「互いに性的独占をしない」「1年ごとに更新」―― とある夫婦が選んだ「契約結婚」という選択肢
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江添さん(左)と長谷川さん(右)(※画像加工は編集部によるもの)
日本で現在「結婚」と言った場合、多くの人は「恋愛もしくはそれに近しいプロセスを前提とした、男女2人の法律婚」を想像するのではないでしょうか。しかし現実には、そうした形に縛られず、独自の形で結婚をしたという人も増えています。
「契約結婚」という形を選んだ長谷川さんと江添さん夫妻もその一例です。2人は同居はしているものの法的な婚姻関係にはなく(一般的な言葉で言えば「事実婚」)、「1年更新制」「互いに性的な独占をしない」「経済的にはそれぞれ独立し、財布は別」といった、2人の間で決めた“契約”に沿った結婚生活を送っています。既に同居は6年目。2019年には行政書士に依頼し、契約内容を正式にまとめた公正証書も作成しました。
果たして2人はどのようにしてこの形に行き着き、どのように生活しているのでしょうか。直接お話をうかがう中で見えてきたのは、恋愛関係から結婚したカップルにとってもメリットのありそうな、ルールがあるからこその自由さと、同居する2人が腹を割って話すことの重要さでした。
契約結婚の始まりは、シェアハウスでの“スカウト”から
この結婚の始まりは、妻である長谷川さんが夫の江添さんをスカウトしたことでした。長谷川さんは当時、恋愛というものに対して「圧倒的に向いていない」という気持ちを抱いていたといいます。結婚願望自体はありましたが、その前段階である恋愛関係がなかなか健やかなものにならず、精神的にも肉体的にも「この先をずっとこれを繰り返すことになるのか……」と疲労していました。 「そもそも“付き合う”ということが謎だったんです。それまでは相手から提案されたらそれに乗るという、受け身の形で恋愛をしていたんですが、どれも長続きしなくて……世間一般の規範が自分にとって不向きなら、自分に向いている形を探そうと思ったんです」(長谷川さん)
そこで長谷川さんは、自分が本当に望む条件を洗い出し、それを受け入れてくれる相手を探すことになります。譲れない条件は互いに性的独占をしない(パートナー以外とセックスしても干渉しない)こと、1年更新制であること、そして「添い寝」をしてくれること。「添い寝」については、「基本的には1人で生きていきたいと思っていたんですけど、自分としては添い寝すると眠れないときも安心して眠ることができた。そこは誰かしら必要だったし、譲れないポイントだったんです」と長谷川さん。こうして最終的にたどり着いたのが、そりが合わなくなったらいつでも別れられる“更新制”というシステムでした。
しかし、いざ条件に合う相手を探しはじめると、意図がうまく伝わらずドン引きされたり、「更新制で離婚前提みたいな感じなのに、なんで結婚する必要があるの?」といった反応が連続。そこに偶然ヒットしたのが江添さんでした。
当時江添さんが住んでいたのはシェアハウス。それも5LDKの家に常時十数人がゴロゴロしているような大規模なものでした。そこによく出入りしていた長谷川さんは、江添さんに契約結婚の話を持ちかけます。 「最初は変なことを言うなと思って適当に聞いていました。でもあるとき仲人役になってくれる知り合いが、条件をまとめて『こうしたらいいんじゃない』と間を取り持ってくれたんです」(江添さん) 「江添さんと私の条件をホワイトボードに書き出して、条件がぶつからないかをチェックしました。当時のホワイトボードはまだ消さずにとっておいてあります。あとで江添さんになぜ結婚しようと思ったのか聞いたら、『条件が合っていたし、あと暇だったから(笑)』と笑っていました」(長谷川さん)
【ねとらぼ記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
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結局、自分の思い通りに生活したいということで。
お互いが納得しているのなら、それで良いと思う。
私にはこのような生活は向いてないと思うけど、
他人が口を挟むことではありませんね。
「恋愛関係から結婚したカップルにとってもメリットのありそうな
あと5年・10年後も同じ事を言っていられるか。思っていられる
どうなるかだね。綺麗事で終わればいいけどね。突然死したらどう
やりたい放題を他人に証明する為という事ですね。他人との子供が
逆に結婚という言葉にこだわってるような…
別に恋愛感情のない同性同士でも構わない話し。子供のやるお家ご
2人以上居てもいい訳だし。
力を合わせて生きることはいいこと。
愛の信頼関係がないのだから夫婦ではないし、愛ではない。
とはいえ、利害関係もなくお互い経済的に別であれば、ただ寂しく
まあ誰しも同じ感想だろう。自分も同じ。
ただ、お互いがそれでいいんならそれでいいんじゃない?とは思う
自由な不自由、または不自由な自由?よくわかんないけど、お互い
昔のヒッピーみたいな聖域と言うものを得たと言う意味なのかしら
やっぱりよくわかんないけど。
私には無理だけど。
色んな人と肉体関係は持ちたいし、1人にもなりたくない。
要するに自分の都合の良い時に一緒にいれる相手が欲しいって解釈
結婚ってか夫婦ってそんな都合の良いものじゃないので、ケンカし
で、なんだかんだ仲直りしてっての繰り返しが結婚であり、夫婦だ
契約『結婚』って言葉を使われると不愉快です。
契約『同居』にしてください。
ちゃんと愛せる人と出会えなかったのだろうし、自分のことを愛せ
ただの同棲だと思うけど。
お互いがそれでいいのならいいと思います。
ただ難読の名前とかもそうだけれど、
理解されない事に対して腹を立てたりなさらないで欲しいです。社会が追いついていないので、すなわち私たちも教わってないので、
理解はし難いのです。
まぁ、契約所等々こだわっている所が今風かなって感じで。
「結婚」との表記がおかしいだけと思うのですが。
どちらかが強く出て一方が我慢し続ける結婚生活より、難しいかも…。
ただ子どもができたときまでは、深く考えてはいないように感じます。
誰の子?から始まり、生まれてから毎年契約更新とかだったら、子どもの立場としては不安で精神不安定になりそう。
なんかこの記事読む限りは、夫婦っていうより、夫婦という名の同居人ですね。
既婚者という肩書きが欲しかったのかな?
自己満足しているように思います。
性的に束縛がお互いにあるから、そこをベースに信頼関係が築いていける。
これは新しい結婚ではなく、条件ありの同棲
、同居に過ぎない。
問題提起は解るが、ニュースにするだけの内容ではないと思います。
籍をいれてお互いに離婚届を代理人に預け
ての契約結婚の方が説得力があると思います。
婚姻関係があることで得られるものの中には、税金が使われているものもありますからね。
結婚は当人間だけの問題ではなく、社会的な責任もあるということをお忘れなく。
わたしとは価値観が違いすぎて共感は難しいけど、理解はします。
本当の愛を知らず、寂しさがなかなか埋まらないんだろうなぁ…という印象。
当人同士が幸せならいいと思うけど、先々親の介護問題とかに直面したときどうするのかなと他人事ながら気になる。
結婚するということは時間やお金や行動に制約が生まれること。自分のお金は自分のものだ、休日に一人で遊び行く、浮気をする、これらは全て結婚して家庭を持つだけの精神的成熟が足りていないということ。これらの制約なしに一緒にいるということは、自分は大人として未熟だと認めていること。つまり通常の「結婚」はできない、しないほうが良い。したがって「結婚ごっこ」をしているまで。良い悪いの評価ではなく、これは結婚とは程遠い「ごっこ遊び」なので、契約結婚などと言って結婚と比較するものではない。
6年不満も無く何事もなく続くということは結構相性が良いはず。他の人との恋愛を認めて、かりにもパートナーとして長年過ごしていた相手に別の本気になる相手が現れ、いざ去られた時に妙なルールで縛り付けていた事を後悔しないとよいけど。
添い寝が必要条件な人が、50、60になって捨てられて、独り寂しく日常を過ごすことができるのか甚だ疑問。その時に都合良く別の相手が見つかるとでも?
わざわざ公証人までたててルールを作るわりには、将来の見通しが甘い気がする。
変わり者同士ウマが合ったという感じ?
籍入れてなくて「結婚してます」なんて言わないでしょ
事実婚ですらなさそうで、同居してるだけじゃん
大人数のシェアハウスから2人で住むシェアハウスになっただけという感じじゃないの?
モテない独り者と思われたくなくて必死な感じなのかな
新しいことやってるつもりになっている自分に酔ってるのもありそう
この長々しい記事を最後まで読んだ人の殆どが一番知りたいことはそこでしょ。
どんだけ上手い言葉で言い繕ってもだらしない大人同士のケジメのない関係って事だよね。自分は無理。こういう人としての成長に何ら寄与しない無分別な関係って何が良いのかサッパリ分からない。友達としてもこういう人達とはなるべく距離を置きたい。
これだけ多様化が唱えられる時代に結婚一つとっても選択肢が少なすぎるのも問題だし。
ただ気になるのは「添い寝」と「性的束縛をしない」のくだりかな?道徳的なことではなくて、ちょっと精神状態が心配。
これ、根は同一の心理で、普通のカップルより「とにかく誰かがいてくれないと耐えられない」という他者への依存が強すぎるんじゃないかな。
すなわちホントに好きな人じゃなくて2番目3番目としか思えない人同士が一緒に居て1番好きになる人を見つけたら一年以内に邪魔しないで別れてくれよ!って事にもなるよね。
けどこんな事してる人をこっちが好きにならないわな!
お互いいいならそれでいいんじゃない、ただこんな生活してるのにこっちへ近寄って来てもらいたくは無いな、必ず揉める原因になるから。
数年前のゼクシィのCMの中のセリフに、俺の好きな言葉がある。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代、
それでも私はあなたと結婚したいのです。」
本来結婚は互いの利点や利害を一致させるためのものじゃなく、もっと単純な心において純粋にしたいと思うものではないでしょうか?
結婚っていう言葉を使うからおかしくなる。この例は結婚ではなくて、同居。事実婚という言葉を使いたい人も確かにいて、夫婦別姓が望ましいと思っている人のように、主張のある人もいるので、それはそれで良いと思う。
この2人で、必ず完結するのなら、個人の自由ですね。
もし、この2人以外に異性が絡んだ場合、また、その異性にパートナーがいた場合、都合のいいこと言って、他人を巻き込む。これはどうかな?と。
人として人生を共に生きるなら、まず選んだその相手の人生に対して敬意と責任を持って欲しい。それが人間の大人の一面と思います。
古いのでしょうか。私は形こそ変革しても、真は変わらないと思いたいのですが。
ただ、結婚して添い遂げる人達の多くは、自分にとって大切な人が幸せな人生を送ってもらえるように尽くすことに自分の幸福を見いだしていると思います
何事もそうですが自分が老いたときのことをよく考えて生きてほしいです
普通に結婚したほうがわかりやすい。なんだかんだ言ってますけど、結局はもっともらしい理由をつけて好き勝手やりたいってことでしょ。でも世間的には結婚に準じた扱いを受けたい、世間体を保っておきたいという、究極の身勝手行動ですね。それをあたかも時代のトレンドのように記事にするのもやめてほしい。二人に子供ができたとき、きっとどちらも逃げるんでしょうね。
損得勘定だけで考えてたら、結婚なんて成り立たない。それを越える何かがないとやってられないよ。
自分にとって都合のいい相手が欲しかった、結婚することでの責任はおいたくない…相手も同意しているので、双方が相手を都合の良い人という立ち位置で満足しているんだから問題はないかと。
他人に迷惑をかけない限りは自由だと言えばそうかも知れないが、率直に言って頭でっかちで人間とか人生とかを考えないその場限りの薄っぺらい屁理屈からの発想としか感じません。
だから個々のカップルがこれをやるのは勝手ですが、こういう浅薄な「結婚」概念まで従来の法律婚と同等の法律的な保護を与えるように婚姻に関連する様々な法律を改訂すべきだとなれば断固反対です。思慮の乏しい頭でっかちの浅薄な屁理屈を社会システムの根幹を成す正規のルールに組み込むのは絶対にNG。
社会的立場から結婚してる方がいいとか、必要があるならわかるけど
恋愛感情もなく、更新制度って、まるで派遣社員的な感じ。
いつか切られる側になるほうが納得できればいいけれど。
子供も含め、自分の命よりも大切なもの。
身を削ってでも守るべきもの。
彼らの事を別に否定しようとは思いませんが、それが出来ないから自由でいたいのであればカップルと言う形で十分ではないでしょうか?
わざわざ『結婚』と言う言葉を付ける意味が私にはわかりませんでした。
契約カップルであれば否定的な問題もないかと!?
1年更新なら結婚しなくてもいいのでは?それなら結婚しなくても内縁でいいと思います。更新性結婚だと子供が出来た時、契約更新されないと大変なので、子供を作らないカップルなら有りかなぁ。でもそんなんならわざわざ面倒なことが増える結婚をする意味はあるのか、、、。結婚するとどうしても相手の家族との関わりがでてくるけど、ただの恋人ならそれは無いわけで、私なら契約結婚するくらいなら内縁でいいかな。
言わなくて良い事は沢山あるし、変えてはいけない思いも沢山ある。そんなものを契約の形に纏められるかと言われたら私は不可能だと答える。
詰まる所夫婦とは
伴侶が自分より大切なものと認識できるか否か
ではないかと私は思っている。
別離の時が若いうちなら契約だからで通せるんだろうけど、歳を取ってから別れる事になったら普通の結婚以上にダメージが大きい気がします。
裁判官を退官した人が公証人をやっているんだから。
天下りOBに逆らえない官僚と同じ構造。あと間違ってはいけないのが「結婚」ではないということ。
行政書士は言葉を大切にしないから、気を付けないと。
準婚姻関係公正証書は、主に、同性婚や事実婚などの場合に用いられる。
言ってしまえば、制度の悪用といえるかもしれんね。
まあ、婚姻までは求めないけど内縁的なメリットを享受したいという妥協の産物がフィットしたということだろう。
あと、本記事は、行政書士の宣伝記事だと思うがね。
結局誰とでもえっちしたいってのが譲れないんでしょ?
子供が不幸になる可能性大だしね。
誰の子だろう?とか••
>これがあることで自分をコントロールできるようになり、ストレスなく生活できるようにもなったと思っています。
自由がいいからと言いつつ、コントロール=我慢するって矛盾してないかい。
なんか欲求を我慢できない綺麗事にしか聞こえないな。
納得もできるし、少しごねられてもストレスが全くなくなった。
めんどくせえ事を、いろいろ抜かしたいのであれば、独身でいたら?
ずっと自由で、いいと思うけど。
個人的な意見だが、結婚というのは、同じ屋根の下で一緒に暮らしていて、お互いに(好むと好まざるとにかかわらず)干渉しあ合う事だ。
>恋愛というものに対して「圧倒的に向いていない」という気持ちを抱いていたといいます。(・・?(・・?(・・?
私がこのような選択をせざるを得ない場合を想像してみたら、全くモテなくて、へら面で、苦肉の策で同族を探さざるを得ない状況でしか有り得ない、あくまでも私の場合はね!
この取材って自ら売り込んだの?SNSとかで発信してなければ突如取材が来るわけないよね?この記事に何の意味があるの?承認欲求?自己顕示欲?はたまた商売?あるいは宗教?何だろね一体?
個人的には、こんなので幸せは全く感じられない。そもそも選択肢に絶対にない、契約なんて考えてみたこともなかった。恋愛や結婚とは、契約するという可笑しな発想自体がない関係で、お互いがお互いを想い、理解し合い、慈しみ合う中で幸せは感じられると思うよ。
次回があれば、少なくとも25年くらいは関係が続いた際に記事にしようね!
「事実婚」と言わず、「合理化同居人」と言えば理解できた。
これは実質夫婦ではなく、ご本人が「夫婦」と呼んで欲しいだけにすぎないと思いました。
単なるごっこ遊びの同居人です。
平時ではいいだろうが、非常時は大変な問題が発生するのは明らかね。
正直その状態で「腹を割って話せる」関係性が築けるとは到底思えない。
更に言うとリスク管理を重視する余りに利益を損失していて一体何してるかわからないパターン。
都合のよい同居の条件を、明文化しただけじゃないの。結婚という表現を使わないで欲しい。
そこの選択は自由だけど、
子供が欲しいならこの関係は甘すぎる。
ただの同居人なら全然良いと思う。
何事にも、全部を手に入れる事って無理だと思います。
寝坊した朝と、寝坊しなかった朝が同時にやって来ることは無いですよね?
子供に理屈は通用しないからね。
誰かの手を借りて協力しないと育てられないようになっている。
内縁の夫を頼れなかったとしても、別の誰かを頼ることになる。だったら頼れる夫になる人を最初から選んだ方が良い。
人を頼るということは自分も誰かに頼られる。これは自分で決められる事じゃない必ず回ってくる。
人生は理不尽なんだ。
そもそも生まれて来ること自体、自分じゃ決められない。
思い悩み、こういう関係に落ち着こうとすることは悪いことじゃないと思う。大切な経験だとも思う。けどいつか終わりがやってくると思う。その先に幸せが待っている気がする。
互いに都合のいいところは利用するけど干渉はされたくない、窮屈になったら別れましょう! それはそれで勝手にすればいいと思いますが、それを一つの形として周りに認めてもらおうと言うのは都合が良すぎますね。結婚という言葉にとらわれているのも滑稽ですし・・・すでに考え方が破綻してますね。
にしても、一年更新ルールにまでして結婚するってメリットあるけなぁ。。とも思った。
結婚するって、結構大変だからね。。
この方達が楽しんでるのはいいんだけど、この場合夫婦とか結婚(事実婚)って呼ぶのも不思議な感じ。経済的にはお互い自立してるし、他の人と関係を持つこともあるなら、この関係に必要性を感じないしな。
そうははっきり謳ってはいないけど、事実として更新についてお話しましょうかという段階でとんでもない大ゲンカでもしたら多分更新はないでしょうし、その場合は後日改めて再更新とでもなるのでしょうか。
まるでプロ野球の契約更新みたい、自分としてはこんな契約は嫌だな。
どう生きるかは個人の自由ですが、子どもを不幸にすることだけはなさらないようにお願いします。
女性は傷が深すぎて男性に心を開けず、でも一人は寂しいから契約で相手を縛る。
結婚までは重くてできないから今のままがいい。
結婚まではいかないけど契約には間違いないわけで。。
契約は相手を縛ることやろ?
この人と結婚しない限り、結局最後は寂しいまんまで終わりそうな気もするけどなあ。。
好きでもないし愛されてもない人と結婚して何の意味があるのかわからんし、好きでもない他人が家に帰ったら出迎えてくれたり添い寝したりって嫌悪感ある
でもなぜわざわざ「契約結婚」という形にしたいのか理解できない。
ただの同居じゃだめなのかね?同居なら経済的には互いに独立しているだろうし、性生活についてもそれぞれ相手を縛ることはないだろうし。家事の分担だって同居とその契約結婚との間に何か違いがあるの?
でも、二人で決めたら二人で完結したらいいのに。わざわざ記事に出てると言うことは
「自分達ちょっと皆と違うんだ」
とアピールしたいのでは?と性格の悪い私は勘ぐってしまいます。
その後がどうなるんだろうね。
いつまでも今と同じ日常が続くわけじゃないからね。
好きにすれば良いじゃないですか、わざわざ公表しなくても。
自分達は特別な人間とでも言いたいのでしょうか。
子供が居る家庭では、そんな綺麗事通用しないです。