「低能先生」はあなたの隣にも!“他者攻撃癖”を量産する日本の病
6/28(木) 6:00配信
他者を攻撃して優越感を持ちたい――そんな人はネット上はもちろん、現実社会にも大勢いる。そこには、個人の問題を超えて、「理想と現実」のギャップに苦しむ日本社会が抱える「病」があるのではないだろうか(写真はイメージです)
ネット上で一方的に恨みを募らせ、ついには相手をメッタ刺しにして殺した「低能先生」事件。ネット上では「彼は異常だ」との声が溢れているが、人を罵ったり、怒りを爆発させて家族を殺したり虐待する人は増えている。そこには、日本人が克服できていない「病」があるのではないか。(ノンフィクションライター 窪田順生)
● 「低能先生」のような人は ネット上には溢れている
「ネット炎上」を長年ウォッチし続け、そこで得たノウハウを『ブログトラブル110番』として人々に説いていたHagex氏が、ネット空間で一方的に憎悪を抱かれた、見ず知らずの男から刺殺される――。そんな大変ショッキングな事件が起きた。
事件を起こしたのは、無職の松本英光容疑者(42)。被害者がブログを開設していた「はてなブログ」のなかでは、不特定多数の人に「低能」「低能」と粘着的な誹謗中傷を続けることから、いつしか「低能先生」と呼ばれるようになった要注意人物であり、亡くなられた被害者も運営元への「通報」を呼びかけていた。
その一方で容疑者は、九州大学文学部でイスラム文明を学んでいた時は、「地味で目立たず、真面目でおとなしい人」という同級生の人物評もあり、典型的な「ネット弁慶」(ネット上では傍若無人で攻撃的だが、現実社会ではおとなしい小心者である人)だった可能性が高い。
実際、犯行後に匿名ブログ「はてな匿名ダイアリー」に投稿された、容疑者によるものと思しき犯行声明には「ネット弁慶卒業してきた」という「宣言」とともに以下のような、「はてなユーザー」への“恨み節”がつづられている。
《これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく、俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)俺を「低能先生です」の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ》
これを受けて、「闇が深すぎる」なんて驚きの声が聞かれるが、筆者の感想はちょっと違う。それは一言で言えば「やったことは異常だけど、頭の中はわりと普通のネット民だったんだな」というものだ。
それこそ猛烈なネットリンチが始まってしまいそうなのであらかじめ断っておくが、容疑者を擁護したり、正当化したりというつもりは毛頭ない。ただ、自分のことを棚にあげて、他人の責任ばかりあげつらうパーソナリティは、この世界ではよく見かけると言いたいのだ。
匿名であることをいいことに、「死ね」「日本語読めるか?」など現実社会ではありえないほど暴力的な言葉で他人をネチネチと攻撃して、それを咎められると逆上して、ああだこうだと理屈をこねて自分の正当性を主張する。それができないとさらに激しい攻撃性を見せる。そんな「低能先生」のような他者攻撃癖のある人は、今のネット上に溢れかえっていて、決して珍しくない存在ではないか。
● ネット上だけではない 他者攻撃癖を持つ人は増えている
たとえば、そんな状況を如実に示しているのが、先日話題になったサッカー日本代表の本田圭佑選手のツイートである。
《人の悪いところを粗探しして優越感にひたろうとしている人。悪口を言い合える仲間を見つけて安心する人。気持ちは分かるし、僕は味方ですからね。僕も才能がなく祖父母からも「お前なんかがプロになれるか!」と言われて、コンプレックスだらけだったので》(6月22日のツィート)
もちろん、真意はご本人にしかわからぬことだが、本田選手といえば、セネガル戦でゴールを決めて「手の平返し」で絶賛されるようになるまで、ネット上で「老害」「結果も出せないのに偉そうなこと言うな」「とっとと消えろ」などなど激しい罵詈雑言が浴びせられてきた人物。自分を一方的にボコボコに叩いていた「ネット弁慶」に言及したものではないかと推測ができてしまう。
「これは日本のためだ!」「サッカーを愛するがゆえの苦言だろうが!この素人が!」なんて反論が多く寄せられるかもしれないが、そこに「大義っぽい」ものがあるだけで、匿名という安全エリアから、面と向かって会ったこともない人間を、上から目線で叩いてスッキリみたいな構造でいえば、「低能先生」がやっていたことと、そう大差ないのである。
では、なぜネット上には「低能先生」のように、他者攻撃癖を持つ人が増えているのだろうか。
よく言われるのは、ネットやSNSが悪いという話だ。これまでなら話しかけることもできないような芸能人やら日本代表選手ともつながれることや、匿名で好き勝手なことを世界に発信できるようになったことで、その「万能感」が勘違いを生み、他者への攻撃にもつながっているのではないかというのだ。
が、個人的には、これはどうにも賛同できない。ネットもSNSもなんだかんだ言って「便利なツール」に過ぎないからだ。
通り魔殺人は、「刃物」が引き起こすのではなく、そのツールを握りしめて群衆を傷つけようと考える「人間」が引き起こす。それと同様に、この問題もまず「人の悪いところを粗探しして優越感にひたろう」という「人間」が増えていて、彼らがその目的を達成するのに適したツールとして、ネットやSNSを用いていると考えるべきだ。
そう思うのは、ネットやSNSのみならず、現実世界にも「他者攻撃癖」を持つ人が増えていることがうかがえるからだ。
● クレーマーから家族間殺人まで 他者を攻撃する人々
飲食店や企業に対する「悪質クレーム」が増加しているのは有名だが、「家族間殺人」などからもその傾向はうかがえる。
警察庁のデータによると、全国の警察が2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)のうち、55%が親族間で起きており、これは年々増加傾向にあるという。
家族とは、もっとも近い「他者」であることに異論を挟む者はいないだろう。それはつまり、とにかく人の悪いところを粗探しして批判をしなければ気が済まないという「他者攻撃癖」を持つ人にとって、もっともターゲットになりやすい、ということでもある。
「近親憎悪」という言葉があるように、家族という「もっとも身近な他者」の粗探しは、アカの他人以上に憎悪が深まり、やがて殺意すら芽生えていく。この負の連鎖が、今や年間10万件を越す「児童虐待」にも影響を及ぼしているのは明らかだ。
先日、東京・目黒で両親から激しい虐待を受けて亡くなった5歳女児の「おねがいゆるして」とつづったノートが公開され、日本中が悲しみに包まれたが、なぜ彼女があんなにもすさまじい虐待を受けたのかというと、両親の執拗な「粗探し」と「攻撃」がなされたからだ。
「モデル体型にしたかった」「勉強するように言ったが寝ていた」。そんな両親の供述からもわかるように、彼らは我が子の「粗」が許せなかった。こちらが理想としている姿があるのに、なぜお前はその通りの振る舞いをしないのだ――。その怒りは「最も身近な他者」だからこそ、さらに激しく燃え上がる。それが目を覆うような我が子への暴行や、ネグレクトを引き起こすのだ。
ネットやSNSの世界だけで、激しい他者攻撃がおこなわれているのならば、この現象の元凶をネットやSNSに求めることができるが、現実世界でもいたるところで他者攻撃がおこなわれているのだ。
● コンプレックスが 他者攻撃の引き金に
そこで次の疑問として浮かぶのは、なぜ我々はこうも他者に厳しくなっているのか、ということではないだろうか。
これにはいろいろな意見があるだろうが、筆者としてはやはり歴史に学ぶべきだと思っている。つまり、今と同じように他者に厳しい時代を見れば、その答えがわかるのではないか。
たとえば今、「みんな」や「日本」が頑張っていることを揶揄したり、異論を唱えたりしたらボコボコに叩かれるという風潮がある。もしサッカー日本代表が見事、決勝進出を決めて日本中がお祭り騒ぎをするなかで、かつての上西小百合氏のように「他人に自分の人生に乗っけてんじゃねえよ」などと言おうものなら、たちまち大炎上するだろう。
ではこれはネットやSNS特有の現象かというとそうではなく、非常によく似たリンチが横行した時代がある。そう、戦前である。
満州事変が起きた1931年、東京・麻布で反戦運動がおこなわれた。「もし戦時招集があっても応じるな」という反戦ビラを街頭に撒いた人たちをボコボコに叩いたのは、軍人でも憲兵でもなく、一般市民だった。
「付近の住民は時節柄とて憤慨し二、三十名が棍棒や薪を持つて『非国民を殴り殺せ』と追跡した」(読売新聞 1931年9月21日)
この「一般市民による非国民狩り」は、平成日本でも確認される。2002年の日韓共催W杯の時、山形県が勤務中にテレビ中継を見ることを禁止した。当然でしょ、という声が聞こえそうだが、このスポーツの「戦時下」ではそうならなかった。山形県の広報室には1週間で200件の電話が寄せられ、その8割が「国を挙げているんだから応援すべきだ」「非国民」「負けたら山形のせいだ」という批判だったという。
少し前に大阪で地震が発生した時、インスタグラムなどに笑顔の写真や、交通状態に関する感想を述べた女優などに対して、「時節をわきまえろ」「こんな時に不謹慎すぎる」と批判が殺到して、彼女たちへのバッシングにまで発展した。
このような「不謹慎狩り」も、ネットやSNSがたまたまツールとして使われているが、ツール自体に問題があるわけではなく、先のように「非国民」を棍棒で追いかけ回す日本の「伝統」が今に受け継がれているだけに過ぎないのである。
このように戦前とかぶるムードを見ていけば、現代日本で他者攻撃を繰り返す人たちが増えている要因がなんとなく見えてくる。それは先ほどの本田選手のツイートにあった「コンプレックス」だ。
● 「日本は世界一」と思いたいけれど… 誰もが生きづらさを抱える現代
コンプレックスのある人は攻撃的だ。自分に自信がない人は他者をボロカスに叩けば、多少なりとも自信を取り戻す。上から目線で人をバカにすれば「俺の方が賢い」と優越感に浸れることができるからだ。
そして、コンプレックスは、プロを目指して自分を信じながらも祖父母からダメ出しをされた本田選手のように、「こうありたい」という理想の自分像と現実の自分のギャップが大きければ大きいほど、強くなる。
このコンプレックスが極限まで膨れ上がった時代が、実は戦前戦中の日本だった。
「世界一の皇国」をうたいながらも、時を経るごとに西洋列強に追いつめられていく。「八紘一宇」「大東亜共栄圏」という、うっとりとするような理想を掲げるも、なかなかそれを実現できないというジレンマがあったのだ。
こういうコンプレックスを抱えた時代に、棍棒で「非国民」を追い回す「他者攻撃」が隆盛を極めたというのは非常に興味深い。現代日本の姿と、モロかぶりするからだ。
2013年、国際比較調査グループISSPが、31の国・地域を対象にして「国への帰属意識」を調べた。そのなかで日本は、「一般的に言って他の多くの国々よりこの国は良い国だ」と回答した人の数でダントツ1位、「他のどんな国の国民であるより、この国の国民でいたい」というのもフィリピン、南アフリカに次ぐ第3位だった。「日本人は謙虚」「日本人は自信がない」というのはあくまで「個人」の話であって、「日本」という「集団」の話になった途端、戦前と変わらぬ高い自尊心をみせる。それが我々日本人なのだ。
もちろん、国を誇るのは悪いことではない。自分の国にどんなセルフイメージを抱こうとも自由だ。だが、現実の姿とあまりにギャップがないか。
人口は急速に減少し、世界幸福度ランキングも年々下がって今や先進国中で最下位。組織ではパワハラやセクハラが後を絶たず、若者が希望を抱けない。こういう話を必死で否定する人も多いが、「こんなに生きづらい社会はない」と感じる人はそれ以上に多い。
2016年にNHKが全国18歳以上の男女、2811人を対象におこなった意識調査のなかの「心のゆとりを持ちにくい社会だ」(62%)、「自分のことばかり考えている人が多い」(71%)、「いらいらすることが多い」(66%)という結果が、それを雄弁に語っている。
● 奥ゆかしさを誇る半面、 他者を罵倒する日本人の「病」
なぜネットには、匿名なのをいいことに、人を見下したような悪口を溢れかえるのか。なぜ寝る間を惜しむかのように四六時中、人の粗探しに心血を注ぐような人が多いのか。中川淳一郎氏の言うように「ネットはバカと暇人のもの」という側面もあるのかもしれないが、筆者には日本人をそういう他者攻撃に駆り立てる「病」があるような気がしてならない。
「低能先生」だけではなく、新幹線でナタを振り回した青年や、拳銃を奪った元自衛官など、社会に適応できなかった人の犯行が増えているのは、その「病」が影響しているのではないか。
そういえば、「非国民」が棍棒で追いかけ回されたあの時代、岡山の山村では、肺結核で徴兵検査に落ちた都井睦雄という若者が、猟銃とナタで30人の村人を次々と惨殺した、いわゆる「津山30人殺し事件」が起きている。
このような人たちが抱く社会への怒りが、「理不尽な逆恨み」なのは言うまでもないが、彼らの怒りを駆り立てる「何か」が社会にあるという事実も受け入れなくてはいけない。
「みんな」や「日本」という言葉を出せばすべてが許され、その輪を少しでも乱す者は袋叩きにされる。「生きづらい」「もっと人を思いやれ」と叫ぶ裏で、こうしている今も名前を隠した誰かが、他人の粗探しをしてスッキリしている。
こういう日本人の病的な気質を改めない限り、「低能先生」のような人たちからの「復讐」は終わらないのではないか。
窪田順生
【ダイヤモンド・オンライン記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180628-00173468-diamond-soci
今後も同様な悲惨な事件は増えそうだ・・・
でも決して日本人だけじゃないと思う
殺しは!!DNAだよ
殺人はDNAで遺伝するらしい
身内にいないか?
他者に変わることを求めるより、自分が変わることの方がまだ可能性がある。
そもそも、他者をジャッジできるほど自分はできた人間なのかな。
他者を批判するより自分が何をしてきたかを考えて物事発言しなきゃダメなんだなぁと。
全くこの通りだと思う。
他人批判他人攻撃
生きにくい!
はリアルに避けられるだけなので、出しゃばれなか
ったが、匿名ネットでは悪くも水を得た魚のように
その本性を剥き出しにできる。
ただそれだけの事。
本名なら何も言えないだろうね。
どこに行くかなど、匿名の相手には知られてしまうのに自分は相手の名前も容姿もわからない。
真横に立っていてもわからない。
他者の異なる意見は自分への攻撃だと思い、まともな議論ではなく、暴言を投げる人が多いと思う。
そして暴言を受け続けた人の姿を想像することはない…
いつも思うけど、その欲求に応える意味がどこにあるのかな。
いじめっ子は自分より弱い子をいじめることで自分を優位に立たせようとする。
そうやって自分は強いように思ってるけど実は心が弱い、貧しい証拠。
一人じゃ何にもできないから集団をつくっていじめようとするんだよね。
これが行き着く先は、究極の他者攻撃である戦争と国内テロの頻発。
そんなことあるわけないと思っている時点で感覚が鈍っている。自分の周りの小さな戦争を無くしていかないと大変な事になる。
ちなみに大地震も1930年代。
自然も繋がっている。
日本全体の凋落、個人生活の劣化と、理想とする信じたいイメージとの落差が、他者攻撃につながっているのだとすれば、今後もこのトレンドは激しさを増すことだろう。
それに、他人は自分とは全く違うもんなんだら自分の理想を押し付けても意味がなく迷惑だ。
表と裏があるのは人間の当たり前の姿。日本が特別でもなく、最近の人が変質しているという訳ではない。
良識として、さらけ出してはいけないと思う内心を、ネットを通して表現できる事に快感を感じているのだろうな、とは思う。
現実社会で、表現してはいけないとされる表現が増えているのは事実。過去の時代より、内面についてより抑圧を感じる場面が増えている、というフラストレーションもあるのかなとは思う。
昔の方が、発言・表現の自由は大きかった。昔の書物・漫画など、今見るとびっくり!な内容も多い。
自分の現在位置が分かっていない。
当然、目標や夢がトンチンカンになり、何を
やってもダメ。
他者ばかり見ているし、思考の対象も他者。
だいたい、こんな感じかな、ダメ人間は。
この問題についての考察でもっとも納得できました。
教育とはテストで高い点数を取れるようにしたり、芸術やスポーツの才能を伸ばしたりすることだけではない。もちろん親の意のままになる人間に仕立て上げるためでもない。食事を摂らせていれば体は大きくなるかもしれないが、心が育っていないのだ。
心が育っていない人が大人になって子供が出来ると、その子供もまた心が育たないまま大人になる可能性が高くなる。心が育ってない親は子供が仕出かした凶悪事件に触れても何故それが起こったのか理解できない。挙句の果てに他人事にする。
戦前戦中もそうだったのなら、ずっと以前から現代までほとんど何も変わらず負の連鎖が繰り返されているのだろう。
他の事は確かにSNSの普及での影響はあるが反面メディアにも取り上げられなかった一般人の意見が表にでたりするのは、良い面もある。
上手くつきあっていくしかないのだと思う。
これらができない、手に入らないということに我慢がならない、自分より優越な人や体験が目や耳に入りやすい。こうしたことでイライラも募るし、ネットにアクセスすれば目の見えない相手と安易にケンカもできるようになってしまった。
こんな感じで、低能先生みたいになる資質は以前から多くの人に備わっていたのかもしれませんが、現代社会はそれらに大量の肥料を蒔いてしまう環境なんだと思います。
他社を攻撃するのは、心の弱い人間だから。
自分の不安な心を怒りに変換してまう。もはや、何故そんなに怒っているのかわからない人もいる。不安です、傷つきました、嫌でした、そうな事言われて悲しかった、と最初の気持ちを口に出来たら理解されやすいのに。そういう環境に無いんだね…
この調子で無駄な時間を減らせるようタイトルで判断したい
気をつけないと、相手の感情を必要以上に逆なでするね。
匿名だから安全圏から攻撃できるわけだしね。
匿名だから安全圏から攻撃できるわけだしね。
アメリカの銃乱射事件なんかその典型だと思うんだけど。
ちょっとお金に困っていたり親の介護や子供の世話で疲れていたりすると普通の人が嫌な人になったりしてしまう。
みんないろいろな事を抱えて生きています。
みんなが気付かないだけで実は病気に苦しんでいたっていう事もあります。
みんなが思いやりを持って他の人に接すれば住みやすい世界になると思います。
ただし、話が通じないアホがたまにいる事もお忘れなく。
殺人が増える。。家族や友人、趣味仲間と楽しく過ごす時間を重要視しない、後回しになって
高学歴、高収入をめざす人も多いし、ドロップアウトして、怠けて酒のんでパチンコいきながらの生活保護者も増えていく。怖い世の中です
どの人間も同じで、周囲と比較する相対的な判断のほうが簡単に優越感を感じてしまえるし、絶対的な判断は難しい。
今の日本のジャーナリストは本来の使命を忘れたのか、あるいは権力に取り込まれ御用マスコミと同一化したのか知らんが、非常に堕落したね。
あなたがそうならんことを願います。
相違はあるものの概ね賛同する。
身近に姑息で幼稚な心貧しい人間がいるもんだと思った。
未来がない日本は精神から崩壊して行くんだな
自分も、コメントに辛辣な事を書いてしまう事がある。。
コンプレックスの裏返しというのは腹立たしいけれど、納得がいくものがある。
また、現在と戦前の日本との相関は最近よく指摘されていて恐ろしいものだと思っていたけれど、、無差別殺人の状況まで似ているとは、正に背筋が凍る思い。
SNSが画期的すぎるツールだったのも事実でしょ
ライターさんは戦前と結び付けたいみたいだけど
元々の要素は普遍的にありながら決して繋がらなかったものが
SNSで繋がったというのが実際のトコじゃないの?
だけど底辺層だけじゃない。中流や上流も多いfacebookだって、今では「クレーマーの演説会場」に成り下がってしまった。まぁ、国民性もあるだろうね。
とすればこれからどんどん増えていくね。
低能先生は就職氷河期ど真ん中の貧困層。浮上する術はなかった。
棄ててしまったものがあるんだよ。
自分はみんなとか一般的とか言う安全なところにいて弱者を攻めていい気になる。
ネットやSNSが無い時代から変わってないよ。
でもそれを読んだたくさんの彼の読者は「生きる価値なし」「リアルでは何もできないくせに」のような言いたい放題のコメントを残していく。
そういうコメントへの対抗としてリアルで事件を起こした可能性は高い。
いちばん気を付けなければならないのは、無名の、自称良心の一般人だ。
フェイクニュースはなにもマスコミだけが作り上げる訳じゃない。ネットだってそうだ。
こうありたいっていう民衆の妄想が、マスコミやネットのたった一言で、ウソが本当になるという虞。
ただ、こういうことは日本人だけの話ではないと思うけどね。
精神的に疲弊した国なら、どこにでもある話ではないか?
「ひとりごと」ってスレ好きだったなあ
「お腹すいたー」とか一言言いっぱなし書きっぱなし
たまに、しりとりが始まったりして
平和だったなあ
荒らしなんて考えもしなかった時代
この加害者荒らしやってたの知って一気に
軽蔑した
小規模なものはこれまで現実社会が抑制していたのではないか。
現在はお互いに干渉しないようになりスマホを介して会話するようになったので
こうした抑制が効かなくなったのではないかと推察している。
現に世間話をしているような女性たちが事件を起こしたとは聞いたことがないし
話し好きな営業マンによる事件もあまり聞かない。
それぐらいしかネットの声から自分を守れない。
このご時勢ネット断ちは色々とデメリットが大きいから。
ネットで匿名性ない方が平和かもしれない。
最近はバトルしたい人同士で自然に集まるようになってきたから通用しなくなっている感じがする。
かまってほしいという欲求を同じ人間同士で満たし合ってるだけなら良かったんだけど殺人事件が起きてしまうとちょっと考えもの。
ただ全員がそういうわけではない
そしてこれからはネットでの発言も自身の信用に直結する時代になると思う
それが予見出来ない人はネットでも実社会でも生活しにくくなるんじゃないかな
それと正義を振りかざす事ほど人を傷つける事もないって事をカキコミする時には覚えておいた方がいい
小さい会社だと5段階評価で評価が3なら給料は降格、ボーナスも減額、つまりは二重の処罰をしてるようなものなのにそういうことを平気で給与規程にしているところもあるから。
そういうところでは「低能力って思われてなるものか」って異常に他者に厳しく攻撃的になる人いるよ。
だから一見かけ離れているようで実は繋がっていると思うよ。
コメントにはそういうのが見られる。
この記事は問題提起しているってことなのかな?執筆者の意図を図りかねる。
まさか小銭稼ぎってことはないよな?
自分のあり方を今一度問い直したい。良記事
個としてみんな寂しいんじゃないかな。
ネットは良くも悪くも繋がりすぎるし閉鎖的になりやすい。意見が多いと集団的になって少数を排除する考えも出てくるし、排除されたら自己の正義を貫きたくなる。
呑まれないようにしないとね。
非国民だの何だのという人は、
あたかも自分が国民の代表にでもなったつもりなのだろうか。
代表になったら、他者の意見も取り入れる度量も必要なのだが。
共通するのは能力に比べプライドだけが高い場合が多くオレ様が社会認知されない不満を潜在的に持ついわゆる常時欲求不満タイプ
何かを虐げることにより優位にみせる裏心理も持つがそれも満たされないと犯罪を起して暴発とにかく暴れたい
老若男女前頭葉のブレーキが壊れたら凶暴な人猿と化す
多いよw
匿名だからこそ、尚更お互いに気を使わなければならない最低限のマナーやモラルがある事を思い出す必要があると思う。
各サイトでも、ネット利用のガイドラインの整備が必要だと思うし、あまりにも他者への攻撃が酷い者に対する利用制限等を考えていかなければならないと思う。
次の事件を起こす奴は誰かな?
敗戦でも変わらなかったその特質は大胆な移民政策でも取らない限り変わらないのではないでしょうか
「日本の病」と書いているけれど、こういう出来事は海外でも起きて居るのではないか?高校での銃乱射事件とか。ちょっと決めつけが多い気がする。
ディスる幼稚な時代から自分も含めてシフトチェンジしてった方がやっぱいいよな
多いんですが、
この記事はわりと得心できる内容でした
ただ、悪意や過剰な同調圧力の根元が我々自身に
内在していることを肯んじるとしても
ネットがそれらの高効率な増幅装置になっていて
かつてでは起こり得なかったトラブルを
発生させているのもまた事実だと思いますね
モンスタークレーマー、モンスターペアレンツなんて出てきた20年くらい前から、自分の憂さを晴らすために、他人を異常に攻撃する人が爆発的に増えてますよ。
無言で削除が理想。
イジメと同じで(イジメの場合は被害者だけど)いじめられる方にも問題がある、しかしだからと言っていじめていいわけじゃない。
低能先生がいくらおかしい人だからと言っておもしろがって叩いてたらイジメと同じ、イジメっ子集団の中で比較的良心的だったひとりがイジメられっ子の復讐相手としてたまたま選ばれてしまっただけにしか見えない。
亡くなった方は不幸だと思うが、やれるものならやってみろと煽り続けた人が今回の加害者の一人なのを忘れてはいけない。