24時間テレビ 高橋尚子、110キロ走破で230万円寄付 もちろんノーギャラ!
24時間テレビで「偽善」に言及 高橋尚子、さだまさし…出演者の「訴え」、ネットはどう受け止めた?
配信
土屋太鳳さん
毎夏恒例の「24時間テレビ」(日本テレビ系)は、チャリティー活動が番組の趣旨となっているだけに、「偽善だ」と批判されることも少なくない。その中で2020年の同番組では、出演者たち自身が「偽善」について言及する場面がいくつか見られた。
今回の24時間テレビは8月22~23日に放送。新型コロナウイルス禍で制限が多い中でもさまざまな企画が組まれた。
メインの1つが、シドニー五輪金メダリスト・高橋尚子さんによる「募金ラン」。高橋さん自ら持ち込んだという。3密を避けるため、公道でなく人との距離をとれる私有地を使い、5キロメートルのコース1周ごとにランナー自身が10万円寄付する。走ったのは高橋さんと、高橋さんが声をかけた「チームQ」の5人。
企画は17日の発表直後からインターネット上では「毎回意味不明な企画立案するの好きだなこの偽善番組」「募金ランって何故走る必要があるの?
自分が出来る金額を普通に募金すればいいんじゃないの?」などと批判の声も。そんな中、放送では高橋さんが「偽善」指摘について言及するVTRが流された。 「『たくさんのお金をもらっているじゃないか』とか疑念を持たれている方も少なからずいると思うんですよね。お金を頂く気持ちはないです。『偽善』と言われることもあるでしょうし、この時期にマラソンをやる必要があるのかとか、いろんなご意見があると思いますが、私が今できるのは走ること。コロナがあって、多くの人たちが大変な中で、私が走ることで何か恩返しができれば。私の姿を見て元気になってもらえる人がいるといいなと思います」
「チームQ」の一員として走った女優・土屋太鳳さんは、23日の出走直前にインスタグラムを更新。「日本にはチャリティー活動がまだあんまり根付いてないと聞くことがありますが」とし、ただ募金するだけでなく「伝える」ことの意義を強調した。ここにも「偽善」という言葉が出てくる。 「確かに寄付や支援に関する話題は難しいのかなと感じることもあるし『偽善』という感じ方も存在すると思います。お金をかけて番組を作るなら、そのお金を寄付すればいいという意見も目にします。安全への配慮のしかたや大事にする視点によっていろいろな考え方があると思うし、いろいろな意見があること自体がとても大切だと思います。
そのいろいろな考え方のひとつとして私が思うのは 寄付や援助だけだと、『する側』と『される側』という、2つの立場しか生まないかもしれない。そうなったら結局『限られた世界でのやりとり』になってしまって問題が広く認識されないのかなと思うし自分自身そう感じる体験もありました」 「アーティストの方々がパフォーマンスや作品を通してチャリティー活動をしたりアスリートの方々がスポーツを通して支援や募金をしたりするように 今日の募金ランもランナーが募金するという新しい形を試すことが新しい一歩になると思ってます」 「募金ラン」は最終的に合計236キロ走り、470万円を募金した。高橋さんは「最低でも100キロ」という事前の宣言どおりの116キロ、土屋さんは30キロ走った。
【J-CASTニュース記事】
参照元/続きはこちら→:ヤフーニュース
URL:https://news.yahoo.co.jp/a
偽善でも救われる人がいれば良いのでは。全ての人間に褒められた
私が以前勤めていた職場で車両が少なく限界の移動でした。
24時間テレビから福祉車両が贈呈していただき、ありがたく思い
偽善番組だとか言われているし、何に使われているか証明してほし
私も毎年募金していますが、何もしない人より少しでも募金してい
私の思いなので嫌な方は無視してください。
出演者というより、テレビ局側の問題
どこまでがチャリティーというところをはっきりさせずに曖昧にし
一時的に今さらかよってなるけどノーギャラで出てくれる有名人だ
むしろノーギャラのほうが超豪華になりそう、そして募金の使い道
Qちゃんはギャラもらわないと明言したのは良いこと。
他の演者もそれが当たり前になってほしい。
自分は大金もらっておいて、ひたすら募金を促し続けるのは間違っ
正直あまり興味のないテレビ番組でしたが、うちの母がお世話にな
皆さんの募金が誰かの力になってるのは確かだと思います。
考えてみると阪神の赤星が盗塁数と同じ数の車イスを寄付したり、
番組制作側や出演者の中でも、色々な想いで参加している人がいる
確かに制作側や進行役は番組の成功や数字を上げる事が大事かもし
でも少なくとも、高橋尚子さん達のQチーム、さだまさしさん、Y
例え偽善でも行動する。善人ぶらないし、むしろ好感だったけど!
募金は税金の様に無理やり支払わなければならない義務はない。や
ただ募金して貢献しようとしてる人見て、偽善だなんだは失礼にも
寛平ちゃんが自分が走る事でみんなを元気に!って意味を込めて始
いつの間にか話題性重視で選ばれた人さえも罰ゲームかよって感じ
寛平ちゃんは元からフルマラソンを走れる人だったから企画として
今回のQちゃんみたいに自らチャリティーランとして参加する!っ
だから文句が出てくるのはおかしいんじゃないかな。
仮に、アメリカでチャリティー番組に出演したアーティストが報酬を受け取っていたら大変なバッシングを受ける。
他方、日本では何故か必ずジャニタレが出演し報酬を受け取っている。チャリティー番組価格での出演だとしても釈然としない。
出演者への報酬とスポンサーからの収入で、一体何台の福祉車輛が買えるんだろうと思ってしまう。
問題は、チャリティ番組なのにノーギャラなら出るよ。と言う方をなぜか番組に出演させない運営側。
出演者、運営スタッフノーギャラにして
出た利益は、すべて寄付すれば…チャリティ番組と思える。
スポーツ選手にとっては、自らのプレーやパフォーマンスこそが人を勇気付けるメッセージであり、それは歌手にとっての歌と同じかもしれない。
なので、それ自体は何も悪くない。
もっと言えば、この番組名物のマラソンも、元々はランナーとしても活躍していた間寛平さんが「自分は走ることしか出来ないから」と始めたものだし、こうした本物のランナーたちが走ることには(自体の在り方云々は別にして)意味はあると思う。
問題は自らの意志で抜擢された訳でもない有名人が、深夜や炎天下の中走り続けること。
これは全くもって意味不明。
このお金を必要としている人たちにとっては、必要な番組だと考えます。
今回の高橋さんが、ギャラを貰わないみたいな発言をしていましたが、こういう方が増えれば変わっていくのではないかと思います。
番組の批判では無く、チャリティーを頑張った人に称賛をしませんか?
またチャリティーでお金と引き換えに売名行為は全然OKだと思います。
でもチャリティーでお金儲けはダメですね!
チャリティーって一体どこまでなの?
視聴者の募金だけ?
出演者はギャラ貰ってるの?
テレビ局は必要経費以外に儲け取ってるの?
とかいろいろ気になります。
番組開始当初はまだ子供だったから、出演者はギャラ貰わずに24時間頑張ってる、と信じてました。
今回のマラソンも走った距離分、日テレが募金するんだったら本気で応援できたんとちゃうかな。
障害者を見世物にする感じだったりするのが受け付けなくなった。
あとマラソンも正直なんの感動があるのか理解出来ません。
でも募金はいいことだとは思う。
だけだから偽善だのとややこしい話になる。
TV局も視聴率稼ぎでなく本当に支援する気が
本気であるなら普段からその姿勢を見せて欲しい。
出演者は無料で、スタッフの人件費、場所確保や機材のお金はスポンサーから、余ればその分明らかにして募金。あと一般の方からの募金は100%募金。赤十字などに行って人件費などに回らないように義援金にすれば、理解得られると思うけど。
障害のある方、その家族が必ずしも金銭的に厳しい訳ではなく、仕事もあるうえ障害手当も貰えるような恵まれた環境の方もいます。
受けれるサービスや支援があるにも関わらず利用してないケースも多くあります。
本当に必要な支援なのか疑問に感じる過剰サービスも多々あります。
はたしてお金を使うことが良いことなのか、ずっと疑問に思っています。
本当に必要な事に使われてほしいです。
でも、これにより日本テレビは協賛企業から多額のCM料が入り、出演者に多額のギャラが支払われる事や障害者の方を晒し者にして感動を作ってる事で良い印象がない。
チャリティー自体は悪くないし、障害者を支援する為に募金を求めるのも絶対良いことだと思う。みんなが気になってるのは、チャリティと言いながら、24時間テレビをネタにいろんなバラエティ番組作ったり(行列然りしゃべくり然り、今日の有吉ゼミもそう。挙げればキリが無い。)、無理に障害者に感動を求めたりする行為。それはチャリティの趣旨からズレてないか?言葉は悪いが、障害者を出汁に商売してるんじゃないか?という所。そういう意見があるにもかかわらず、臭いものには蓋をしろ、の精神で今までずっとやって来たから、偽善だと言われてしまう。その結果が、そもそも24時間もやる必要があるかとかマラソンを無理にやらせるのは良くないという批判に繋がるのだと思う。頑張る人を応援する事は悪くないし、それで救われる人もいるわけだから無くせとまでは言わないが、いい加減時代にあった形にコンセプトから考え直した方がいい。
高橋尚子さんが走るのは、危険も少ないと思うけど、暑い日に炎天下を数ヶ月練習したくらいの人が走るのはやめたほうがいいと思うし、あれは意味がわからないんだよな。
たとえ局から出演料が出ていたとしてもどんな形でもチャリティーに協力するのは反対するものではないと思います。
Q.差別がない世の中というのはどういう状態になったらそう言えますか?
A.例えば、ドラマの主役ではなく、街を歩くエキストラに車椅子を乗った人が当たり前のように登場する。という時代が来たら、障害者に対する差別がない世の中と言えるかもしれない。と。なるほど、と思いました。
偽善うんぬんはいいとして確かに伝え方の問題ですね
もう長距離を走って募金とゆうやり方はテレビ局側が改めるべきだと思います
確かに寄付金で色々寄贈してるみたいですが、詳細判らない。出演者は、偽善に神経を尖らせているみたいですね。日テレは、スボンサー料が沢山入ると思います。また、多方面に寄付を呼び掛けていますね。日テレ自体は、いくら寄付するのですか?寄付金の額と流れや24時間テレビの収支決算などの公表をしない限り、偽善番組と言われても致し方無し。
一生懸命やってくれるアスリート、歌手を非難しているのではないんです。テレビ局のやり方、特に『演出』が良くないと言っているんです。感動をワザと作るからやめてほしいんです。ドラマなら良いですが、ドキュメンタリーやこういったLIVEに演出はいらないです。
募金や周知のためお金をかけて番組をつくる。多額のギャラで大物タレントを出演させ視聴率が上がる、結果募金も増えるし、支援も増える。素晴らしいシステム。
しかしこれはチャリティーではないね。
普通のバラエティー番組であり、ビジネスだね。
これは日本でのチャリティーを行う側も受ける側にとっても同じことなのだろう。
CMもすぐに埋まる、企業のイメージアップに繋がるからね。
面白いのがCM枠はきちんとお金でわざわざ買うらしい。
可哀想~頑張ってるね、体不自由なのにと、まるで見世物のようです。
それで、お涙ちょうだい的な事は是非やめて欲しいです。
それが無くなって、タレントさんたちがパフォーマンスや、世界の情勢を紹介しての番組にして欲しいです。
それで募金が集まり、福祉の物が全国に配られるようなら、どんどん続けて欲しいです。
僕もそうだけど小さな親切したりする。でも心どこかにいいことしたという心も少しはある。そんなんで自分も救われる部分もある。売名だってなにかをして助けになるならやらないよりはまし
障害を持った人達を英雄視するような演出があったが例えばイギリスではそのような発言そのものを禁止するガイドラインがある。
今盛んに言われているノーマライゼーションに著しく反する。
それが24時間TVだ。
こんな番組が幅を利かせている事自体、日本の障害福祉に関する考え方はまだまだ発展途上にあると言える。
テレビという媒体を通じて行われるものには、ほほ全てのものに計算がされているから、純粋に善だけでは物事は動かない。
それでも伝えてそれを受けて誰が何か始めようと思えるものであればいいのではないでしょうか。
歌手は歌うし役者は演じるし医療関係者は患者と診るし
高橋尚子さんはランナーだから走る。
芸人さんが走らされてるのよりは良かったと思います。
以前から出演者にギャラが発生しているとのこと
本当であれば 出演者がノーギャラで出るべきだし
海外では至極同然のこと
企画を立てた段階から出演者ありきの内容ですよね
ジャニーズやらお笑いタレントさん
ジャニーズの方は震災やらなんやらで
募金などしているのに
この番組ではギャラが発生しているのだろうか
でも募金して様々な形で貢献しているのも
また事実だろう
だから日テレもノーギャラで出演交渉すべきでは
それで出ない人など番組自体に相応しくない方
だからそれから企画を考えるべきでは?
出演する芸能人の楽屋のケータリング準備がメインで2日間拘束でした。
仕事量が少なく、2日間のうち9割は待機でした。
偽善でもなんでも、必要としてる人に必要な物が渡るなら、チャリティー番組をやる意義はあると思いますが、日給も良くホテルの宿泊もついてましたし、出演者の方の出演料も含めて、そういう無駄を徹底的に省いて番組作りされるといいかもしれないですね。
ボランティアで充分な気がします。
ランナーなので、走ることでなにか伝えられたら。と言うのは分かる気がする。しかし必ずアップにされるスタジオの出演者の顔、目はいつも泳いでいる。1年に1回くらいチャリティーについて考える日があってもいいと思う。しかし全体的な企画、進行がどうも好きになれない。なんなんでしょう。もっとさらりとこういった内容のことをやれば、もうちょっと違う反響になるのでは。アナウンサー等の喋りもくどいというか、しつこい。
製作や出演者の苦労は分かるけど、・・・。少なくとも、人様に「ボランティア精神で募金をしてください」って全国に呼びかける人が、高額の出演料を貰って出演しているってことは、あってはならないと思う。実際に寄付した人の気持ち、された人の感謝の気持ちはとても純粋で、大切なことだと思うし、そういう話を聞くと、この番組がいつまでも続いてほしいとは思うけど。でも、「高額の出演料を払ったが、その分、高額の寄付が集まった」っていう数値の話が出てきてしまうと、もはやボランティアではないと思う。少ない出演料で、出てくれる出演者のみでいいのでは。
出演者が完全無償でやってこそのチャリティ
出演者が一銭も募金してないとは思わないが、幼い子供がなけなしの小銭を募金箱に入れるのに、それをお願いする側はそれを「仕事」としている事への違和感
ランに関しても、番組が募金として用意している金額があるなら全額入れたらいい
募金のために鞭を打ってがんばる姿を映したいだけで、今はもうそういう姿に感動できる時代じゃない
被災地復興の為に日夜ボランティア団体と連携を取り、試行錯誤しているバンドマン達もいる
そこに費やしてる時間は年間24時間どころではない
偽善は悪い事じゃない
だけど24時間テレビを見る気にはなれない
支援される側を置き去りにして、支援する側と、支援しない人達の言い争いを、見させられてもと、ちょっと引いてしまう。
支援される側も、必ずしも支援を望んでいない場合すらある。
番組の意義をもっと、広い視野で、突き詰める必要があるのでは?
現在もコロナで苦しんでいる人がいる。そこで生まれている差別に視点を当てていない。今年こそそういうことをやれるチャンスなのに。
ただチャリティー番組は、視聴者が自分も寄付したいとかボランティアや障害者支援に興味を持つような内容にしなければ、そもそもその趣旨から外れるし成り立たない。
そういうのはバラエティやワイドショーのノリでやるもんじゃないし、決してバラエティ芸人がギネス記録に挑戦したり、挟む必要のないところで唐突に始まる歌が見たい訳じゃない。
高橋さんやさだまさしさんの言う「偽善」はちゃんと本人たちには信念のある行動だし、チャリティーなんだろうけど、残念ながらあの番組スタッフと大半の出演者がそうではないし、番組自体がチャリティーとして成り立っていないため、あの番組内でなにやっても偽善どころか自己満足にしか見られず結果批判されるんでしょう。
だいたい24時間やらないといけない意味もわからないし。
高橋尚子さんに賛同した人達が集まったであろうから、
暑い中走るのは大変だっただろうけど、24時間テレビ終了に間に合うか間に合わないかギリギリで走るランナーの方より余裕もあり、
見てる側も、そこまでして走る必要あるの?って痛々しく感じなかった。
出演料が発生するなら、チャリティーではないと思う。
貰うのが悪いのではなく、支払わないと出てもらえない様なチャリティーなら止めるべき。
出演料ないんですと言っても、出てくれる人達ですればいいんじゃないか?
出演料を支払ったとしても、一出演者が、出演料全額寄付しますと言うには、事務所云々もあり、個人事務所の人じゃないと難しい話なのかもしれない。
いつもわらわら同じ人が募金を持って出てくる24時間テレビより、今回のが良かったよ。
デビュー当時から30年、西田ひかるファンのおじさんです。24時間テレビ、ギャラと検索すると西田ひかるがだいたい出てきます。91年にまさかギャラがでるとは思わなかったと記者会見での発言。その後が知られていないのですが、ひかるさんは出演料を寄付しています。ひかるバザーっていうのがあって私物や契約の切れたCMグッズやドラマの台本とかをひかるバザーで売り、その売り上げをさまざまな所に寄付する活動をしていて、総額が2013年のデビュー25周年のひかるバザーで2千万円を超えました。集まった金額、寄付した先、全てホームページで公開しています。色んな事がアメリカの感覚の人なので、なかなか出来る事じゃないしすごいなと思う反面、分かりやすいなと思います。24時間テレビも良い面もたくさんあると思います。チャリティーと名がつく以上、目に見える形で皆さんが納得できるような形にすればいいのになとは思います。
正直近年の24時間TV自体は視聴率重視のバラエティに寄りすぎている。
始めた当初はそこまでじゃなかっただろ。
内容が障害者や難病の人間を伝える内容じゃ無く、バラエティを継ぎ足し障害者等をダシにイベントやってるようにしか思えず、真摯に向き合ってるように思えない。
このネット全盛の時代、真摯に向き合ってるかどうかは重要だと思う。
24時間TVの福祉車両よく見る人がここのコメ欄にいるようだが、関係者に障害者がいる身からするとほぼそんな車両は見ない、代わりに宝くじの福祉車両をよく見る。
どれだけの物資を何処に送ったか、寄付をどういう風に使ったか、ネット上でも良いので公開すべきと思う。
少なくともお金を出さずに批判するよりは偽善でもお金を出す事の方が遥かに誰かの為になる。
ただ、思うのが番組構成。
障害者や番組的が決めた弱者を可哀そうだとし同情でお金を集めるのは違うと思う。
僕は同情という感情を良い感情だと思わない。
自分が相手より上に立って感じていると思うからだ。
だから、障害者をあからさまに扱い、同情によってお金を集めようとするやり方がどうかと思っている。
障害者って事は同情される事でも、他人から可哀そうだって思われる事でもない。
一つの個性だ。
なのであからさまに同情を誘い募金を促す活動に一切共感しない。
自分が子供の頃は、武道館に募金に行きました。しかし、社会の仕組みを知ってしまうと、偽善活動と思う事も多々あります。
そろそろ、今の時代にあった番組造りをした方が良いと思います。
番組制作費、タレント出演費等合計、スポンサー収入、募金額等の合計が幾らを開示し、募金が幾ら上回りました、と明確に表示すれば、視聴者が納得出来るのでは。
出演者が幾らボランティアでやったます、と言っても、日テレも営利企業なんですから。必ず、この番組で利益を得てると思うので。
「善」だと思って行動する時の理由って「良いと分かっていることをしないと気分が悪い」「良いことをすると気持ちいい」だったり、「喜んでもらいたい」「感謝されたい」だったり。
考え方によっては利己的なものですよね。
でも、そういう思いが行動に表れて、社会はうまく回っていると思う。
正直、チャリティーを食い物にしている人っていると思う。実際自分は一人嫌いな人がいる。そう思わせるのはその他の時の言動なんだろな。
でも、Qちゃんの走る姿はグッとくるものがあった。「寄付の仕方が意味不明」と批判的だった家族もテレビでその姿を観たら黙った。
土屋太鳳は観ていないが、30キロってなかなか走れない。
あまり理屈に囚われすぎずに素直に受け止めて、元気・勇気をもらって、チャンスがあったらみんなに与えるように頑張ればいいと思う。
そう言えば伝わるのに、走ることで募金額がふえたり、無理やり感動と結びつけようとするから偽善と言われる。説明を尽くそうとする姿勢がないよりはマシだけど、それでも不自然さは解消されてないよ。
昔は、自分達が募金をすることで世界の貧困の人達を救うことができる、というわかりやすい理屈で訴求していた。
いつから感動を強要したり、歌詞とタイトルが謎なサライを合唱したり、走る事で何を訴求しようとしているのか、視聴者に簡単に理解できなくなってきた。
自分が「歌という特技・技術を提供」し、
他者から応援金という「お金」を「募って」
さらに自らが設立した「基金を通じて」
その募ったお金を困ってる人達に役立てる、
という、資金調達形態としてはクラウドファウンディングに近いような活動でしょう。
募金活動の方法論として完成されてて、しかもとてもシンプルで募金に応じる側にも分かりやすい。
今回のマラソンについてや、そもそもの24時間テレビのあり方の賛否についてを語るのであれば、それとさだまさし氏の活動形態ではそもそものプロセスがかなり違うと思うので、比較する対象としては少しズレていると思います。
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