぐらいからです。それまでは、自分が死ぬなんて思わないで、一生懸命仕事をしていました。だけど、そのぐらいの年齢になると、自分の体がしぼんできちゃうんですよ。それを見て「ああ、もうすぐ私も死ぬんだな」と実感しました。
そうなるまではせめて元気でいたいと思って、週に3回、1時間ずつトレーニングしたり、お医者様に通ったりしています。その代わり、「もういよいよだめだ」というときに、「お願いです。もう精いっぱい生きたんです。死なせてください」と言ったら「はい、いいよ」と楽に死なせてくれる仕組みがあるといいな、と。それが、私の考える「安楽死」です。
身寄りがいませんから、体が自由に動かなくなったら、世話をしていただくのにいっぱいお金がかかる。そう思うと、お金も自由に使えない。まあ、船の旅には行きますけど、「これだけ使って大丈夫かな」と、不安に思いながら使うわけですよ。保険みたいに安楽死があれば、お金が安心して使える。元気なうちに精いっぱい使えるんです。
しんどくなって、動けなくなって、楽しみもなく、人の役にも立たない、人に頼らないといけなくなった時に、第三者が本人の状態や意思を確認し、そのOKをもらえれば安楽死できる。そんな仕組みがあれば、楽しく遊べるのにな、と思って。
記者 本人の意志だけでなく、それをきちんと判定する人が必要だと?
橋田 もちろん、それはいると思います。本人の意志に関係なく、そういうことを決められたらかわいそうですもんね。
■「日本は議論ぐちゃぐちゃ」
記者 安楽死が法制化されているオランダでも、「本人の自由意思」は絶対必要条件とされています。もうひとつの重要な条件は「耐えがたい苦痛があり、安楽死以外の方法ではそれを軽減できない」ということです。安楽死が行われた後も、地方の専門委員会がその条件を満たしているかどうか審査します。
橋田 だから、自分の意思をはっきりと示すために、元気なうちに絶対に遺言は書いておかないといけないと思います。
記者 橋田さん自身、そういう遺言はもう書いているんですか?
橋田 はい。「無駄な延命はやめてください。お葬式はいりません。しのぶ会もやめてください。マスコミにはだまっててください」と書いていますから。みんなにもそう頼んでいます。
現実問題として、日本で安楽死は難しそうだから、今は専門の在宅医にお願いして、安楽死に近い尊厳死をさせていただきたいと思っています。熱海にもそういう方がいらっしゃるんです。その方に「ご飯が食べられなくなったら、すり身にして食べさせたりさせないでください。もちろん胃ろうなんてやめてください」とお願いしたい。「ご飯を食べないで、老衰で死ぬ」のが一番いいなと思っているんですけど。安楽死はもうあきらめました。
記者 安楽死はあきらめたんですか。
橋田 本当は、あきらめてはいませんけど。安楽死について発言すると、うるさく言われることが多いんですよ。「安楽死なんてとんでもない。もっとちゃんと生きる希望を持ちなさい。一生懸命生きなさい」と叱られたり、「他の人にまで死を強制することになりかねない」と言われたり。
記者 日本では尊厳死(消極的安楽死)の法制化について、障害者団体などは「治療を停止する圧力になりかねない」として反対しています。だけど、高齢者の安楽死の問題と、障害のある方々の治療の問題は、分けて考えるべきだし、それは十分可能だと私は思うんです。
橋田 日本は、議論をぐちゃぐちゃにしているんですよ。安楽死を短絡的に、「役に立たなくなった人は死ねということか」という議論に結びつけるのは違うな、と思います。
若い人たちはもちろん、どんな努力をしても生かしてあげたいし、「もっと生きなさい」と励ますべきです。
でも、これからは70歳以上、80歳以上の人たちがたくさん出てきますからね。「患者を何が何でも生かす医療」だけじゃなくて、「患者にどういう死を迎えさせてあげたいか」、と真剣に考えるお医者様が増えないと、日本は惨めになる。かわいそうな人でいっぱいになると思います。(太田啓之)
朝日新聞社
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180305-00000047-asahi-soci
安楽死って自殺だと思っている人が多い気がします。
でも痛みで顔が体が曲がって亡くなるのがいいですか?
私の母は胆嚢癌で最期痛みから顔も手足も曲がり最期の別れも出来ませんでした
ALSで亡くなったおばあさんも最期の希望は殺して欲しいでした。
病気で自分の体が動かない言葉も話せない。
本当に苦痛だったと思います。
どうしても治せない痛みで苦しんでいる余命もそれ程長くないならば静かに息をひとるって言うのも尊厳死な気がします
下の世話も自分で出来なくなったら
楽に逝きたいですね。
長生きが全てではない
安楽死も一つの選択肢として有りだと思う
金もあるし、まだ、とりあえずは、お元気そうに見える。
御存命のうちに、いろいろと意見しておいてくれ。
いま私は独身で、このまま1人で生きて行くのも充分あり得るなと感じています。
ただ体が思うように動かなくなったとき、自分で自分の面倒を見られなくなるのがとても怖い。
登録制にするとか、登録してから何年以内は実行できないとか、安楽死が適用される基準を厳しめに設けて運用できるようになってほしい。
亡くなる前の10年間寝たきりだった祖母は、母にいつも早く死にたい、殺してくれと言っていました。がんばって生きてきて、人生の最後をそんな想いで過ごすなんて悲しすぎる。
元気に老衰が理想だけど最後を自分で選べてもいいんじゃないかな。
私自身、子供もおりません。
相続する人も、老後の面倒を看てくれる人もいません。
お金はあっても、保証人が居ないと、入院だって出来ないでしょう?
夫が先に亡くなった時は、私もおしまいにする時だと決めています。
自分の命なんですが…
何の権限も持たせて貰えないのはなぜ?
回復が見込めないのに、
苦しみ続けて、身体が脱け殻のようになるまで、頑張り続けないといけないのはなぜ?
リタイアが許されないのは、理解出来ない。
それに、その方が国の為にもなるじゃないの。
超高齢化社会だとか、医療費が、年金問題が…って騒いでるけどね…
倫理観だけ、理想を押し付けられても、
全く響きません。
僕自身も延命治療はして欲しくないと思う。
延命して、臓器を壊すくらいなら、まだ使えるうちに使って欲しいとおもう。
死にたい訳じゃないけど、元気に生きて行けない状況下にあるなら、何かに役立って逝きたい。
厳しい審査が行われたあと、安楽死と言う逝き方を選べるのもいいと思う。
自分以外の立場だと考えを変えちゃうのがねぇ。
これから老人が増えるし変な延命で借金重ねても
返済が出来ないんだから安楽死は認めて欲しいなぁ。
高齢者の病棟で少しの間働いたことがありますが、好きな服も着ることもできず、施設のトレーナーをきて流動食を口に押し込まれ、オムツをはいて、髪型も決まったショートカット。
風呂にも週1日にしか入れない。
懸命に生きた先に何年もの間こうなるなら、批判は覚悟で言いますが、70代くらいで癌になって緩和ケア病棟で死ぬ方が幸せだなと思います。
電車で好きな所に出かけることができなくなったら、もう生きていたくないなぁ。
最近は寿命が延びすぎましたね。
死ぬ迄金を使わせようという魂胆か? いや心臓が止まっても、金を巻き上げようという医療関係者の計算か?
「天国に一番近い劇場」なる所で、好きな映像と音楽で最期をエンジョイしたい。そういう時代が必ず来ると信じています。
長寿国家やセイフティーネットとかきれいごとだけ並べて中身のない行政・・・
安楽死も状況によっては必要だと思う・・・
言葉を話せない。
ご飯を食べれない。
排泄は垂れ流し。
自分が何者かわからない。
そんな状態の人がたくさんいて
20年前なら老衰として亡くなっていたはずの人が生きている。
これも平均寿命が延びている一因。
ただ、生きているだけ。
正確には生かされている。
寿命と健康寿命はどんどん乖離している。
現在の医療技術は、こんなおかしなことを可能にしてしまう。
死に時、死に方は置かれた状況によっては、自分の意思で決めたい。
胃ろうなんて、絶対にしたくない。
あれは、生かされているだけ。
欧米には寝たきりの老人は居ないそうです、何故なら橋田先生が望まれるように不必要な延命措置を取らないからだそうです。
死の在り方については生前に本人の意思が尊重される様な仕組みづくりが必要ですね。
40代の方は就職氷河期で食べていくのが精一杯の人々は沢山いると思います。この先、年金も破綻しているかもしれないし、貯金も老後生活できるほど貯めている人はほんの一握りの人だけだと思います。
私の意見は子供にも迷惑かけたくない、生活保護でも迷惑かけたくない。
自分の力で生活できなくなれば、私はそこで人生終わっても良いと思う。
安楽死という選択ができれば安心できるのに。
橋田先生は下の世代のことをよく見てるよなぁ
医療とか介護施設も人員不足だし、
ギスギスしてトラブルに巻き込まれたりも嫌ですし。
子供達の将来のためにもそろそろ超高齢化社会ストップさせてください。
施設に入所していたので看取れたのは施設職員だったんですが、長男である舅は時間を聞くと日付が変わって直ぐだったと聞いて
今日母さんの99歳の誕生日なんだよ、と。
あと一年頑張れば町長から百歳祝いもらえたのにねえとつぶやいたそう。
もうちょっと生きて欲しかったという意味なんだろうなと舅の心情を思い泣きそうになったと言ってました。
施設に入所してからの祖母は戦死した夫のところへ行きたがっていたというので本人はやっといけると嬉しかったんだろうか。
自分も認知症になったり長く誰かに介護されるよりはこんなふうに静かにいきたいなあ。
苦しまず人間らしい最後を迎えたいって言うのは我が儘なのかな。
法整備が進まな過ぎて逆に医療の現場ではそう希望する人が多くなり密かに医者の善意のもとに実施されているように思います。
そう、目の前の飯を介助なしに自分で食べられなくなったらそれは逝く時です。
そうゆう死生観を持つべき。この何十年間かの日本のいたずらに延ばしまくる終末期医療はもうおしまい。
年寄りが生きてるせいで未来を担う子供らがひもじくなる世の中だけは避けましょうよ。
どんどん天国にいきましょ。
けどまぶたが動かなくなるのは時間の問題だそうで、そしたら意識や意思をハッキリもったまま何の意思疎通もできず暗闇に寝たきりになるかもしれないそうで…その人が意思疎通できなくなる前に早く安楽死を認めてほしいようなこと言ってた。
老後どころかその人30代くらいだったけど、考えただけで気が狂いそうだと思ったし息苦しくなった。
本当に認めてあげてほしい。
親族である私達は「長生きしてね」が口癖でしたが、本人は晩年「自分より年の若い者がどんどん亡くなってやり切れない。生きていても辛いばかりだ。それに俺は、誰かに世話かけてまで生き続けるつもりはないぞ」と言い続けていました。
そして、祖母が亡くなってから飲まず食わずになり、後を追うように息を引き取りました。
亡くなる直前まで一切の介護を受けず、誰にも迷惑をかけず、ただ静かに旅立ちました。
残された私達は悲しみましたが、それが
祖父の望む生き方、そして死に方だったのだと思います。
長生きは良い事のようで、状況によっては当人の望まない事かもしれません。
安楽死といってしまうと、賛否両論でると思いますが、橋田さんのお気持ちは想像できる気がします。
介護問題が深刻化する中、色々と考えさせられる記事でした。
認知症で寝たきりになったら安楽死できるようになれば、橋田の言う通り、年寄りはお金を使うようになり、介護以外の業界にもお金が流れるようになる。
一生懸命働いて貯金をし、死ぬまでそれを介護業界に吸い取られるかと思うと、何のために生きているのかわからなくなる。
しかしいざ仕事になるととにかく患者様を死なせてはいけないと強く思いどの様にしたら少しでも長生きして頂けるか常に考えて行動しています。少しでも栄養をとペースト食にしたり、痰が絡むからと吸引したり。自分だったら嫌だなと思いつつやはり殺してはいけないと思うしそれが私達の仕事なので。矛盾しているなぁと思います。自殺の手助けになるという問題もあるのでしょうが、安楽死が認められれば自殺も減ると思うし、安楽死が認められる世の中になるといいなと個人的には思います。
それから20年以上が過ぎ、身近な人が癌などの病で苦しむのを何度も見て、ようやく問題を理解できるようになったと思います。今では尊厳死にや安楽死も条件次第ではあっても良いのではないかと思っています。国にも超高齢化社会でのヒトの死のありように関してもっと議論していただきたいと思います。
トイレに行けない、ご飯を自分で食べれない人を世話するのは当然のような認識でいたけど、世界共通ではなく、日本だけらしいですよ。
自然死するのは人間の当然の要望であり権利だと思う。でも蘇生し、介護なしで生きられなくなったら、それすらも選択する事は出来ないんです。
先に主張しておかないとダメです!
とっさの時、ドクターは、本人は元気な時どのように言ってましたか?ご家族はどう考えますか?と聞いてこられます。まさかの時を考えて周囲に伝えておきましょう。
高齢者に限り、安楽死があっていいと思います。そしたら、お金の使い方も変わり。経済も回っていく場合だってあるでしょう。基本元気なら安楽死はしなくていいんですよ。冷静に考えてください。介護受けてまで生きたいですか?介護者の質を落とさない為にも物凄く必要な事だと思います。介護で揉めてる家族をたくさん見て思った事です。お金がある政治家にはわからないでしょうが
だから人生の最後はこう迎えたいと家族や周囲の人に伝えたり話し合ったりする事が大事なんだと思う。そして残される家族の立場や気持ちも汲んであげないとならないと思う。
だから独りよがりにならない様に周囲を説得できる自分でいたいと思う。
知り合いで闘病生活してる子がいたけど治らないのわかってて薬投与で延命してたんだけど本当に痛いらしくてずっと楽になりたいって言ってた
悪い事してないのになんでこんなに苦しまなきゃって見ててすごく辛かったからそういった人達の為にも1つの選択肢としてあってあげてほしい
でも生命保険は×50%とかの処置は議論が必要。
ほんとにそう思うわ。
そこまでして生きる意味とは?
と考える。
でも結局は介護してる人が
殺意が芽生えても
続いていくのでしょうね
とりあえず、安楽死が法整備されていない日本でも出来る限りの尊厳死ができるように。
安楽死はやっぱり医師の負担が大きいと思う。
安楽死をさせてあげたい、看取りたいという医師がいないと難しい。
こんなにみんなが願う安楽死、実現してくれてもいいんじゃないかと思う。
でも、それは高齢者にのみ与えられるべきで子どもたちには絶対に認めてはならない!でも、助かる見込みがない病気の子どもなら仕方がない?
こんなに難しい問題はない。
だから未だに結論が出ない。
でも、自分は安楽死という選択肢があれば嬉しいかも。
私はとっくに考えていました
もちろん今も
別に死にたい訳ではありません
動けない、話せない、食べられない
そして何よりも耐え難い痛みにさいなわれるような毎日になったなら
どうか死なせて欲しい…
それだけです
母は47歳の若さで亡くなりました。
てんてきをして、鼻からチューブを入れ、目は閉じたまま。その状態で最期の時が来ました。
必死で母に跨がり心臓マッサージをし、医師も父や祖父母が母を呼ぶ。
でも、再び心臓が動いても、母は助からない。目も開けない。言葉も発しない。
祖母は、「あんなに心臓マッサージを何回もしてくれて助けようとしてくれた。良い先生だね」と言ったのを覚えてる。
私は子どもながら違和感を覚えた。
そこまでして、生かされたら辛いのでは?
死は忌まわしいものではない。必ず来ることやから、日本の偉いさん方、もうちっとしっかり話して考えててくれんかな?
お金も使い切れるし、医療費の無駄削減出来るし
いい事尽くめ
80歳を超えてもなお、生きることに執着する老人だって沢山いるだろう。いや、むしろ大半の老人はそうなのではなかろうか。
しかし橋田さんの場合、バリバリ脚本を書いたり小説を書いたりするにはもう限界を超えているとご自身で悟っているようだ。そしてお子さんもいらっしゃらない。
病は気からとはよく言ったものです。延命措置をしなくとも、もしお身体が思うように動けなくなってしまったとしたら、橋田さん本人がもういよいよだ、と弱気になった途端、だんだんとそうなっていきますよ。
本人の意識があるうちに誓約書を家族同席の上、作成しておくのも良いと思います。
命ある限り、延命してでも長生きはして欲しいってのは、家族の誰でも思う事だけど、またこれ以上苦しむ姿も見たくない、というジレンマにも苦しむ事になります。
もしそこにご本人の意思を尊重し、安楽死の選択があるならば、これ以上苦しんで助かる見込みがないならば、安楽死させて欲しいと願う方も大勢いると思います。
もちろん自然死を尊重するならば、苦しんでいても生が尽きるまで見届ける、というのも家族の務めだと思います。
ただ、そこにもう一つの選択肢があってもいいのでは?と思います。
あくまで、本人の意思があってのことですが。
薬物を使って眠るように楽に死ねるならば、本人も満足ではないでしょうか。
私の父親は54で亡くなりました。三度目のガンの再発の時にガン細胞が骨に転移してしまい、そのまま全身に広がり、父は身体の様々な場所に走る激痛に日々苦しみましたが、母との老後を夢見て生還を切望し、自ら強制的に昏睡状態にしての延命を望み、せめて痛みをどうにかする術を見つけて欲しいと私達親族に願い、またこれを聞いた父の仕事の関係先から友人など非常に多くの方々が奔走し協力して下さいましたが、一か月後に永眠しました。
その後、父が痛がっていた箇所はすぐわかりました。荼毘に付された父の骨を見て一目瞭然。おそらく、いつも骨を折られているような痛みだったと思います。
日本国内の安楽死に関する議論について、橋田さんのお気持ちに同意します。私たちがここに書き込んでいる瞬間にも激痛に喘ぐ方がいます。その人達の心が世間にもっと伝わって理解される事を願います。
何歳かになったら安楽死したいと希望すれば、そのようにできる制度を作っていただければと思います。
そうすればいつまで生きるかわからず老後資金が心配でお金が使えない、ということもなく今をエンジョイできるし、国の医療費も減るはずです。
老後資金が不安な人や、孤独死が心配な人、たくさんいますもの。老後のために今の楽しみを控えるよりも、安心してお金を使って世間に回したほうがいいと思います。
今後更に高齢化社会が進み、介護が必要な方、持病の治療に病院に行き、ほぼ税金で治療を受ける、機械に繋がれて無理矢理の延命をする、そういう方が増えてくるのは明白です。
そうなるとそれを支える若者は少なく、税金も上がる、日本は悪循環に陥る可能性が高いわけです。
政府も色んな人も論点がズレた議論をしてるのでそれも税金の無駄。
私も家族に自分が何かあった時は延命治療とかしないで!と言ってます。
残された方は意識がなくても生きてて欲しいと思う反面、とても苦労する事は目に見えてます。(肉体的にも精神的にも金銭的にも)
自分が残される立場になったら、やっぱり生きてて欲しいと思う。
複雑ですが、
安楽死全てが良いとは思いませんが、そういう選択肢があってもいいと思います。
事実、コメント欄にもほとんどの人が賛成の意見。予想より多くてビックリ。
私も今のところ賛成ですね。
痛みや苦しい思いをしてまで延命して欲しくないし、子供の世話にもなりたくない。
かと言って第三者に迷惑かけるような自殺など選択肢にもない。
十分生きた。思い残すコトはもうないと
思えた時、自ら安楽死を望めるような将来がきてもいいと思う。
自分自身、子供や配偶者の負担になるだけの身になった場合、「安楽死」という選択肢があれば迷わず選ぶよ。
本人の明確な意思と、家族など周りのサインとかがあれば可能にして欲しい。
辛い治療とかの末苦しいまま亡くなっていった方達を見てきた上で、「安楽死」は必要なんだと感じる。
ただ辛いから死にたいとか自殺に近いのはNGだけど。
年老いたときや病気で十分戦ったとき、諦めじゃなく、もう人生全うしたなと自分なりに納得のいく時期が来たら安楽死もありだと思う。
ただただ死を待つよりは、自分で区切りをつけたい。
その日が決まっていればいろいろ整理できるしね。
ただ、自分だけの意志じゃなく、家族の同意も必要だと思うけど。
私はああゆうのは嫌だ。こうして欲しい。って激しく言っていて、結局贅沢なわがままじゃんって思ってしまった。
寝ている間にすぅーっと知らない間に薬で殺して欲しいんだってさ。
勝手にしてくれって思った。
私はまだまだ高齢者じゃないけど、40年か50年後には安楽死制度が日本でも適用されるの願ってる。寝たきりのお金がかかるだけで生きてるなんてごめんだ。
別に高齢者は、役に立たなくなったら死ねと言っているわけではないのです。
生きたい人は、どんな状態になっても生きればいいと思う
自分は、健康に関係なく80歳になる前に死ねたらいいな
庶民への医療って富裕層の為の人体実験なんじゃないの?とも思ってしまう。
最近は後期高齢者で癌などで病院にかかると月数万の負担で何百万の薬を処方して貰えたりする。
でも、1週間も入院したら、病院は介護する所じゃないとばかりに自宅に追い返して薬だけ与え続ける。
また具合悪くなると1週間だけの繰り替えし
そして急変しても、そうですねーお年だからそういう事もありますねーで、終り。
だいたい、収入源のないお年寄り救済の為、基本的な医療費が安いのはいいけど、お年寄りだけが自分では絶対払えない何百万という薬を税金で与えるのも何だか変な話な気がする。
しかし、夫や子供はおりません。
両親よりも早く逝くだろう疾患を患っていますが、治療も延命も望んではいないです。
生死の価値観は人それぞれですし、安楽死もひとつの選択肢として存在すればいいなとは思います。
現状で安楽死を選ぶつもりはありませんが、自分のことが自分でできなくなったら、真剣に考えるでしょうね。
年齢云々ではなく、常識の範疇ならば生き方の自由があるわけですから、死に方の自由も認められてもいいような気はします。
現実問題として、自死や幇助というハードルがあるのでしょうけれども。
最期まで自分の意志を。と思うことは異端なのでしょうかね?
例えば、安楽死と全身麻酔で意識が失せるのとは違うのでしょうか?
同じであるとすれば、安楽死は人生最後の美しい臨終です。
親族ならまだいいが、赤の他人に迷惑かけながら
数年間、おそらく暴力や暴言を放って生きるよりも、安らかに死を迎えたいと思うけどね。
苦痛を乗り越えた先は死ぬ以外にないんだからね。
生きるのが苦痛で長生きできるのに死を選ぶのとは、別に考えた方が良い。
苦しみ周りに迷惑かけるのならいっそ楽にしてほしいと私も思う。医療の進歩は著しいが、どう人生の最後を迎えるかとの議論はまだまだだしタブー視されてる。
そこを生きてるうちから自分の終えかたを家族に表現できて、医療の側も法律を扱う側も難しいからと言って放置してはならない問題なのでは。
医療費の高騰が叫ばれて久しいが、そういうところにも手を入れていく時期に来ているのではないか?
迷惑かけてまで生きていたくない。
事情を汲んで、判断をすべきだと思います。
元気な100歳過ぎの入居者さんの息子さんが面会にくるたび、こっちが先に逝ってしまいそうと呟いてた事が印象的でした。
ただ、ご飯食べないで老衰はちょっと違うかな。
食事をとると必ず喉につまるようになって点滴で栄養とろうとしたけど、点滴もひきぬいちゃって…って方がみえたけど、家族も延命も希望されなかったので最期は頬がこけて目は窪んで見開いていて、顔を見るのが辛かった。
私も延命は希望しないけどそうなるのも嫌だから、安楽死っていう選択肢ができたらいいなと思う。
延命拒否ならどうなんでしょう…。
脳や心臓の病気で倒れたとき
下手に延命治療されて生き残っても
重度の障害が残ったのでは
生きてる価値はないのでは?
身分証や運転免許証に記載すれば
本人の意思として認めて欲しい。
臓器移植だけでなく…。
リベラル派が好きそうな言葉だが
人として尊厳を保ったまま終焉の時を迎えるという
自己決定を否定するのもまたリベラル派が多いように感じるのも
不思議なもので
でも一番の阻害要因は家族親族かな
その命が本人のためにあるのではなく取り巻く人々のためにあるように感じるんだな
言ってることに説得力があるし、
論理にほころびがない。
父が3年寝付いて亡くなりましたが
亡くなる前は食事は自力で出来なくて
鼻からチューブで胃まで直接栄養を
入れていました。
だから、その後の
家族写真はありません。
本人が鼻からチューブの姿を残したくなかったから。
死に対する考えは人それぞれですから、老衰で延命拒否する場合、苦痛を伴う闘病で、もはや治らない場合には、安楽死は認めて良いと思いますす。
生き方は多様化してるのですから。
まして高齢になった時、家族も身寄り
も、皆亡くなって居ない場合もあります
現在なうちに自分の意思を書面に残すくらいはしないと。
ダラダラ延命されて苦しむだけかも。
橋田さんのご意見、ごもっともです。
死にたくないと思っているうちはやはり他人事かな。で実際自殺が出来るかと言うと怖くて出来ない。相当思いつめ頭がおかしくならない限り自殺なんて普通出来ない。でも誰一人としてその人を助けてあげることが出来なければ安楽死と言う選択肢が有っても良いと思う。選択の自由かな。
最期の時を苦痛なく、自然に逝かせてくれる施設があったら、その為にお金貯めたいと思う。
政府的には安楽死なんて面倒なもの作るより家族に看させればいいし
親も現実に直面した時、家族もいるのに安楽死するしかない自分は認めたくないってなるし
子供も安楽死させた子ってなるのを恐れると思う
老人が子を頼らず自立して生きる事が恥ではなく、誇りと思える文化でないと、尊厳死は無理だと思う。
いきなりなくなったと思ったら
橋田さんのように楽に死にたい人が
ずるずる生きてんだから
人生ってよくわからないですね・・
本人はそれで良くても、それに手を下す者達にとっては罪悪感のような気持ちも必ず残ると思うのです。
今まさに父が、食べることも飲むことも出来なくなっていて、先生から胃瘻や点滴を提案されましたが、すべてお断りし、看取りの手続きをしました。
が、しかしそれがいいのかどうか罪悪感に苛まれることもあります。
父は元気な時は延命は望まないと言っていましたが、ボケてからは長生きしたいんだというようになりました。
自然に任す判断をしたのは家族である子供たちです。
これはこれからの自分の一生でずっと心に残る事実だと思います。
だから安楽死は本人に取っては良くても、する側の立場の人達にとってはどうかな?と難しい問題であると思います。
橋田先生には父がその昔お世話になりました。
死にたいと思っている人に
若いかどうかは実はそんなに関係ないと思う
自分で自分を殺さなくてはいけない自死はかわいそうだから
お疲れさまおまかせ自死プログラムがあればいいけど
そうもいかないしね・・・
本人でなければわからない事情があるから。
けど、周りから追いやられ生きる意味が無いとか迷惑みたいな事なら、また違うな。
それは若くてもかわらないし、税金がどうとか言われやすいけど、普通に考えて高齢者が一番払ってきてるんじゃないのかな。
国がやりくり出来なくなりそうだから 若者に負担かかるとか言い出してるんじゃないのか?
要は色んな面でいくつも失敗してきたんだろう。
こんな理由から生きてはいけない考えにたどり着くのもおかしい。
この先しばらくは税金払いまくって 高齢者になった時に考えろみたいな世の中になってたらぞっとする。
だったらもう今から払いたくない。
安楽死と少しずれてしまったけど、世間の状況などより 自分個人のあり方で考え 結論に至ってほしい。
要介護認定されてから、最後はいろんな管を通されて、意識もない状態で生かされていた祖母や義理の祖父を見て思いました。
自分の人生だから、好きにさせて欲しい。
少子化高齢化が進む今だからこそ、取り組むべき問題なのでは?
高齢者が医療を受けなくなり尊厳死を選べば、医療現場にも影響は出ると思うが、医者ももっと他の前向きな治療に専念できる。
ブラックな勤務体制の介護施設のスタッフには心のゆとりができる。
それになにより、本人が今あるお金を元気なうちに有意義に使うことができる。
税収は減らないのでは?
若い人が介護介護で心や身体を壊して行くことの方が問題だし、大切な自分の子や孫に迷惑をかけてまで生きたいなんて誰が思うのですか。
一生懸命癌治療していた父も放射線治療で身体ボロボロになりながらあっという間に一年半で死にました。本人は治るなら…と辛い治療耐えてましたが気休めだったなら楽に行かせてあげてほしかった。
他の脳外科病院では、意識の戻らない年配を入院の期限が来るから、と違う病院にたらいまわしにする話も親族がしていたし、意識戻らない人、自力で食事取れずにチューブの人が望めば安楽死の選択もあっても良いと思います。
肺がんで終末療養施設に行った義母は、危篤状態時に医療をしないという本人確認の元、酸素欲しくてパクパクしながら逝きました。
延々と意識ないまま医療費がかかるなら、安楽死も家族親族が望めばしてもいいけどな。
はやく国会でも論議すべき重要な課題だね
誰にでも必ずやってくる「死」
一人ひとりよく考えてみよう
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